第9話 ランニング...フクロウカフェ...
日曜の朝。
折角の休みだが、何もしないのも勿体ない気がして、
軽く運動でもするかと速乾Tシャツとランニングショーツといういでたちで、
公園に向かった。
公園には柔らかい朝陽が射し込み、木々の影が長く伸びている。
早朝の空気は、ひんやりとして気持ちよく、
ランニングをするには丁度良さそうだ。
公園のランニングコースには既に何人かのジョガーが、
軽快なペースで走っており、
遠くでは犬を連れた散歩客、ベンチでは新聞を広げる老人がいる。
現在のあるがままの陥没に身を任せるみたいに、
音漏れして聞こえて来る音楽、排気ガスやPM2.5の影響、
そして、雑誌や新聞紙を捲る音。
足の裏が地面を押し出す感覚で少しずつ身体が温まるのがわかる。
俺も適当な速度で一時間ぐらいはランしてみるかと思った、
本当に、その時・・・、
眼の前で太極拳をしているような緩慢な動きが見えた。
ないしは、妙にのんびりしたペースでジョギングしている人物がいる。
嫌々校内マラソンをした走るのが苦手な不良の構え(?)
深く息を吸うと、ひんやりした空気が肺を満たし、頭が少し冴える。
陸上部の見様見真似だが腕を軽く振り、
膝を持ち上げながらリズムよく進みながら、
何となく視線を向けると―――Amazonで売ってる、
シャボン玉が出るカメラだ(?)
は?
はああああああああ?
「……鹿子田先輩?」
「……あ」
生垣続きの小住宅街のとある庭の盆栽の棚みたいな、
まさかの鹿子田先輩(?)
よく会いますねと言えばストーカーかよとなりそうなのに、
よく会う、と肯定でまとまってしまう。
そして違和感がない。
長袖のドライウェアにランニングレギンスに薄手ジャケット。
さらに仕事場とは違い、
髪をゴムで後ろでキュッと縛ってポニーテールにしている。
こんな時間に、こんな場所で。
舗装された道がゆるやかにカーブし、木々の間を抜けるが、
鹿子田先輩は淡々とした表情のまま、変わらぬペースで走り続けている。
驚いたのも束の間、俺は自然と鹿子田先輩の横へと並ぶ。
ダイエットだろうか・・・?
「先輩、運動するんですね。
やっぱり最初の一キロがしんどいですよね(?)」
一応、それらしい言葉をチョイスし、並走する。
「……たまに……する・・・秩序は無用の抑圧・・・無制限に自由・・・
真の自由とは全体の中における適切な位置のこと・・・(?)」
―――走りながら鹿子田ポエムを聞くと脳震盪起こす不思議(?)
「めちゃくちゃゆっくりですね、どうしたんですか、
先輩のポテンシャルなら市民マラソンじゃないですか(?)」
煽ってみる。
「……急ぐ理由・・・ない……」
と言いながら、景色をぼんやり見ている。
それは強がりとかではなく、鹿子田先輩の運動の芯である気がした。
どんな些末な現象にも、
想像は論理的に一つ一つ階梯を昇っていく。
しかし所詮はそんなの理屈で、思い込みにすぎない。
“そういう人がいる”と、
“この人もきっとそうだ”を接続しているにすぎない。
確かに、公園を走ることに時間制限があるわけではない。
こういう場合はこうするべきという自然な選択肢も無用の長物だ。
自然の力に従って、惰力を満たすように、
ちょっと走ってストレッチしたり、
またちょっと走ってベンチで一服するというのも、
サウナ的な整いの一連の儀式に近いものがあるかも知れない。
走りたいという衝動は疲れと達成感を混同させているだろう―――か。
周囲の音に耳を傾け、風の匂いを感じることは、
身体能力を高め、距離を重ねることと等しく休日らしい行為だ。
そう思い直してみる。
それに、あんまり頑張りすぎると、いくら若いとはいえ、
次の日、筋肉痛になる。
捻挫、突っ張り、打ち身というのもけして縁遠い話じゃない。
筋肉痛で溺れる者藁をも掴むで、
YouTubeで紹介しているストレッチをやったら全身ピキピキになり、
これが本当の電気うなぎ、みたいになったことがある(?)
