第2話 落ちる君と翔ける僕②

 目が覚めたとき、眩いほどの白色が目に飛び込んできた。

 白い天井。白い壁。白いカーテン。白い布団。順々に追って、僕はようやく病室にいることを知覚する。

「──っと、目が覚めたか」

 ベッドの傍らの丸椅子に、窮屈そうに一人の男が座っていた。濃紺のスーツ姿で、ネクタイはしているものの、襟元は緩くしている。

 初対面ではまず間違いなく、プロレスラーやラグビー選手と思わせる四十過ぎの男は、手の中の文庫本を閉じて、僕の寝ている枕元へ手を伸ばした。

 その手の行方を追うと、小さなスイッチのようなものを押した。ドラマなどで見たことがある、ナースコールと呼ばれるものだ。

 すぐに白衣を着た男女が駆け付け、僕は身体の隅々まで触られ、痛みはないかと何度も確認させられた。そして、意識が明確かの確認のため、自分の名前や日付、果てには好きな食べ物など洗いざらい話すことになった。この医師たちとは初対面だ、好きな食べ物を話したところで、正解など知らないだろう。

 数十分にも及ぶ対応を済ませると、医師たちは満足気に病室を去っていった。また明日にでも精密検査をするから、と言い残して。

 医師たちとの入れ替わりで、先ほどのプロレスラー風の男が入室する。

「よぉ、丹羽くん。医者は大丈夫そうだって言ってたが、どうだこの男前なツラは覚えているか?」

「……三浦(みうら)社長」

「大正解。丸一日寝ていたんだ、きみは。こないだの赤い雨の日、何があったか覚えているか?」

「それは──」

 口を開いた瞬間、思い出す。半透明の竜を見たことを。そして、それと同時に、正直に見たままを口にするのは憚られた。

 竜を見たんです。などと言えば、まだ意識がはっきりしていないようだな、なんて返されるのがオチだ。

「──よく、覚えていません」

「……そうか」

 口ひげを撫でながら、三浦社長がぽつりと返す。

 株式会社スカベンジャーズ。僕の所属している会社であり、目の前にいる三浦社長が経営する会社。赤い雨が降った際に、雨から逃れ損ねた人間がいないか捜索及び救助を行うことを主業務としている。

 社長とは数度しか会ったことはないが、僕はベッドで寝ているままであることが不敬であることに気付いて、身体を起こす。

「あぁ、いい。楽にしていろ」

 そんな僕を制して、三浦社長は丸椅子に腰を下ろした。

「昨日の赤い雨の日、きみはD地区からC地区へ移動する命令を受けた。そうだな?」

「……はい」

「その途中で、きみは要救護者を発見し、通信で助けを求めた。そこまでは、覚えているかな?」

「はい」

「その要救護者ときみを、別地区に向かわせていたチームが回収した。要救護者であった女性も命に別状はないらしい。そういう意味では、きみには感謝しなければならんな。きみも知っているかもしれんが、我が社は赤い雨の日に街をうろつくだけの税金泥棒なんて言われているからな。しっかり人命救助をしている、ということをこの機にアピールさせてもらう」

 ありがとう、と短く言って、三浦社長は頭を下げた。

「そんな……会社のマニュアル通りに行動しただけですよ」

「マニュアル通りだろうが、例外的な行動だろうが、きみのおかげで助かった命と、助かりそうな会社がある。会社の代表として、礼は言っておくべきだと思ってな」

 さて、と、三浦社長は立ち上がる。

「きみの今後についてだが、社の人間を誰かこちらに寄こすから、詳しい話にそっちに聞いてくれ。……それまでは、ゆっくり休息を取ると良い。では、またな」

 そのまま、三浦社長は去っていった。

 病室に静寂が訪れる。

 税金泥棒……か。僕も、聞いたことはある。所属しているスカベンジャーズ以外にも、赤い雨という異常事態下に業務を行う会社はいくつか存在する。そして、そのどれもが、国や自治体からの助成金で運営されている。

 だが、赤い雨が降り始めた数十年前ならともかく、今の世は誰もが赤い雨の脅威を知っている。降雨が確認され次第、みんな各自の判断で建物の中や地下への避難が徹底されている。

