3章
機巧人形が探した彗星
帝都へ戻って二日後、リディアはヴェルナーから改めて招待を受け、三課の特別研究所を訪れた。
白い外壁と黒鉄の門を備えたその建物は、静かでありながらどこか閉ざされた印象を与えていた。
(やっぱり、ここって……あの夜、私が侵入した保管庫だ……)
リディアは内心の動揺を隠しつつ、門をくぐった。
迎えに出たのはヴェルナー本人だった。
「よく来てくれた。今、制御機構の最終調整中でね。ぜひ君に見てもらいたかった」
「ここって……保管庫では?」
「ああ、この地下にあるんだ。軍事機密の開発でね。まあ、よくあることだよ」
あの夜、やけに警備が厳重だったのは、この施設の下に何かあるからだったのか――。
気づいた途端、背筋にひやりとしたものが走った。
言われた通り地下へと案内される。無機質な応接室を兼ねたホールに扉がいくつか並んでいた。奥が研究室なのだろう。
リディアの目に留まったのは、展示棚の一角に並べられた古い設計文書だった。
『魔導反応に応じて変質する兵装構造試案』と題されたその表紙に、彼女は小さく眉をひそめて手に取った。
(……この回路構成、見覚えがある)
見覚えのある回路配置と、どこか既視感のある構造。ヴェルナーは後ろから近づき、文書の背を軽く指で叩いた。
「それは軍の試験案件だよ。正直まだまともに動かない。おそらく実用化は十年は先になる」
あくまで軽く流すような口調だった。
リディアはそれ以上は問わず、静かに資料を閉じた。
奥の研究室へ案内されると、中は驚くほど整然としていた。リディアの仕事場も片付けてはいるがこんなに綺麗ではない。
平日ではあったが誰一人姿がなく、聞こえるのは魔導端末の駆動音のみ。
「職員の方は……?」
「今日は他での作業日なんだ。見せたいのは、ここの制御中枢の一部だけでね」
不自然なほど静かな室内を進むうちに、リディアは次第に胸の奥にざわめきを感じ始めていた。
招かれたとはいえ、どうにも気が進まない――そんな思いを胸に、足取りが徐々に重くなる。
更に奥の制御室へと案内される。制御装置の設計端末が整然と並んでいた。配線も計算されたかのようにぴたりと繋げられている。
中央には、魔石を特殊な圧縮炉で加工した魔導核。それを収めた試験用の台座と、出力制御を行う小型端末。
その構成は、彼女が以前助言した構造に極めて近い。
「この回路……父の出力制御式を元にはしなかったんですね」
「君の助言がなければ、ここまでは来られなかったよ。あれは非常に有用だった」
ヴェルナーの目はやわらかく細められていたが、その背後に漂う沈黙が、どこか違和感を孕んでいた。
「今度、これを組み込んだ新型兵装の発表式典がある。二日後だ。もしよければ君も見に来ないか?」
「二日後……軍事パレードですか?」
「そうだ」
リディアは、制御室の壁に配された補助制御盤の一角に目を留めた。
そこに組み込まれていた中継回路の接続構造が、見覚えのあるものと酷似していた。
(……この分岐の組み方……見たことがある)
父の遺した設計図。
外部から魔力遮断を行うように改ざんされていた、あの制御補助回路だ。
本来は、異常値を検知した際に装着者の意思で停止できるよう設計されたものだった。
だが、今目の前にある構成は――
信号の出力先や分岐の向きまでもが、あの時と一致していた。
(……こんな組み方、普通じゃない。遮断信号が、外部に向いてる……?)
何に繋がっているかはわからない。
けれど、あの設計がここで現実の回路として組まれていることに、リディアの胸はざわついた。
回路の行き先を目で辿る。長い回路の先は壁の中へと飲み込まれていた。
(この隣りにはなんの部屋が……)
***
「国家のためになれ」
幼いころを思い出すと、まずこの言葉が浮かぶ。
生まれたときから、自分は特別だと言われてきた。
ルーペンス侯爵家の三男。
兄は後継者として育てられ、妹は政略の駒として大切にされた。
では、自分の役割は?