無理をしない、少しでも違和感を覚えたら止める。
それに、慣れないことに失敗は付き物だ。
だが、そのペースはもはやウォーキングの延長に近く、
健康維持やスタミナをつけるために行われる類のものに見える。
ランニングは一時的に収縮期血圧を上昇させるが、
長期的には血管拡張を促進し、動脈硬化リスクを軽減する、
という話をふっと思い出す。
人体は一から設計されたわけではなく、
類人猿の祖先から解剖学的構造を受け継いでいる。足がその好例だ。
二本足で立つようになると、祖先が木を登り、枝を掴むために必要としていた、
柔軟な足は要らなくなった。
大地でより安定して立つために、進化は”クリップとガムテーム”アプローチを採用。
こうして捻ったり、回転させたりするのに都合がよい猿の足を改造したものの、
二本足で歩かなければいけなくなった。
その為に、足首の捻挫や骨折をし易くなった。
脛に添え木を当てたり、足底に炎症を起こしたり、
アキレス腱を切ったりするのもこの為だ。
人間が万能なんていうのは思い違いだ。
動物より、背の高い視点で世の中を見ていたら、
蟻に出来ることの一つだって僕等には見えないのだ。
「……このくらいが・・・丁度いい・・・木の枝に猫がいないかを探し・・・、
鳥の名前を考え・・・そして人から遅れていくことを味わう・・・、
アリゾナ砂漠では・・・発汗量を増加させるため・・・、
電解質補給と体温調整が鍵・・・・・・」
―――そして途中から鹿子田節が炸裂することが、鍵(?)
舗装されたランニングコースのひび割れが、
陽射しでくっきりと浮かび上がる。
「そりゃ、スローすぎますからね」
「……無理すると続かない……本能は嫌いなものを鞭撻しない・・・」
妙に理論的な答えが返ってくる。
しばらく並んで走る。
いや、ゆっくり進むと言った方が正しいかも知れない。
鹿子田先輩は、まるで、波が穏やかに打ち寄せるような緩やかさだ。
俺は気になって鹿子田先輩に尋ねる。
「普段も運動するんですか?」
「……気分次第……」
「でも、こんな時間に公園にいるってことは、今日は気分だったんですね」
「……うん」
相変わらずのシンプルな返事。
しかし、ペースがゆっくりなのもあって、自然と会話が続く。
現実というものの切れ端を眼の前にちらつかせながら、
鹿子田先輩の変わり者のような理想家の貨幣の両面を学ぶ。
犬を連れた散歩客が、
カフェのテラスで一休みしている様子がちらりと見える。
ランニングでは有酸素運動と無酸素運動が混在し、
スプリント時には解糖系が主導となり、
長距離ではミトコンドリア系が活性化する。
「走る理由って、ダイエットとかですか?」
「……いや……」
「じゃあ、健康維持?」
「……気分転換……」
意外な答えだった。
鹿子田先輩は、自分の呼吸に合わせるように足を動かしながら、ぼそっと言う。
ジョギングする足元は、柔らかい落ち葉を踏みしめ、
その感触がわずかな音を立てながら朝の静けさを崩していく。
朝陽が木々を透かして、葉の裏側まで淡く照らしている。
「……仕事のこと、考えすぎると……重くなる……そういう状態で・・・、
挑みかかろうとすると・・・不意打ちの悪戯を喰らう・・・」
「フラットな状態に戻すということですね」
「そう・・・・・・マインドフルランニングという・・・呼吸・・・動き・・・、
意識を同期させることで・・・思考のクリアリングを目指す・・・」
「走ると軽くなるんですか?」
「……うん」
