第2話 坊主頭と知恵の泉

 送られてきた旅費が金貨十枚もあったおかげで、ラボールは道中の街で思い切り買い食いしてしまった。

 生まれて初めて腹いっぱい食べまくり、体重が増えて槍のキレが落ちたので、馬車に乗らず、歩いて兵舎のある山間部に入った。しかしそのせいで思いのほか時間がかかり、入隊試験当日に、慌てて兵舎行きの大型馬車の助手席に飛び乗ることになってしまった。

 車を引く四頭の馬はひどくよぼよぼで、御者が鞭打っても、馬足は上がるどころかむしろ下がった。

 ラボールは、姿勢の良い御者の見事な手綱さばきを眺めていた。街を抜けて上り坂にさしかかったとき、ついに御者がいぶかしげに口を開いた。

「きみ、ここは客が乗る場所ではないですよ」

「! すみません」

 知らなかった。ラボールは急いで謝り、すぐ後ろの人であふれる客用の荷台に移ろうとした。しかし御者の声がそれを遮った。

「危ないからそこに居なさい」

 申し訳なさを感じつつラボールは御者の隣に再び腰をおろした。

「私はグラス。君は?」

「……ラボール、です」

 御者は前を向いたまま話しかけてくる。

「なぜグレン隊に入りたいのですか?」

「紫将になるため」

 間髪入れずラボールが答えた。続けて御者が問う。

「グレン紫将のように?」

 ラボールが首肯すると、御者はわずかに眉をひそめ「後悔しますよ」と言った。

「誰もが憧れる英雄。しかし誰も彼にはなれない。戦場で命を落とすとき、皆が彼に憧れたことを呪いながら死んでゆくのです」と。

 思わずラボールは立ち上がった。

 御者の落ち着いた横顔を見据える。

「死んでも、人のせいにはしない。紫将になるって決めたのは、おれだから」

「……そうですか。危ないから座りなさい」

 彼はちらとラボールを見て、たしなめた。

 ラボールは大人しく座った。——気まずい。声高に宣言して……生意気だと思われただろ

 うか?

