第2話
階段の第一歩は、硬く冷たい金属の感触だった。
ぎしり、という音が足の裏から伝わる。黒青は一瞬ためらいながらも、目を細めてその先を見つめた。
階段は途中からゆるやかに曲がっており、先は見えない。けれど、何かに呼ばれているような感覚があった。
降りるたびに、空気はだんだんと変わっていった。湿気が増し、温度は下がり、足音の反響が深くなる。まるで音そのものが、何層もの時間を超えて戻ってくるような錯覚さえ覚える。
ふと、足元に違和感を覚えた。
あれ? 階段が……動いている?
気づけばそこは、ゆっくりと下降するエスカレーターへと変わっていた。ステップの縁が黒と銀のラインで縁取られ、手すりが滑らかに動いている。黒青は何もない空間の壁に手を添えたが、指先には硬質なガラスのような素材が触れた。
「階段じゃ……なくなってる?」
エスカレーターは、静かに、しかし確実に下へと運んでいく。まるで誰かが「休んでいいよ」と囁いているような、奇妙な優しさがそこにはあった。
やがて、足元の段差が消えた。視界がすっと開け、正面に鏡のように反射する扉が現れる。
それは、無音のまま、すうっと横に開いた。
中は、エレベーターだった。
ただのエレベーターではなかった。中はまるで、小さなラウンジのように整えられていた。
片側の壁には、小さな椅子が三つ並び、どれも柔らかそうな灰色のクッションが置かれている。対面には、古いタイプの自動販売機が一台。ペンキの剥げた外装には、どこか懐かしいロゴマークが滲んでいた。
「こんなところに……?」
黒青は戸惑いながらも、自販機の前に立ち、またポケットから小銭を取り出した。
オレンジジュースを選び、ボタンを押すと、ふたたび乾いた「ガコン」という音。今度は驚かなかった。
缶は少しぬるくて、でも甘い匂いが心をほぐしてくれた。
黒青はそっと椅子に座り、開けたジュースを一口飲んだ。
人工の灯りがふわりと天井から降りてきて、まるで夢の中にいるような感覚。
エレベーターは静かに、そしてゆっくりと、ずっと下へと降り続けていた。窓はない。けれど、感覚でわかる――とても、とても深い場所へ向かっているのだと。
時間の感覚が曖昧になる。時計はない。けれど、黒青はなぜか「1時間くらい経った」とわかった。
それは、体の中にある何かが告げてくるような、理屈を越えた理解だった。
そして──エレベーターが静かに停止する。
「チン」という軽い音。
扉が、再び静かに開きはじめる。そこには、まったく新しい景色が待っていた。
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