でも鹿子田先輩って生きにくそうだと思う反面、
人生の達人という見方も与えられる。
選択肢は常に与えられて一見自由な蜘蛛の巣のような場所で、
現実や真実と見なすべき決定な根拠もなく、
ただ目覚めている、それをしたいと思い込んで―――いる・・。
心の声を聞く、自然体の自分でいる、常に自分というフラットな場所に置く、
というのはこの走ると歩くの中間のスピードがよいのかも知れない。
ほんの少し考えながら、静かに頷く。
休日でも平日でも早朝に具体的な時間はないが、六時頃から九時頃は、
ジョギング・ランニングする人が多く、次いで犬の散歩をする人、
太極拳やヨガをするグループ、新聞を読む高齢者が主要な要素になる。
十時頃になれば、家族連れ、ピクニックなどの要素に加えて、
通勤途中の径路として選ばれることもあり、
観光客や写真を撮る外国人なんかもたまにいる。
―――正直つまんない神社だと思っていたのに、
外国人がカメラをパシャパシャ撮っていた時の不思議な高揚感を思い出す、
人間はつまらなさを感じる生き物だ、紙一重で、現実の囚われから抜け出せる。
「……考えすぎると、止まるから……」
その言葉に、妙に納得した。
普段は冷静で合理的な鹿子田先輩。
そんな彼女が、こうして適度な運動をしながら思考を整理しているのだと思うと、
何だか意外な一面が見えた気がした。
ダイヤや花は美しいけれど、
そんなもの生活や現実にあるだろう―――か・・。
芝生広場では、ヨガをする人々が静かにポーズを決めている。
愁いを満た、美しき夢を剥ぎ、眼を眩まないようにする、
そういうこともまた人間にとって必要な行為なのかも知れない。
鹿子田思想に浸りきって現実がありのままに映っている。
でも、時には隠れた現実にも意味があるものだ、
「……気分転換なら、もうちょっと走ってみます?」
冗談めかしてそう言った瞬間―――。
「……うん」
突然、鹿子田先輩の足に翼でも生えたみたいに速くなる。
その瞬間、表情が少しだけ楽しそうになる。
「えっ、走るんですか?」
「……たまには……小日向君と競争するのも・・・いい・・・、
兎と亀も走る・・・・・・」
このままのんびりペースかと思いきや、
鹿子田先輩はじわじわと加速していき、
結局普通のジョギングのスピードへ。
光は、木々の間を縫うように降り注ぎ、
長い影を地面に伸ばしている。
舗装されたランニングコースは、夜の冷えをまだ抱え込んでおり、
足元に広がるアスファルトの微細な凹凸が、
かすかな温度差を生み出している。
「さっきまでのスローな感じ、どこ行ったんですか!」
「……気分次第……いまはもうただ・・・、
脱落者を・・・待つだけ・・・」
鹿子田先輩は、空気を切り裂くように疾走する。
しなやかに腕を振り、軽快なリズムで足を運ぶ姿は、
動きの美しさと機能性が融合したもの。
地面を蹴る瞬間、ふくらはぎの筋肉が緊張し、
シューズがわずかに反発しながら推進力を生み出す。
呼吸は一定のリズムを刻み、
吸い込んだ冷たい空気が肺に染み渡る。
そしてスピードが上がると、風が耳元で細い音を立てる。
「いや、急に変えすぎじゃないですか! 待って下さいって!」
結局、俺は必死にペースを合わせることになり、
予想以上にハードな朝のランニングとなった。
なんてことのない人生における仕草が、
センセーショナルな出来事になるんだよ。エモくなるんだ。
うげっ、気持ち悪い言葉使っちゃった、いまのカットで(?)
