第4話

黒青は、月に照らされた夜の世界を静かに歩きはじめた。風はひんやりとしていて、草の上をさわさわと撫でていく。その感触を足元に感じながら、彼女はぽつりぽつりと歩を進めていった。


ふと、10メートルほど歩いたところで、突然、目の前がぱっと明るくなった。

え……?

思わず立ち止まり、空を見上げる。さっきまであんなにも鮮やかだった夜空が、いつの間にかまぶしいほどの青空へと変わっていた。太陽が真上に浮かび、夏のような光が大地を照らしている。


「……また昼になった……?」


言葉にしながら、黒青は周囲を見渡した。さっきまで確かに夜だった。月もあったし、虫の声もしていた。それが今は、風の音だけがしていて、木々の葉が明るくきらきらと揺れている。

どうやら、この世界には“昼と夜”が地続きに存在しているのではなく、“区画”のように分けられて配置されているらしい――と、彼女は思った。


「昼と夜が……交互に? 空間で仕切られてるのかな」


彼女はそんなことを考えながら、さらに足を進める。

けれど、次の10メートルを越えても、空は明るいままだった。影はちゃんと彼女の背後に伸び、木々の葉の間から木漏れ日がまだらに降り注いでいる。虫の音もなく、鳥のさえずりがどこかから聞こえた。


「……ここはずっと昼の空間、なのかな」


確かめるようにもう少し歩いた。20メートル……30メートル……変わらない。彼女はほっとしたような、けれどどこか居心地の悪いような、不思議な感覚を覚えた。


やがて、木々の向こうに何かが見えた。高い、白い影が空に突き出している。

目を凝らすと、それは――マンションだった。


「……わわ?」


思わず立ち止まり、目を瞬かせる。

こんな自然の中に、それも人気のまったくない場所に、どうして高層マンションが――?


けれど、そこにあるのは紛れもなく、地上でよく見るような、大きなガラス窓とベランダのついた無機質な建築物だった。黒青は気になって、その建物へ向かって歩き出した。


マンションへ向かって森の中を進む。すると、目の前の景色が、ふっと揺らいだ。


森が――消えたのだ。


まるで映像が切り替わるように、木々が煙のように輪郭を失い、ただの空間に置き換わっていく。

彼女は思わず立ち止まり、自分の足元と周囲を見回した。木の幹も、草の茂みも、もうそこにはなかった。ただ、うっすらと白い霧のような空間が広がっているだけだった。


「これ……ホログラフィ?」


声に出してみたが、答える者はいない。けれど、彼女の推測は、どこか的を射ている気がした。

彼女はもう一度、来た道を振り返った。

するとそこには――また森があった。彼女の歩いた“後ろ”には、確かに木々が生えている。さっきまで彼女がいた空間の景色が、あたかも追いかけてくるように表示されている。


まるで、誰かが彼女の存在を感知し、それに応じて風景を“変えている”ような。

そうまでして隠したいものが、この森の先にはあるのかもしれない。

もしかしたら、このマンション自体も、何かを覆い隠すための装置なのでは……。


そう思いながらも、黒青は足を止めなかった。


静かな昼の世界。風はまだ吹いていて、彼女の髪をやわらかく揺らす。遠くで鳥がまた一声鳴いた。

けれど、彼女の心には、これまでとは違う種類の“気配”が、ゆっくりと染み込んできていた。


「隠されてるものって……私に見せたいものなのか、それとも見せたくないものなのか……」


彼女は呟きながら、マンションの影へと、確かめるように一歩、また一歩と近づいていった。

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