 ふ、と含み笑いをして、御者が網のようにまとまった手綱をラボールに渡した。

「馬を御したことはありますか?」

 ラボールは首を横に振った。御すどころか、馬を見たのもつい最近だ。

「やってみなさい。将を目指すなら、馬術は必須ですよ」

 ラボールは恐る恐るやってみた。

 馬車の進みがさらに遅くなった。




 天井が無く、開放的な客用の台車はぎゅうぎゅう詰めで、乗っているのは荒くれ者ばかりだった。

 その中で、ひときわ目をひく二人がいた。

 一人は白く綺麗なドレスを着た、けだるげに座る美しい少女で(男たちが熱心に彼女に話しかけている)もう一人は涎を垂らして爆睡する、顔中傷だらけで坊主頭の青年だ。

「きみ、名前は?」

「どっから来たの?」

「入隊試験受けるんだろ?」 

「どうしてグレン隊に入りたいんだ?」

 少女を囲む男たちが、口々に声を張りあげた。

 少女の反応が薄いのに焦れたのか、男のうち一人が彼女の肩になれなれしく手を置いた。  

 少女は愛想笑い一つせずに、心底面倒そうに口を開いた。

「あたし——普通になりたかったんだ……」

 彼女の口調は穏やかで間延びしていたが、どこか危うげな響きがあった。男たちは急に静かになった。

 少女の言葉を一言も聞き漏らさないことで気を引こうと考えたのか、もしくはその赤く揺れる目に圧倒されたか……。

「でも無理だった。お父様もお母様も泣いてた。心はちょっと痛むけど、しかたないよね、だって——」

 そう言って彼女は、あっけにとられている近くの男に近付いた。

「——自分に嘘ついてたら壊れちゃうから」

 男の頬に赤い血の線が走った。

 長く、鋭い爪が、男の肌をえぐっていた。

「うわぁああ!」

「あたしアウロラ。好きな色は赤」

 男は怯えて後ずさり、なにかに足を取られて後ろ向きに転がった。

「ああ?」

 顔を踏んづけられた坊主の青年が、ひどく不機嫌そうに立ち上がった。

「人がせっかく気持ちよく寝てたってのによ……」

 彼は怯える男をおしのけ、殺気に吸い寄せられるように、アウロラにのしのしと歩きよった。二人が対峙すると、他の乗客はいよいよ水をうったように静まり返った。

「あんたが——あたしを楽しませてくれるの——?」

 アウロラが目を細めたとき、誰も予想しなかったことが起きた。

 馬車の側背、木々が生い茂った山中から、小柄な少年が猿のように身を躍らせ、馬車に飛び移ってきたのだ。

「うっほーい!」

 少年は中央、睨み合う二人の間に落ちてきた。アウロラも坊主頭の男もひょいと身を躱したので、勢い余った少年は御者席のラボールに激突した。

「ぐっ……」

 ラボールは後頭部を押さえてうずくまった。手綱を失った馬がいなないた。御者がすぐに手綱を束ねて落ち着かせる。

「なんだ……?」

 ラボールがうめきながら振り向くと、木の葉を身体のあちこちにつけ、目をきらきらと輝かせた少年と至近距離で目が合った。

「うわっ」

「なあ、この馬車グレン隊兵舎行きか?」

 少年が聞いた。ラボールが頷くと、少年は手を叩いて破顔し、ラボールの両肩をばしばし叩いた。

「やったやった! やっぱりおらは豪運だべ! ——今に見てるだよ、頭カッチカチの長老めえ……おらが一族の英雄になる日は近いだ!」

 乱入してきた少年は、あどけない顔立ちで、温かくゆったりとした服を着ていた。

 山間を旅して生きる遊牧民の特徴的な衣装だ。

 彼は次第に衰える家畜と減っていく牧草に山の生活の限界を感じ、保守的な長老に反発して一族を飛び出してきたのだった。

「軍隊に入って稼ぎまくって、おらが一族を大金持ちにしてやるだよ!」と啖呵を切って。

 ラボールは急に現れた少年を見て、あっけにとられて硬直した。

 明らかに今まで出会ったことのない人種だった。人間を動物に育てさせたら、まさにこういうふうになるんじゃないかとラボールは思った。

「お前……何者だ」

「おらはダッチャだよ。誇り高き狩猟民族、カシ二族のダッチャだ。そういうあんたはナニモンだい?」

「……ラボール。槍使い」

 ラボールは簡潔に答えた。

 もっと詮索されるかと思ったが、ダッチはニコーッと笑い、ラボールの手を握ってぶんぶん振った。

「へへ。よろしくな、ラボール。そっち行っていいべか?」

 ——毒気を抜かれる。

 ラボールは表情を緩め、御者に確認した。

「グラスさん、もう一人隣に座ってもいい?」

 グラスは答えなかった。聞こえなかったのかと思い、もう一度尋ねようとしたラボールの横で、ダッチャが「あれはなんだべ」とつぶやいた。

 ラボールもすぐに気づいた。

 夥しい数の、武装したガラの悪い男たちが、一斉に横道から現れた。

「……敵襲です」

 馬車は盗賊に完全に包囲されてしまった。




 現れた賊の中でも、とびきり悪そうな先頭の男が、どすの利いた声を出した。

「ダイル! いるんだろ? 早く出て来いや!」

「ギオ? なんでここにいやがる」

 ダイルと呼ばれた坊主頭の青年は、アウロラとの睨み合いを中断し、憎々しげにつぶやいて馬車から飛び降りた。

「俺はここだ! 他のやつらは関係ねェ。手ェだすな」

「お前の言うことなんか聞くわけねェだろ」

 賊の頭領はせせら笑って、大勢の手下をけしかけた。たちまち馬車は、阿鼻叫喚の殺戮の場と化した。

「てめえ……」

 ダイルの周りにも賊が群がった。彼が幅広の大剣を振り回すと、賊が一度に十人は吹っ飛んだ。

「ダイル……グレンだとか言う将軍に何を吹きこまれた?」