ランニングの後、息を整えながらふと考えた。
折角、運動したし、何しろ鹿子田先輩と会った希少価値がある。
また会社でと別れるのも何だか物足りない。
どこかでゆっくり休める場所―――。
そう考えたときに、思い出したのは・・・・・・。
「……フクロウカフェ、行きます?」
「……?」
鹿子田先輩は、フェイスタオルで汗を拭いながら小さく首を傾げた。
鹿子田先輩を言い表すキーワードがあるとすれば、それはフクロウだ。
その単純な連想も働いたかも知れない。
「フクロウカフェ・・・ファンシーなワード・・・ディズニーランドと並べても・・・、
フクロウの鋭い爪と・・・強力な嘴は残る・・・それは抽象的な状態・・・、
しかしフクロウとは恐れ入る・・・どこまでも澄んでいて・・・底の知れない・・・、
まったくもって・・・そうまったくもって・・・不思議な生き物・・・」
―――あえて言いたいのは、フクロウすげえな(?)
「はい。静かで癒されるって聞いたことありますし、
顔の円盤状の形は音を集めやすく、獲物の動きを、
正確に捉えるために進化しているって言いますし、
首を二七〇度回せる能力はわれわれを深い森の場面へ誘います、
フクロウとは森の番人、知恵の象徴、そして神秘なる生き物・・・・・・」
「ワクワク・・・・・・」
ヤバイ、鹿子田先輩がワクワクしすぎて、ワクワク言ってる(?)
「……その・・・とても大切なことだけど・・・フクロウ……触れる……?」
「一応は、見て楽しむ感じだと思います。
でもフクロウの腕載せ体験みたいな話も聞いたことがあります、
それが鹿子田先輩の“触れる”と一致するかは・・・・・・」
「……行く」
即答だった。
フクロウカフェの扉を開けた瞬間、
外の雑踏から切り離されたような感覚が広がる。
店内は木の温もりを基調としたインテリアで、
天井の梁にも木材が使われている。
照明は柔らかなアンバー系のライトが主役で、
まるで夕方の森の中にいるような落ち着きを演出している。
眼を瞑ったら、熊が踊りましょうと言ってくるかも知れない。
ハルキ・ムラカミの神話。
外からの光がスリット状の窓を通して斜めに入り込み、
木目のテーブルやフクロウたちの羽根に静かに馴染む。
微かに流れるBGMは、ピアノと弦楽器の静かな旋律。
空気は静かで、わずかな羽音が空間を彩る。
店内には木の香りとコーヒーのほろ苦い香りが混じり合い、
深呼吸するとそれがゆっくりと肺の奥へ染み込んでいく異世界だ。
ふとした瞬間、フクロウが小さく鳴く声が響き、
それが余韻となって店内に溶け込む。
店員さんの案内で席に座り、店の奥を見ると・・・・・・。
「……いっぱい……いる……」
鹿子田先輩が、ほんの少し声をひそめながら呟く。
しかしその声の成分には五歳児並みの興奮が見て取れた。
店内には、大小さまざまなフクロウが枝や止まり木にじっと座っている。
羽根は滑らかで、光沢のある部分とふわりとした柔らかい部分が、
絶妙なコントラストを作っている。
レゴで作ったフクロウとはやはり一味も二味も違う。
一瞬気を許すと静物画みたいで、剥製なんじゃないかとも思えてくる。
彼等は静かに首を傾け、まるで店内のすべてを観察しているかのような、
物の奥の見えやすそうな、思慮深い瞳を持っている。
瞳孔はわずかに収縮し、視線が合うと、じっと見つめる。
その仕草は、何か哲学でも問い掛けているように感じられる。
「……かわいい」
女性からそれを聞き出せばすべてのデートは上手くいく、
と言った大学時代の友達のことを不意に思い出す。
カッコいいという顔面偏差値や、雰囲気作りといった正面突破よりも、
はるかにその方がお互いにとって効率的なことを謳う名言である。
だが、その女性達から友達扱いされていた彼は、
たんなる便利な人と思われていたのかも知れないと―――いう(?)