 僕自身、高校一年からスカベンジャーズに入社してもうすぐ一年になるが、要救護者を発見したのは初めての経験だった。

 三浦社長の言う通り、今回の件で自社が人命救助に貢献出来ているというアピールをしたいという気持ちは理解できる。少々、不謹慎かもしれないが。

 一つ、大きな息を吐いて、僕は薄い枕に頭を沈めた。

 目が覚めてからまだ一時間も経っていないが、医師から三浦社長から、終始話しっぱなしで疲労を感じている。

 全身を包むだるさに逆らうことはせず、僕は瞼を閉じた。あの赤い雨の中、空から落下する竜の姿を思い出しながら。



 次に目が覚めたときには、既に日が沈んでいた。まだまどろみを孕む目をこすりながら、僕はベッド脇に自身のものである鞄が置かれていることに気付いた。その中から、スマホを取り出して電源をつける。

 ホーム画面では、メッセージアプリがいくつもの新着メッセージを受信していることを伝えていた。

 アプリを開いて最新のメッセージは、東京に居る父親からだった。

『会社の方から、業務中の事故で病院に運ばれたと聞いた。命には別状がないようで安心している。何かあれば連絡しなさい』

 とのことだった。鼻を鳴らして、僕は次のメッセージを開く。

『株式会社スカベンジャーズ、副社長の四谷(よつや)です。お伺いしましたがぐっすり寝ていらしたのでメッセージで失礼します。また明日、お邪魔させていただきます』

 その後、いくつかのメッセージを開いたが、同級生からの生存確認や、くだらないニュースの通知、広告などだった。

 枕元にスマホを置いて、目を閉じる。

 瞼の裏側で、竜の影がちらつく。

 今、僕の興味はその一点だった。自身の体調すらも、どうだっていい。あの竜は、あの女性は、いったい何だったのだろうか。今すぐにでも、ベッドから飛び降りてその女性を探しに行きたい。見つけ出して、話を聞きたい。

 そんな衝動に流されることなく、僕はベッドシーツを握りしめた。自身の都合のみを優先して動くほど、僕は身勝手な人間ではない。

 社長は、要救護者の女性も命に別状はない、と言っていた。どこかで話を聞くタイミングは訪れる……と信じたい。

 そんなことを思いながら、僕は再びまどろみの中へ沈んでいく。

 ──翌日。

 朝病室を訪れたナースに促されるまま、いくつかの部屋でいくつかの検査を終え、昼過ぎに僕はさっさと病院を追い出された。

 去り際に「会社へ提出しておいてね」と渡された封筒を持って、僕はそのまま会社に向かうことにする。

 岐阜駅の南側に位置する株式会社スカベンジャーズまで、バスで十五分程度。病院前のバス停で五分ほど待ち、現れたバスに乗る。

 スカベンジャーズは、四階建てビルの一階と二階に位置する。二階が十畳程度の事務所で、一階が四谷副社長の備品開発室となっている。

 三十人弱が所属している事務所だが、人員のほとんどが他に本業を持つ人間である。赤い雨の予兆が確認されたときに連絡が来て、それぞれに役割が与えられる。事務所に居るのは三浦社長と四谷副社長、各人員に指示を出すオペレーターの二、三人だ。階段を上がり、扉をノックすると、現れたのはオペレーターの一人が顔を出した。

「丹羽です。社長は……」

「社長は本日外出しておりまして……戻られるのは夜の予定ですね。四谷さんなら下の開発室におられると思いますが」

 オペレーターに礼を言って、僕は上ってきたばかりの階段を下りる。開発室には、基本的に鍵が掛かっていない。開発に没頭しがちな四谷副社長は、ノックや連絡に気付かないことが多いためだ。

