機巧人形は手を伸ばす_2

 静かに扉を押し開けた瞬間、真っ白な照明が視界を焼いた。闇から光へ、一気に晒される。リディアは反射的に目を細めた。


「リディア……?」


 知っている声だった。まぶたをすぼめたまま、そちらに顔を向ける。


「ヴェルナー先生……?」

「どうしたんだ。……忘れ物か? どうやって入ってきたんだ」


 少しずつ目が慣れ、室内の様子が明らかになる。

 そして――息が詰まる。


「先生……これは……」


 言葉にした途端、指先が震えた。


「ああ。耐久実験中でね」


 ヴェルナーは変わらぬ調子で椅子に腰掛けたまま、答えた。


 白い空間。

 無機質な壁、冷たい床、無機質な装置が整然と並んでいる。

 

 傍らのデスクに座る白衣のヴェルナー。

 制御装置から小く、断続的な音が小さく響く。


 傍らの制御装置から、間隔の空いた電子音が鳴り続ける。

 

 ただ、耳に心臓を押しつけられているかのように。

 鼓動の音だけがうるさかった。

 

 大きく、鈍く、何度も。

 

「これ……この防御装置は」


 声が掠れる。

 

 視察でも見た、小型防御装置が部屋の中央に据え付けられている。

 

「君が改良したんだろう? これはすごくいい」


 ヴェルナーは装置を撫でながら、愛おしげに語る。


「この機構は安全装置が完全に独立している。これさえ切れば中から開けられない。完全に密閉出来るんだ……君のお父さんはこの機構を大元に組み込むのが好きでね。前の型は安全装置だけ切られないようになっていたんだよ」


 隣の部屋から入ってきた回路が、床下の制御台へと繋がっている。

 その一角に、昼に見たあの制御補助回路が、はっきりと組み込まれていた。


(前線基地の防御装置も、この回路で安全装置が切られていたんだ……)

 

 リディアの背筋に冷たいものが這い登った。

 夢ならよかった。…………これは、悪夢だ。

 

「これ……中に、人が……」

「耐久実験と言ったろう。彼は三日目だ。驚異的だよ。ここまで持ちこたえたのは初めてだ。まったく、素晴らしい」

「…………ッ……」


 言葉が出てこなかった。

 装置の中に横たわった男。目は半開きで、焦点はどこにも合っていない。

 その手が――ぴくりと、微かに動いた。


(……今、動いた?)


 一瞬、夢でも見ているのかと思った。

 けれど、それはただの痙攣とも違って見えた。なにか、こう……妙に生々しい。

 この装置は、今、中の人間をただ、閉じ込めているだけだ。反応を引き起こすような回路は組まれていない。


(一体……何を、見せられているの?)


 手のひらに、冷たい汗がにじむ。


「何を……どうして、こんなこと……」


 そのとき――廊下の奥から、足音が近づいた。


 リディアは振り返った。


「何をしてる……!」


 現れたのは、思いもよらない人物だった。

 

「少佐……?」


 カイルが息を切らして立っていた。リディアの前に出て、ヴェルナーをまっすぐに睨む。

 

「これは……何だ」

「なんだね、君は……」


 ヴェルナーが神経質に眉を寄せた。


「ああ、誰かと思えばルーペンス少佐。軍の優等生がこんな時間に、ずいぶん律儀なことで」


 ヴェルナーが冷たい笑みを浮かべた。

 

「人体実験は禁止されているはずだ」

「これは正規の手続きに則った実験だ。軍の許可もある」

「軍の許可……?」

 

 震える声でリディアが繰り返す。

 その言葉の意味が、信じがたかった。


 彼女の中で、何かが崩れかけていた。

 

「ルーペンス少佐。君こそ証明してくれたじゃないか。高い魔力量、軍への忠誠心、思考の枠組み──すべては適合するための条件だった。そして君は、最も適していた」

「……何の話だ」

「見覚えがないか。……ああ、そうだったね。覚えていない、か」

「貴様、何を──!」


 カイルがヴェルナーに向かって踏み出した、その瞬間だった。


 彼の身体がふっと揺らぎ、足元に微かな音が落ちた。


(……今、何が)


 空気が変わった。重たい圧が部屋を満たす。


「少佐……?」


 動きが、止まった。


 そしてヴェルナーは、まるで子供に絵本を読み聞かせるような口調で続けた。


「……君もわかってきただろう、リディア。この技術が、どれほど完成に近いか」


 リディアの背筋に冷たいものが這い上がる。ヴェルナーの指が、ゆっくりと操作盤をなぞる。


「何を……したの……?」


 カイルはあの日なんと言っていたか。

 リディアは回らない頭を必死に回転させる。

 

 記憶の底から浮かぶ、カイルの言葉。

 

 ――――自分がどう動いたか、どうやって倒したか、何ひとつ覚えていない。ただ、気づいたら死体の山の上に立っていた。



「人を……操っているの…………?」


 リディアはポツリと呟いた。

 自分の声なのに、遠くから聞こえるようだった。

 

