機巧人形は手を伸ばす_1
保管庫の前に立つのは、これで三度目だった。正式な見学を含めても、招かれざる客として訪れた回数の方が多い。
日中訪れたときとは違い、夜気が肌を刺すほどに冷たい。
リディアは物陰に身を潜め、警備の兵士の動きを窺った。
冷たい風が頬を撫で、皮膚の奥にまでしんと染み込んでくる。
(またここに来るなんて……)
静寂の中、不意に脳裏に響いたのは、怒号と銃声。
あの夜の雨音が、遠くからじわりと追いかけてくるようだった。
胸元の奥がざわつき、手袋越しの指先がかすかに震える。
今は晴れていても、胸の奥には同じようなざわめきがあった。
あの制御補助回路がずっと胸に引っかかっている。
地下には何かがある――その確信が、心のざわめきとして残っていた。
たとえ、なにもなかったとしても、それを確かめずにはいられなかった。
(調べて、何も出てこなければ、それでいい。……でも)
今回は前回の侵入とは違う、昼間に見つけておいた非常扉を使うつもりだった。
兵士が移動した瞬間を狙って、建物裏手の古い通用路を進む。
白い外壁の裏側、灯りも届かない影の領域。
リディアは非常扉の制御盤を見つめた。小さな赤い魔石がはめ込まれている。
(トラブルが発生したとき、安全弁が作動する……)
ジャケットのポケットから、魔力波型調律器を取り出す。かつて父が魔力安定用に開発したものだ。
リディアは手慣れた様子で魔力干渉波を設定する。通常の信号出力を逆相位で変調し、あえて“不安定な波形”を再現する。
「これで、回路のセンサーが“異常波形”として誤認するはず……」
リディアは周りを伺うと、そっと波型調律器を扉の魔力感応盤に当てる。
制御盤が反応し、内部の術式が一瞬だけ乱れる。
小さくノイズ音が走り──制御盤の魔石が赤く明滅した。
カチリ、と錠の音が鳴る。
リディアは小さく息を吐いた。
扉を静かに開ける。
中は冷たい空気に満ちていた。非常灯がぼんやりと足元を照らし、壁際に並ぶ制御端末が低く唸っている。
本来なら聞こえるはずの端末の動作音が、妙に控えめに感じられた。
警備の足音が近づく気配はない。リディアは慎重に通路を進み、昼間ヴェルナーと通った地下への入り口に向かう。
非常扉と同じように解錠をし、階段を降りていく。
(これで……何かが、わかるかもしれない)
リディアは、慎重に、研究室の中へと足を踏み入れた。
部屋の中は、昼間と変わらず静かだった。
リディアは持ってきていた携行照晶灯で足元を照らしながら進む。
昼間見学した制御室、回路の伸びていた先の部屋。
特に何の変哲もない白い扉。研究所内は特に鍵もかかっていないようだった。
リディアは小さく息を吐き、ドアノブへ手をかける。
制御端末の音が、鳴っていないはずなのに小さく聞こえてくるようだった。
***
帝都中央司令部の一角にある執務室では、淡い魔導灯が静かに灯っていた。夜もすっかり更けている。
カイルは、机に山積みされた書類と格闘していた。軍事パレードを二日後に控え、警備や各種の手配に追われる日々。日中は実務に出ずっぱりで、執務室に戻れるのはたいてい夜になってからだった。
休む間もなく次の書類を手に取ると、それは新型兵器の発表式典に関する資料だった。
パレード直後に開かれる式典の概要が記されており、出席予定の軍関係者や王族の名前も挙げられている。カイル自身は関与していないため、内容はあくまで通知程度に留まっていた。
だが、その中に気になる名前を見つける。
「…………ヴェルナー・フォクスレー」
つい先日会ったばかりの男だ。魔技研三課の特別技術監であり、グレイウィンド博士の元で学んでいた経歴を持つ男だ。
博士の死後、その研究を引き継いで三課に移り、数々の成果を上げている。
平時であれば、軍の命令でもなく個人的に調べる理由も動機もない。だが、あの男のことがどうにも頭から離れなかった。
ヴェルナーの過去の研究内容を記憶から辿る。多くは軍用の装備開発だった。
それ自体は珍しいことではないが――博士の下で基礎研究に関わっていたにしては、あまりにも方向性が異なっている。
博士は防御障壁や魔力認証など、主に実用性を重視した非攻撃的な装置の開発を進めていたはずだ。
それに対し、ヴェルナーの研究はどうにも性質が違う。
(……本当に、博士の後継者と言えるのか?)
