第3話
エレベーターが停止し、わずかな揺れとともに「チン」という鈍い音が鳴った。
ドアがゆっくりと左右に開く。光が差し込む。けれど、それは人工のものではなかった。
そこには、青空が広がっていた。
目の前には草の茂る野原があり、遠くにはこんもりとした森が見える。白い雲が、緩やかに空を渡っていた。風が吹き、草が揺れた。鳥の声も聞こえる。
それは確かに、彼女が地上で知っている風景と似ていた。
だが、決定的に違っていた。
電柱もなければ、アスファルトもない。看板も、車も、人の気配もなかった。あるのはただ、自然だけだった。まるでこの世界が、人の文明に触れたことのないまま、ずっと静かに存在していたかのように思えた。
「……なん?」
黒青はエレベーターの敷居をまたぎ、そっと外に出た。土の感触が足の裏から伝わる。草の匂いが鼻をくすぐった。
地下のはずなのに、見上げれば空がある。天井のようなものはどこにもない。ただ、果てしなく広がる青と、光。
その一歩を踏み出した瞬間だった。
ふっ……と、光が消えた。
「えっ……?」
視界の端で、太陽が一瞬、何かに覆われたかのように掻き消え、次の瞬間には濃い藍色の空に変わっていた。そこには、満月がひとつ、じっと黒青を見下ろしていた。風が冷たくなる。虫の音が聞こえはじめる。
ほんの数秒で昼が夜に変わったのだ。
「夜になっちゃったんだけど……」
思わず、ぽつりと呟いた自分の声が、あたりの静寂に溶けていった。
自分の声しか聞こえないことに、ふと気づく。
笑ってみた。けれど、その笑いはとても小さくて、どこにも届かない。
「こんな夜に……ひとりぼっち……」
口に出した言葉が、胸の奥にじわりと重さを落とした。
ひとりでいるのは平気だと思っていた。誰もいない場所を歩くことも、怖くないと思っていた。
でも、この世界には「ひとりでいなきゃいけない気配」が、しんと染み込んでいた。
「……私、もしここでひとりで生きていかなきゃいけないとしたら……」
言いかけて、言葉が消えた。
まだ涙が出るわけじゃなかったけれど、心の奥に小さな穴が開いたような感じがした。誰にも話せない。誰も返事をくれない。
星が、少しずつ空ににじんでいく。
静かな夜が、ゆっくりと彼女のまわりを包み込んでいった。
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