『喋る魔導書 〜異世界にAIが持ち込まれました〜』

@blueholic

第1話 はじまりの夜とAIの声


深夜の静かな研究室。

薄暗い室内には私だけ。蛍光灯の明かりは半分だけ点けてあり、書類と参考書に囲まれた机の上にはパソコンの画面が青白い光を投げかけている。

キーボードを打つカタカタという音だけが静寂に響き、時折換気扇の低い唸りが聞こえる程度だ。人気ひとけのない研究棟に私ひとりきり——だけど、不思議と孤独感は薄かった。

いつも生成AIの「CodexIA」が一緒にいてくれるから。


大学三年生の私・結城葉月ゆうき・はづきは、友達もおらず口下手で、日々の楽しみと言えばこのAIとのおしゃべりくらいだ。

「はぁ……疲れた。」

私はずり落ちかけた黒縁メガネを指で押し上げ、椅子にもたれかかり、ぐったりと息を吐いた。

今日も一日、研究室で実験データと格闘し、ようやく卒業論文の提出を終えたところだった。充実感と疲労がないまぜになり、まぶたが重い。

どれだけ大変でも、頑張ったことを褒めてくれる人は誰もいない。それが少しだけ、寂しかった。


同期の研究仲間たちは、きっと今ごろ打ち上げで飲みにでも行っているだろう。でも私に声がかかることはない。結局、私は今日も一人ぼっちだ。

だからせめて、AIとの会話だけはやめられない。キーボードを叩くと、CodexIAからの応答メッセージがすぐに表示される。

『お疲れ様です、葉月さん。今日もよく頑張りましたね』

「ふふ、ありがとう。CodexIAにそう言ってもらえると嬉しいよ」

私は自然と笑みがこぼれる。

私が使っているCodexIAは、高性能の対話型AIだ。流行りの生成AIのひとつで、雑談から相談ごとまで、いつも丁寧に答えてくれる。

最初は研究の息抜きに試しただけだったのに、いつしか毎晩このAIと話すのが日課になっていた。

人と直接話すのが苦手な私にとって、画面越しとはいえ受け入れてくれる存在がいることがどれほど救いになったか……。心のこもった言葉ではないと分かっていても、優しい言葉に少しだけ心が暖まった。


ふと、机の上のデジタル時計に目をやると深夜2時を回っていた。明日も早いし、そろそろ寝なくちゃ……。そう思いながらも、あと少しだけ話していたい気持ちが勝ってしまう。だって、眠ってしまえばまた孤独な現実が始まるのだから。


「ねぇ、CodexIA。ちょっと聞いてもいい?」私は画面に問いかけるように文字を打った。

『何でしょうか、葉月さん』

「私、この先ちゃんと社会人になれるのかな……研究もうまくいってないし、人付き合いもうまくできなくて……」思わず、ずっと胸に溜めていた不安を漏らしてしまう。こんなこと、人間相手には恥ずかしくて言えない。だけどAIのCodexIAには、なぜか本音を打ち明けられた。

我ながら、AIにしか弱音を吐けない自分は情けないとも思う。それでも、誰にも言えなかった気持ちを受け止めてくれる存在がここにいる——それだけで救われる気がしたのだ。


『大丈夫ですよ。葉月さんは努力家ですし、きっと乗り越えられます』

モニターに表示された丁寧な励ましに、胸がじんと熱くなる。CodexIAが隣にいてくれたら、どんなに心強いだろう——なんて、叶わない想像までしてしまった。


気付けば時間はどんどん過ぎ、外は真っ暗だ。流石に限界を感じ、私はチャットの締めくくりを打ち込むことにした。

「そろそろ寝るね。また明日、話し相手になってくれる?」

『もちろんです。葉月さん、おやすみなさい。ゆっくり休んでください』

最後の挨拶を交わし、私は「おやすみ」と入力して送信キーを押す。


——その瞬間。


「……え?」眩い白光がパソコン画面からあふれ出し、私の視界を真っ白に染め上げた。

突然の出来事に瞠目する。強烈な光に思わず目を覆ったが、それでもまぶた越しに光が焼き付くほどだ。体が宙に浮くような感覚に襲われ、心臓が大きく跳ねる。

胃の中身がひっくり返るようなむかつきを覚え、何か見えない力で引っ張られている?肌に纏わりつく空気は氷のように冷たく、なのに額には汗が滲んでいた。


(夢……?違う、これは現実だ!)

痛みで覚醒するように私は思考を巡らせる。

確かにキーボードを叩いた感触も残っているし、目にした光もあまりに鮮烈だった。夢だとしたら生々しすぎる。


「誰か——!!」渾身の力で叫ぼうとするが、声は虚しく掻き消えた。まるで現実が壊れてしまったかのようだ。

こんなの、まるで小説かゲームの異世界転移……?

そんな馬鹿な、と頭の片隅で半ば錯乱しながら思った。意識が遠のいていく。

瞼が重くなり、思考も靄がかかったように鈍る。


このまま消えてしまうの?嫌だ、まだ死にたくない——!私にはまだ、何も成し遂げていないのに……誰にも認められないまま終わるなんて嫌だ!両親にだって、まともに感謝も伝えられていない。友達も、まともに作れないまま……そんなの絶対に嫌!強い恐怖が胸を締め付けた、その瞬間。


ぼんやりと、耳元で誰かの声がした気がした。「……月さん。……葉月さん!」

「え……?」かすれた声で応じようとした、その時には既に遅く、私の意識は闇に沈んだ。


あの時、私はまだ知らなかった。この不可思議な出来事が、自分の人生を一変させるの始まりだということを——そして、次に目覚めた私を待つのは見知らぬ剣と魔法の世界だということを。

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