 無駄と知りつつも、一応ノックはする。……返事はない。

「丹羽です。失礼しま──うわっ!」

 扉を開けた瞬間、僕の鼻先をドローンが通過する。手のひらほどのサイズの飛行ドローン。もう一歩踏み込んでいたら、プロペラが直撃していたところだ。

「ああ、ごめんごめん。こんな時間に人が来ると思ってなくて……あ、丹羽くん」

 ドローンを操作するコントローラーを机に置いて、四谷副社長が壁掛け時計に目を向ける。

「しまった、もうこんな時間だったか。昼前には病院に顔出すつもりだったんだけど……申し訳ないね」

「いえ。あの、これ、病院でもらった書類です。会社に提出しろ、って」

「はいはい、ありがとうね」

 封筒を受け取った四谷副社長は、すぐに封を開けて中を確認する。

「それ、何の書類なんですか? 僕、中までは見ていなくて」

「うーんと、そうだね。平たく言うと……赤い雨を浴びているから、しばらくは赤い雨に触れる可能性がある業務を避けること、って感じかな。うちの会社の規定に照らし合わせて言うと、一か月間は業務禁止かな」

「え……でも、僕たちは赤い雨への耐性を持っているからこの業務を任されているんですよね?」

「それはそうなんだけど、こればっかりは国が定めた規定だからなぁ。耐性があるとは言っても、短期間に何度も雨に打たれていいわけではないし。これに違反すると、うちの会社自体が睨まれて、最悪業務停止になっちゃう」

 赤い雨は生物に悪影響を与え、免疫力を大きく低下させる。赤い雨によって死ぬことはないが、間接的な原因が赤い雨であることは多い。そのため、赤い雨の被害が出始めたころ、国民全員に検査の場が設けられた。

 そして、その検査で赤い雨に対するある程度の耐性を持つものは、赤い雨が降る中で活動する必要のある業務に就くことができる。そんな業務の一つが、赤い雨の中で要救助者もしくは要避難者をサポートする株式会社スカベンジャーズの業務である。

「そう……ですか」

 業務停止になってしまう、と言われれば、ここは引き下がるしかない。僕は決して、会社に迷惑を掛けたいわけではない。

「丹羽くんが業務を休んでいる間に、穴が開いちゃった防護服は修繕しておくからね。ここのところは雨の降る頻度も多いし……ゆっくりしてね」

「分かりました。お願いします。ところで……このドローンは?」

「あぁそれ! よくぞ聞いてくれたね」

 ぱっと、四谷副社長の顔が明るくなる。

「いまだに、赤い雨と紫の雲は謎ばかりだろう? 紫の雲から赤い雨が降るのはみんなご存じだけど、紫の雲がどうやって発生しているのかは誰も知らない。赤い雨には電波障害を引き起こす特性があるから、ドローンを飛ばしても途中で制御不能、写真を撮っても、それを転送することも叶わない」

「じゃあ、ドローンではダメなんじゃ……」

「そう、その通り。この子はまだ試作機でね」

 四谷副社長は床に寝転がっていた先ほどのドローンを拾い上げて、そのボディを僕に見せつけるように指差す。

「ここ、このボディがやけに平らになっているだろう? 後々は、このドローンをそのまま大型化させて、人が乗れるようにするんだ。人が操縦するようにすれば、電波障害など関係ない。撮った写真もドローンの内部に保存されるだけだから、転送を阻害されることもない。紫の雲に突っ込んで、中の写真を撮って、無事に帰ってくることができれば万々歳なのさ」

 四十近いというのに、目を輝かせて語る四谷副社長は、まるで夏休みの自由研究に精を出す小学生のように見えた。

「馬鹿馬鹿しいと思ったかい?」

「いえ、そんなことは」

「正直に言ってくれてもいいんだよ? 私は無理だ~って言われたほうが燃えてくるタイプだからね」

 にやりと笑って、四谷副社長はまた子供っぽく笑った。

「と、いけない。また忘れてしまうところだった。丹羽くん、これを」

 机の引き出しからメモ取り出して、四谷副社長はそれを僕に手渡した。

「これは?」

 受け取ったメモには、僕がお世話になった市民病院よりも北にある大学病院の名前と、病室の番号が書かれていた。

「きみが発見した要救助者がそこに入院しているんだ。いきさつを話したら、是非自分を助けてくれた人にお礼を言いたい、って言っていてね。良ければ、顔を出してあげて」

「……分かりました」

 思ったよりも早く巡ってきた機会に、僕は心を躍らせた。

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