 あれほどうるさかった鼓動の音も聞こえなくなっていた。

 ただ、静かな静寂。


 ヴェルナーはわずかに目を細め、どこか諦めのような声音で言った。


「やはり、君も博士と同じか。……残念だよ、リディア」

「……これが、あなたの完成形なんですか?」

「グレイウィンド博士の設計は、基礎としては優れていた。ただ、応答性が鈍すぎだ。戦うべきときに、戦う――そういう応答が、ね。でも上書きの余地はあった。私の式で整えてやれば、彼のような高適応体は、必要なときに力を引き出せる」


 ヴェルナーは得意げな顔をして話す。

 

「……力を、引き出す? それって……!」


「勘違いしないでくれ。私は誰かを操って支配したいわけじゃない。私は、技術を信じているんだ。力は理性を持たない。だからこそ、理性ある設計によって、それを制御する必要がある」


 ヴェルナーは立ち上がって、カイルの肩を撫でた。

 リディアはその光景に、思わず息を呑んだ。まるで、命ある人間ではなく、ただの道具に触れるような手つきだった。

 

「君たちはまだ、意志や倫理に縛られている。でもね、技術に善悪なんてないんだよ。……使えるか、使えないか。たったそれだけだ」


 笑いながら、彼はまっすぐに語った。それは告白ではない――ただの説明のようだった。


 そして、その無垢さこそが、リディアの背筋を凍らせた。

 

「あなたのそれは、ただの支配するための技術です」


 声が強まった。リディアは一歩、ヴェルナーに踏み出す。


「父は、誰かを縛るために技術を残したんじゃない。人が安全に魔導技術の恩恵を受けられるようにって……それを託したんです」


 ヴェルナーの顔に、はじめてわずかな歪みが走った。


「君は理想主義に過ぎる。……技術に善悪はない。使う側の目的が、すべてを決めるんだ」

「だからあなたは、すり替えたんですね。父の理論を、都合よく、人を操るものにして完成させた」

「……すり替え?」


 リディアの言葉に、ヴェルナーの声が微かに低くなった。


「違う。私は──可能性を証明しただけだ。この技術は理想では終わらない。現実に、力を与えるものだ。やっと完成した、人智を越えた技術……!」


 ヴェルナーは頭を抱える仕草をする。


(今なら……!)

 リディアはヴェルナーの手元の装置へ向かう。こんなこと止めないといけない。強張った脚を必死に動かす。


 それに気付いたヴェルナーが急いで装置を動かした。

 立ち尽くしていたカイルがピクリと動く。


「残念だよ。……リディア」


 カイルがこちらを見る。目に光がない。こちらを向いて、少しずつ進んでくる。


(そんな……)

 

 リディアは思わず後ずさる。

 壁に背がつく。


(逃げる……? でもそうしたら、少佐は……どうなるの……)


 一度、入ってきたドアを見た。けれど、すぐカイルを見つめ直す。

 リディアは唾を飲み込んで、息を吸った。


「少佐! やめてください!」


 リディアの声にもなんの反応もない。

 ゆっくりとこちらに進んでくる。


(どうすれば……考えろ……)


 ヴェルナーの話が本当なら、父の技術が元のはず。

 それなら何か安全弁があるはず、だ。


 ――非常時解錠プロトコル。


 リディアはジャケットのポケットに触れる。これなら、使えるかもしれない。


 カイルがすぐ目の前まで迫ってきた。

 逃げようとして腕を抑えられる。


「少……佐ッ……」


 両手で首を絞められる。

 息が出来ず、呼吸が乱れる。

 一瞬、力が弱まった。


(抗って……いるの……?)


 カイルの顔を見る。表情からは、相変わらず何も読めない。

 こんな、自分の意志でないことを強いられて、もし自我が戻ったとき――。


(そんなこと……させない)


 リディアはカイルの腕を押さえていた手をポケットの中に潜り込ませる。波型調律器に触れる。

 意識が遠のく。でもやるしかない。

 うまくいく根拠も保証もない。無謀な賭けだった。

 リディアはその四角い箱を手元で操作する。侵入時、調律の位置を少しずらしていた。それを元に戻せば……。

 意識が遠のく中、確かにリディアは手先の感覚だけでそれを動かす。


(これで、異常波形が合ってくれれば………)


 リディアはそれに、最後の一押しと魔力を流し込む。

 カイルを見る。変化はない。


「ッ少佐……おねが、い……ゴホッ……」


 苦しさからむせる。

 呼吸が薄くなり、意識が遠くなる。


「しょう、さ……」


 ふいに、何か光が点滅するような感覚で意識が戻る。

 首に巻き付いた、カイルの指が緩く解けた。

 

 暗い、碧翠色の瞳に光が差したように見える。


 リディアは咳き込む。

 

 遠くで、何か、呼ばれている気がした。

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