第17話
猫耳の揺れる足音が、深紅の絨毯の上を静かに滑っていく。
黒青はそのあとを無言でついて歩いた。天井の高い廊下には、燭台の光がやわらかく揺れている。広大なお屋敷の一室へと続くこの道には、誰の足音もなく、彼女たちの気配だけがほのかに漂っていた。
猫娘のメイドが立ち止まると、重厚な木製の扉が音もなく開く。
中には、温かな照明の灯る部屋。磨かれた床と繊細な装飾の家具たち。
中央のテーブルには、蒸気を立てたままの食事が静かに並べられていた。
「こちらでございます、お嬢様。お食事のご用意は整っております」
黒青は何も言わず、椅子に腰を下ろし、ナプキンを取った。
温かい香りに包まれながら、フォークを手に取ると、ようやく安堵のような息が漏れる。
猫娘のメイドはそのそばで、直立したまま話し始めた。
「お嬢様がこの世界にいてくださるおかげで、私はメイドになることができたんです」
どこか誇らしげで、でもその声音には不思議な透明さがあった。
「正確には……猫娘になることができた、というべきでしょうか」
黒青はフォークの手を止める。猫娘は続けた。
「私はただの猫でした。ただの、名前も持たない一匹の黒猫。
けれど、あなたが“分岐”を選んだその瞬間、指令書が届いたんです。
私は“猫娘のメイド”という役割を得ました。
あなたが新たな歴史を選び取ったそのときに、私はここに存在する意味を得たのです」
黒青は食器を置き、目を細めてメイドを見る。声は静かだった。
「……分かっている。再分岐の可能性がまだあることは、承知してる。
だけど、なぜ“ひとつの歴史”にフォーカスさせるの?
いくつも可能性があってはいけないの?
分岐させて、結果的に消滅させた歴史の中にいた人たち――
彼らの“同意”は、誰が得たの?」
しばしの沈黙。
猫娘のメイドの耳が、わずかに伏せられる。
「……質問が多すぎます。申し訳ありません。
お答えしたいのですが、私にはその権限がまだ……与えられておりません」
彼女の声音が、かすかに震えていた。
「けれど、ここで私が沈黙を選べば、お嬢様は――」
「……介入。消去でしょ」
黒青の言葉は、淡々としていたが、重く部屋に響いた。
猫娘のメイドは、そのまま黙り込んだ。まるで言葉そのものを封じられたかのように。
ただ静かに、視線を落とし、尻尾だけがしずかに揺れていた。
そして、部屋の時計の秒針だけが、音もなく時を刻み続けていた。
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