Bloody Birthday

宵宮祀花

ラズベリーチョコレートケーキ

 季節の変わり目に雨が降る。

 境界線を塗り潰すように、冷たい雨が降る。燃えるような紅葉を千切って落とし、薄暗い灰色に染めていく。空気を冷やして冬を呼ぶ。穏やかな春を、鮮やかな夏を、華やかな秋を、忘れたかのように。街が灰色にくすんでいく。


 あの日も、灰色の雨が降っていた。


「HappyBirthdayつぐみ!」


 プライマリスクールから帰宅した鶫を、クラッカーのシャワーが出迎えた。玄関で頭から紙吹雪を浴びた鶫は一瞬目を丸くして、それから目の前に立つ兄を見上げた。

 兄は普段着の上からエプロンを身につけ、誕生日の本人である鶫よりもずっと興奮した表情で続ける。


「今日で鶫も七歳だからさ、俺、がんばってプレゼントを用意したんだ! ケーキも用意したんだよ? 鶫の好きなラズベリー入りのチョコレートケーキ! いつもとは違うお店のだけど、美味しいって評判なんだよ」


 そう言って、兄は鶫の手を引いてリビングダイニングへと導いていく。

 ペタペタと靴底が床を踏みしめる音がして、その後ろを無言のままついていった。そして鶫は、兄が用意した『プレゼント』を見た。


「凄いでしょ? ここまで飾り付けるの、結構大変だったんだよ」


 壁にはモールのようなもので『HappyBirthday!』の文字が書かれ、天井からは無数のオブジェがつり下がっている。テーブルの中央にはチョコレートをたっぷり使ったラズベリーケーキが鎮座している。


「これ、全部兄さんがやったの?」

「もちろん! 可愛い妹の誕生日だからね!」


 学校から帰ったらバースデーパーティのサプライズが待っていた。

 普通の小学生だったら飛び上がって喜んだところだろうが、鶫は無感動に昏い瞳で目の前に広がる光景を眺めていた。


 何故ならリビングダイニングは、B級スプラッター映画さながらの、凄惨な有様となっていたからだ。

 壁のモールのようなものは腸で出来ており、天井からつり下がっているオブジェはバラバラにした内臓だったもの。いつもの席に座っている両親は首を切り落とされていて、落とした首はそれぞれの前にメインディッシュが如く盛り付けられていた。

 部屋の至る所に血飛沫が節操のないスプレーアートのように飛び散っていて、床は血糊で歩く度にべたつく感触を靴底に伝えてきた。日本式の家だったら素足にこれを浴びていたのかと思うと、グレイヴヤードの標準的家庭で良かったと心底思う。

 兄は、作業の全てをキッチンと一続きのリビングダイニングで行ったらしく、辺り一面が血の海になっている。当然それらを成し遂げた兄自身も全身血に塗れている。

 鶫をクラッカーで出迎えた、あの瞬間も。


「ほら、鶫も座って!」


 笑顔の兄にそう言われ、鶫はどういうわけか「まだ手を洗ってないから」と答えて奥のバスルームを指した。親を殺された幼い子供として正しい反応は何だったのか、いまでもわからない。兄にとっての正解も。

 けれど兄は「鶫は真面目ないい子だね」と言って鶫に手洗いを促した。少なくとも両親のように大外れを引いたわけではなさそうだ。

 洗面所で手を洗っているあいだも、心が何処か麻痺しているような感覚だった。

 泣き叫ぶべきだったのか。それとも逃げるべきだったのか。そのどちらも選ばずに兄の元へ戻った鶫は、いつも自分が座っている席に着いた。

 まだ背の低い鶫のために置かれているクッションは、不思議と汚れていなかった。


「それじゃあ、改めてお誕生日おめでとう、鶫」

「うん」


 ケーキを切り分けて、鶫の目の前に置く。その仕草は普段と何の変わりもない。

 非日常で飾り付けられた部屋で日常を演じているのがあまりにも異様で、けれど、その異様さを自覚して正しい行動が取れるだけの余裕もなくて。鶫は使い慣れた銀のフォークで、両親の死体を眺めながら固まった血の色によく似たラズベリーケーキを食べた。

 血の臭いしかしない部屋で味がわかるものかと思ったが、意外にもケーキはいつも通り美味しかった。――――否。いつもの味とは少し違ったが、兄の言う通り、この店のケーキも劣らぬ美味しさだった。


 それから鶫はいつものようにシャワーを浴びて、いつものようにベッドに入った。いつもと違ったのは、兄が久しぶりに添い寝してくれたこと。


「鶫。俺はね、鶫に自由をプレゼントしたかったんだ」

「じゆう?」


 眠気に襲われて舌足らずになった鶫を、兄の手のひらが優しく撫でる。夢の淵へと誘っていく。


「うん。鶫はずっと母さんに色々言われていただろ? 俺も小さい頃はそうだった。母さんは理想の子供がほしいだけなんだ。その通りにならないといらない子になって諦められちゃう。俺は、諦められた子だった」


 六歳年上の兄は、学校にも滅多に通わず昼夜遊び歩いていると両親が言っていた。母の口癖は「お兄ちゃんのようにならないでね」だった。父は鶫にも兄にも然程目をかけず、仕事だけしている人間だった。

 兄が普段何処で遊んでいるのかは、両親も鶫も把握していなかった。

 不良たちがよく集まっているというバーやら裏路地などで発見されることもなく、暴力沙汰で補導されることもない。なのに、家にも学校にもいない。兄の居場所は、いったい何処にあったのだろう。

 鶫は過去に一度だけ兄に「いつも何処にいるの」と訊いたことがあった。そのとき兄はにっこり笑って「秘密基地」とだけ答えた。


「俺は自由になれたけど、鶫は母さんに縛られたままだ。兄妹なのにそんなの不公平じゃないか。だから……」

「だから、ころしたの」

「そうだよ」


 悪びれもせずに頷き、兄は鶫の頭を撫でた。

 もっと幼い頃に良くしてくれていたように。


「鶫は頭がいいから、きっと何にでもなれるよ」

「……そうかな」

「もちろん。俺が言うんだから間違いないよ。でもそのためにはあの人たちは邪魔なだけだ。まあ、もうそんなのは関係ないんだけどね」


 クスクス笑う声が、鶫の旋毛を擽る。

 数年ぶりに人の体温に包まれて、鶫は扉一枚隔てた向こうの惨劇から逃げるようにして、眠りに落ちた。

 何処か遠くで、兄がなにか言っていた気がしたけれど、夢の国に旅立っていた鶫の耳にその声が届くことはなかった。



 そして――――血のバースデーを境に、兄は姿を消した。



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Bloody Birthday 宵宮祀花 @ambrosiaxxx

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