第8話「目覚めの檻」


「レンくん、覚えてる? 私たち、ずっと一緒だって約束したよね?」


結月の声が甘く響く。

けれどその甘さの奥に、鋭利な棘のような違和感が潜んでいた。


「……覚えてる……ような……」


喉の奥でつっかえるような言葉。

それが何か、大切な名前や記憶を塞いでいるような気がした。


「でもね、思い出さなくていいんだよ?

 つらいことなんて、全部消しちゃえばいいの」


手を強く握られる。

その瞬間、頭の奥に鈍い痛みが走った。


「記憶を壊される前に、“目を覚まして”」

――M

メモの文字が、まぶたの裏に浮かぶ。

……そうだ。自分は、誰かから何かを受け取っていた。


「……誰かが……何かを……俺に……」


「え?」


結月の表情が、わずかに動いた。

それは笑顔の下に隠された、明らかな“焦り”だった。


「誰のこと……?」


「名前が……でてこない。けど……何か、おかしい。

 全部が……甘すぎる……」


ゆっくりと、蓮は立ち上がった。

結月の手が名残惜しそうに、するりと離れていく。


「おかしくなんてないよ。

 私が守ってあげてるだけ。世界が蓮くんを傷つけないように。

 ……私の手の中で、閉じ込めてあげてるの」


「閉じ込める……?」


口にして初めて、その言葉の重みが蓮の胸に落ちた。


(俺は今、結月の“檻”の中にいる)


思い返せば、クラスの空気。

誰も橘美咲の名前を口にしない。誰も、結月に話しかけない。


まるで彼女だけが、世界の中心に立っているような――異常な静けさ。


「ねえ、レンくん……」


結月が再び近づく。

声は甘く、瞳は艶やかで、何も知らない人が見れば“優しさ”に満ちていた。


「このまま眠るように、私の中に落ちてくれたら……

 すっごく幸せになれるんだよ」


「……でも、それって“俺の幸せ”じゃないよな」


その瞬間、彼女の笑顔に、ピキリと小さな亀裂が入った。


「やっと……目が覚めてきたんだね、レンくん」


笑顔のまま、結月が囁いた。

声は変わらないのに、温度が凍りつくほど冷たかった。


「なら、これ以上起きないように――ちゃんと“眠らせて”あげなきゃね」


次の瞬間、保健室の扉がカチャリと閉まり、内側からロックされた音が響いた。


(この部屋から出られない……!)


蓮は後ずさる。

結月はゆっくりと歩み寄る。

両手の中に、またあの“心の鍵”が握られていた。


「蓮くんのすべてを閉じ込める準備、もうできてるの。

 あとは、蓮くんが“選ぶだけ”。」

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