カイルは書架から古い技術記録を取り出し、一課の研究構成を調べた。
そこにはいくつか、第二研究責任者として別の人物の名が記されていた。
ラズロ・ノヴァーク。
グレイウィンド博士の直属補佐であり、技術顧問代理を務めていた人物。だが、記録の最後には「五年前、突然の辞職。以後消息不明」とあった。
(……博士の真意を本当に理解していたのは、この人なのかもしれない)
資料を閉じ、カイルは静かに息をついた。
――リディア・グレイウィンド。
ふと、脳裏に彼女の姿が浮かぶ。
あの夜、青白く光るドレスを纏った彼女が。頭にこびりついている。
暗闇の中にひとり浮かんで見えた。
ただ、美しい。と思った。
いつも気丈な顔をして、誰かに媚び売るような様子などない。
強くて、真っ直ぐな――。誰にも頼らず、ひとりで保管庫に侵入してしまうような危なっかしさがある。
それでも、自分からも逃げ切って見せた。自らの力だけで。
それなのにあの夜の彼女はどこか儚げで――――目を離した途端、消えてしまいそうだった。
あの夜、彼女がヴェルナーと親しげに会話を交わしていた光景が、今も鮮明に残っている。
自分には見せたことのない笑顔で。けれど、会話が進むにつれて、だんだんと表情が曇っていき――それが気になって、つい話に割り込んでしまった。
――大人気ない。子供のそれと変わらない。
あのときの返事は、きっとただの社交辞令だったのだろう。けれど、迷いが滲んだあの目だけは、今もはっきりと覚えている。
思い返せば、あのときからずっと胸の奥に、何か引っかかっていた。
あの夜会の翌日、カイルは軍務のためリディアよりも先に帝都へと戻っていた。
帰り際、視察中の彼女を見掛けて声をかけた。その時も、少し沈んだ様子に見えたことを思い出す。
(何もわからなかった様子ではあったが……)
ふと机上に目を落とす。先日の北方視察に関する報告書が一通だけ提出されていない。
確認すると、それはリディアのものだった。
(彼女が期限を守らないとは考えにくい)
付き合いは長くないが、誠実な性格であることは十分に伝わっていた。
(忘れているのか、それとも……)
疑念が胸をよぎり、カイルは残る書類を流し見して執務室を後にした。
魔技研の守衛に確認すると、彼女は昼から姿を見せていないという。
そのまま街へと向かい、彼女の住む家へと足を運んだ。
この時間に一人暮らしの女性の自宅を訪ねるのは本来非常識だが――
(……仕方ない。確認だけでも)
そう自分に言い訳しつつ、玄関先のチャイムを鳴らす。応答はない。
窓の明かりも消えており、気配が感じられない。
外にはバイクが一台。あの、逃走劇で使っていた機体とは違う。よく見る機体だった。
ベルをもう一度鳴らす。寝る時間にはすこし早く感じた。
カイルは不審に思い、勝手口へ回る。ドアノブを回すと、鍵はかかっていなかった。
(不用心だな……)
どうしたものか悩んで、窓から中を覗く。人のいる気配はない。
カイルは一息つくとドアを静かに開けた。
外からのほの暗い明かりを手掛かりに中を探る。暗がりのなかを慎重に進み、玄関を確認すると、靴がなかった。
あの日、玄関横に置かれていたパーツの山もなかった。移動しただけか、それとも。
父のバイクだと言っていたものではなかったのだろうか。あの日は特徴的な車輪も置かれていた。バイクをバラした部品に見えたが……。
広い家ではない。あんなに大きな部品を置いておける場所など限られている。
(父の形見のようなものを処分するか……?)
ふと、頭をよぎる。
ヴェルナーの使用する研究所として、軍の保管庫の名前が記されていたことを。
彼女がかつて侵入し、銃を向けられる騒ぎとなった、あの場所。
本来は魔技研の保管庫――軍の中でも一部の人間しか関知しないはずだった。
(まさか、彼女が……あそこに?)
その瞬間、胸の奥に鈍い警鐘が鳴った。
家には灯りもなく、靴も、あの日のバイクも消えている。
何の痕跡も残さず、ただ静かに姿を消したようだった。
(いや、まさか……)
あの夜、ヴェルナーは彼女に「研究所に来ないか」と誘っていた。
リディアは曖昧に返していたが――あの時の迷ったような瞳が、今さら脳裏に蘇る。
そのときの瞳には、確かに迷いが宿っていた。
不安とも、期待とも取れる、複雑な揺らぎが。
(……もし、本当に向かったとしたら?)
考えるより早く、カイルは動き出していた。
(ただの杞憂であってくれ)
そう願いながら、夜の街を駆け出す。
向かう先は――あの保管庫だった。
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