第6話「鍵がかかる音」

「……逃げないでね?」


優しく微笑みながらそう告げた結月は、どこかもう「人」ではないように見えた。

その一言が、まるで心のどこかに“鍵”をかけるようだった。


蓮は返事ができなかった。

頭の奥で、警報のような違和感が鳴り続けているのに、体が動かない。


(これは……ただの執着じゃない。何かが、決定的に――)


「レンくん?」


ふいに結月が近づいてきた。

座ったままの蓮に、ゆっくりと膝をつく。


「ねぇ、今、私のこと……“怖い”って思った?」


その声は甘く柔らかくて、それなのに――喉が詰まるような恐怖を含んでいた。


「……別に、そんなこと――」


「うそ」


瞬間、結月の瞳がすっと細まり、黒い光が宿る。


「目が言ってる。“この子、何を考えてるか分からない”って」


(読まれてる……全部、見透かされてる)


「でもね、安心して。怖くないようにするから。

 全部、私が整えてあげる。

 蓮くんのまわりから、変な音とか、色とか、記憶とか……ぜんぶ消してあげるから」


言っていることの意味がわからなかった。

でも、ひとつだけ確かに分かった。


──彼女の中では、もう“何か”が決まってしまっている。


■ 翌朝


いつもの道。

けれど、少しずつ景色が違って見えた。


すれ違ったクラスメイトが、何かを言いかけたような気がしたのに、すぐに顔を逸らす。

挨拶をしても、視線を合わせようとしない。


(……なにこれ)


まるで“何かに触れてはいけない”ような空気。


教室に入ると、さらに異変を感じた。


橘美咲の姿が――ない。


担任に聞いても、「今日はお休み」としか言われなかった。


(昨日まで、普通に来てたのに……)


もやもやした胸を押さえながら、蓮は机に座る。

すると、自分の机の引き出しの中に、封筒が入っていた。


差出人の名は、なかった。


開けてみると、中には1枚のメモ。


「記憶を壊される前に、“目を覚まして”」

「彼女は、あなたの“全て”を並べて、選び直そうとしている」

――M

(……橘? いや、でもこれ……)


その瞬間。


「レンくん?」


背後から聞こえた、聞き慣れた声。


振り返ると、結月が立っていた。

いつものように笑っている。けれど、その背後に“誰もいない”ことが、異様だった。


誰も彼女に近づかない。

誰も彼女を見ていない。

いや、まるで「存在ごと見えていない」ような空気。


──彼女だけが、“この世界”で色濃く浮かび上がっていた。


「お手紙、読んだ?」


「……え?」


「あれ、読んだよね? ちゃんと見たよね?」


(まさか、監視されて……)


「安心して。そんなの、全部もうすぐ消えるから」


「……なにを、言ってるんだよ……?」


結月がふっと笑った。


「“選別”が、終わったの」


そう言って、結月はそっと胸元から小さな鍵を取り出した。


「これで、蓮くんの心に鍵をかける。

 もう、誰にも触れさせないようにするね」


カチ。


音が、どこかで鳴った気がした。


それが本物の鍵の音か、心の中で何かが閉じた音か。

もう、蓮には分からなかった。

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