――国家のために命を捧げる者。
祝われた記憶は、ほとんどない。
誕生日の晩餐の席では、兄や姉の隣には常に誰かがいて、祝いの言葉と笑い声が交わされていた。
けれど自分は、客間の末席で、使用人に挟まれて座っていた。
「お前の力は、この家の盾となるためにある。それだけは忘れるな」
父の声は、視線を向けることすらなく、背を向けたまま淡々と落とされた。
呼ばれたのは名ではなく、その力のことだった。
ただ、頷くしかなかった。
名を呼ばれないまま育つことが、当たり前だと思っていた。
生まれ持った魔力量は、家の中でも飛び抜けていた。
家族はそれを「誇り」として口にしたが、そこに温もりなんてものはなかった。
「軍人になるべくして生まれた」
そう言われ、何度も検査を受け、訓練を課された。
魔力をさらに引き出すための施術も施された。
訓練と呼ばれる時間は、他の子どもが眠るころに始まり、魔力量の推移を記録する検査で終わるのが常だった。
異常値が出るたび、研究室と呼ばれる無機質な部屋に送られ、白衣を着た誰かに囲まれた。
――それが特別だと教えられた。
『それは家のためだ』
そう言われ続けて、考えることをやめた。
違和感も、反発も、その言葉の前では無力だった。
家のため、国家のため――そう思っていたから。
士官学校に入ってからも、同じだった。
成績は常に上位。魔導兵科では歴代最速の実技通過。周囲からも軍の希望と持て囃された。
国家のために戦うこと、それが正義で、それが自分の存在理由だった。
軍人になってすぐ、最初の演習があった。
新人たちのお披露目として、軍関係者が多数視察に訪れた。その中に、一人の研究者がいた。
帝国随一の魔導工学者――ライナス・グレイウィンド博士。
紹介されたとき、彼は無言で自分の顔を見つめた。
「いい目をしているな。ルーペンス家の子か」
「お会いできて光栄です。博士」
差し出された手に応じると、彼は軽く目を見開いた。
「すごい魔力量だな……その力は、しっかり国民のために使いなさい」
「ええ、国家のため、国民のため邁進します」
その場では、当然のようにそう返した。
国家のために尽くせば、それは国民のためになる。そう信じて疑わなかった。
だが、博士は笑わなかった。
「いや――国民のためだ。国家は、国民がいてこそ成り立つものだ」
その言葉に、胸の奥が妙にざわついた。
「国家のために生きろ」と言われてきた。
だが、誰も「それは誰のためか」までは教えてくれなかった。
国家とは何か? 王族か、軍の上層部か――自分が今まで信じていた国家と、博士の言葉が、かみ合わない。
けれどそのときは、問い直す勇気がなかった。ただ、自分の信じてきたものが揺らぎかけた、その違和感だけが心に残った。
それから数年が経った。
軍人として忙しない日々を送っていたある日、訃報が届いた。
グレイウィンド博士の死――事故と報じられたが、その詳細は伏せられていた。
軍は、功労者として彼の葬儀を執り行った。場所は奇しくも、あの日握手を交わした場所と同じ、軍の演習場だ。
雨の夜。棺の周囲に、軍関係者が次々と白いユリの花を手向けていく。
その隣に、ずぶ濡れの少女が立っていた。国立校の制服。親族らしき姿は、他にない。
声もなく、ただ項垂れたまま、目を閉じていた。
見かねた軍の関係者が傘を差しだす。
少女の顔が、ちらりと傘の陰から覗いた。
――朝焼け前の桃花を閉じ込めたような瞳が、泣き腫らして赤く濁っていた。
まるで、夜明けの空のように脆く、揺れていた。
その姿に、何かが胸に引っかかった。
列に並んで一輪の花を供えながら、博士と交わした言葉を思い出す。
(博士の家族は……あの娘だけか)
――彼女を見たのは、それが初めてだった。
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