 手下と共にダイルを押しつぶさんと前進しながら、賊の頭領はさとすように言った。

「戻ってこい。お前の居場所は盗賊団だけだ」

「いいや。俺は戦士になる。親父みたいに誇り高い戦士に」ダイルのは首のペンダントを握りしめた。

 これは父の形見だ。

 昨日の夜、グレンがそれを持ってダイルの元に現れ、その話を聞いて彼は入隊を決めた。

「子を捨てたクソ親に何を夢見てやがる!」

「グレンさんが教えてくれたぜ。俺の親父は仲間を守って立派に死んだってな!!」

 裂帛の気合と共に、大剣が賊たちを両断する。

「俺は知ってんだぞ、ギオ。 親父が俺に送ってくれてた金を、あんたが使い込んでたこともなァ!」

 賊の頭領がこらえきれないというように口の端を歪めた。

 賊の襲撃でなすすべなく死んでいく乗客を尻目に、アウロラは一人で短剣を手に暴れていた。彼女が影のように通り過ぎるたび、賊の一団から夥しい血しぶきが迸った。

「なんだこの女! 強ェ!」

 賊の一人がおののいて叫ぶ。

「あー爽快。生きてるって感じする——」

 アウロラが頬を上気させながら言う。




「後ろのみんなを助けなきゃ」

 助手席から身を躍らせようとしたダッチャとラボールを、驚くほど冷静な御者の声が制止した。

「待ちなさい」

 ダッチャは群がる賊をさばきつつ、焦り顔で御者を見た。

 多勢に無勢。乗客は腕に覚えのある入隊志望者とはいえ、じわじわと追い詰められている。

「敵が多く、こちらは烏合。勝つには将を討たねばなりません」

「おら死ねェ!」

 御者は斬りかかってきた賊の剣を、馬車に備えてあった二振りの曲刀で受け止めつつ淡々と言った。

「二人とも、私についてきてください。坊主頭の彼を援護し、敵将の首を取ります。決着は早ければ早いほどいい。それだけ死傷者が減りますからね」

 予想外の言葉にラボールは驚いた。

 彼の目は真剣そのもの。こんな状況で、この人はまだ諦めていない。

 ——おれたち三人で突撃して、敵の首領を討てると、本気で信じているってことか……?

「……了解。」期待には応えたい。ラボールは御者に続いて、背に布でくくっていた木の槍を手に馬車を降りた。

「分かっただ!」ダッチャも小ぶりなナイフを閃かせ、賊の合間を斬り抜ける。

「逃がすかボケ!」

 追いすがる賊の眉間を、ラボールは次々に打って気絶させる。

 あちこちで苦悶の声と、残忍な高笑いがひびく。途中で奮闘する乗客と合流しつつ、ラボールは孤軍奮闘する坊主頭を目指した。




「ぐっ……」

 あちこち斬られ、血を流すダイルは肩で息をしている。賊の頭が、斧をかまえて彼に近付く。

「裏切者には死をォッ!」

 斧が振り下ろされる直前に、アウロラが突然現れて彼の首を狙った。

 賊の頭はその一撃をとっさに斧で防いだ。とどめを邪魔された彼は、怒りで顔を赤黒く染めた。

「お前……」

 なぜ助けた? と目で問うダイルに、アウロラは肩をすくめた。

「弱い相手と踊るのは——本当につまんない。それだけ」

「てめーらあああ! 何やってんだ速く殺せぇええ!」

 激昂した頭の号令で、賊が二人に殺到する。

 しかし横から乱入してきた乗客の一団が、賊の包囲を完全に分断した。

 率いるのは御者。最前で彼と共に戦う二人の少年が突出して強い。少年たちがダイルに向かって言った。

「おれたちが雑兵を止める」

「その間にワルモノをやっつけるだよ!!」

 三人の武に、賊たちが気圧され浮足立つ。

 そのとき、ダイルの眼前に、賊の頭領——ギオまでの細い道ができた。

「感謝するぜ」

 ダイルはその道を一息に駆けた。

 切り結んだ時間は一瞬。

 ギオの戦斧はダイルの大剣とぶつかり、あっという間に砕け散った。

「この恩知らずがぁぁああ!」

 目をかっと見開いたまま、胴を断たれた賊の頭領はぐらりと倒れた。

 討った! ラボールは息をはずませ、ダイルに感嘆した。すごい男だ。賊に囲まれ、長時間……よく耐えた。

 周りの賊はあっけなく四散した。彼らの逃走をうながした要因は、一つは頭領の人望のなさ。そしてもう一つは——

「これはこれは。面白いものが見れたな! グラス」

 丘の上から整然と下ってくる軍隊を見たこと。

 先頭の金ぴかの甲冑を着た男——紫将グレンが、涼しい顔の御者に声をかけた。

 生き残った乗客からざわめきの声が上がる。

「あれは……グレン軍副将のグラスだ!」

「〝知恵の泉〟か!」

「とめどなく湧き出る戦術で名高いあの……」

 グラスは淡々と乗客たちを馬車に乗せ、ぐちゃぐちゃになった馬たちの手綱を集めて言った。

「そこ、どいてください」

 グレンは得心したように頷くと、率いてきた兵に鋭く号令した。

「道を開けよ」

 魔術師が海を割るように、山道をふさいでいた騎馬が、瞬く間に左右に分かれた。

「負傷者の応急処置を急げ」

 数人の兵士が馬車に乗り込み、重症の客に包帯を巻いた。しかしすでにこと切れた者も多かった。ラボールは力不足を自省し、ダイルは遺体に「俺のせいだ。巻き込んですまねェ」と謝った。

 丘を登るあいだ、ダッチャとラボールは、御者席でグラスと少し話した。

「お兄さん、偉い人だったんだべな」

 ダッチャがぽりぽりと頬をかきつつ言った。

「君たちには借りができました。しかし、試験では公平に評価しますので」

 グラスは備え付けの長い鞭で、ときおり馬の尻を叩きながら言った。

「もちろん。そうしてほしい」とラボールは言った。

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