「意外と小さいのもいますね」
「……触れる?」
「ちょっと待ってくださいね……店員さんに聞いてみます」
こうして、カフェのフクロウたちを見ながら、静かな時間が始まった。
店員さんの説明によると、フクロウたちは手に乗せたり、
撫でたりできるらしい。
これは収穫であり、前進だ。
ただし、大きいフクロウは慎重に扱わないといけない。
フクロウはハンティングマシンで、狩りに特化した鳥だ。
大型種にはシロフクロウやワシミミズクがいる。
実に貫禄があり、眼が鋭いが動きは悠然としている。
中型種にはアメリカワシミミズクやメンフクロウがいる。
よく首を傾げ、小刻みに羽を動かす様子が可愛らしい。
小型種にはコキンメフクロウや、スピックスコノハズクがいる。
丸みを帯びたフォルムで、じっとしているか突然ピョンと跳ねる。
静物画妄想、剥製妄想の、動かない時間が続くかと思えば、
羽根をふわりと広げ、短い距離を飛ぶ。
それを見た後ではこれを鳥だと認識せずにはいられない。
ふわりと飛び立つ瞬間、空気がわずかに揺れ、
羽根の軽やかな動きが視線を引きつける。
箪笥の中をイラスト化するみたいにぼんやりとメニュー表を見ると、
深煎りコーヒーの“ミミズクブレンド”
( 香ばしいナッツのような風味とほんのりビターな余韻)
カフェラテ“フクロウのささやき”
(ミルクがふんわりとした滑らかさを加える一杯)
ハーブティー“森の静寂”
(カモミールとミントのブレンドで、リラックス効果抜群)
焼き菓子“フクロウクッキー”
(サクサクとした食感、ほんのりシナモンの香りが心地よい)
など、実に見れば見るほど上手いことをやっていた。
フクロウでありさえすればどんな料理でも、どのような飲み物でも、
結びつけるというしたたかさと、
その奥にある行き過ぎた愛の膨張による蒸気機関車(?)
しかしその裏面には注意事項がびっしり。
写真は必ずフラッシュをオフ、
顔と顔を近づけるなど必要以上の触れあいはNGなど書かれている。
フクロウを触る前にはシュッシュッと手にアルコールを吹きかけ、
何となくイルカのショーみたいな雰囲気がある。
「……乗せてみる……」
鹿子田先輩が、店員さんに案内されながらフクロウの腕乗せ体験にチャレンジする。
ちなみにフクロウのストレス軽減の為、
触れるフクロウは人馴れした子に限られるらしい。
フクロウの耳は、耳穴が左右でずれた位置にあることにより、
音源の方向を立体的に認識することが可能らしい。
そして―――。
「……」
じっと、鹿子田先輩の腕に止まるフクロウ。
クリスマスツリーの星にでもなったように、いい場所を見つけたようだ。
視線が合うと、鹿子田先輩はわずかに固まる。
「先輩、どうですか?」
「……動かない……」
その声は、まるで驚きと愛着が入り混じったような響きを持っていた。
「まあ、フクロウですからね―――」
猫や犬のようなリアクションを求めていたら、
フクロウというのはちょっと違う。
だけど、それは北米の先住民文化では夜の守護者という、
精霊的な存在とされることを言い表すようでもあるし、
ギリシャ神話では女神アテナの使いとして、
知恵・賢明さの象徴であるようなもの―――。
中国でウルトラマンの絵本を見つけてしまったような感じで、
フクロウという生き物は書かれた途端に、
何だか嘘になってしまいそうな危うさを持った生き物だ。
止まり木の上でじっと佇むフクロウの瞳が、わずかに光を反射し、
その奥に広がる静寂境が見えるよう―――だ・・。
そこには、ティラノザウルスだっているのかも知れない。
鹿子田先輩はフクロウに触っている。
触る時は頭と背面だけを触り、首や足元を触らないように注意する。
何だか、動物のふれあいコーナーへ遊びに来た小学生みたいな気分になる。
「……かわいい・・・羽根は想像以上に柔らかく・・・指先で・・・、
そっと触れると、ほんの少し温かさが伝わる・・・」
静かにそう呟く鹿子田先輩。
完全にフクロウの魅力にハマっている様子だ。
聞きようによってはポエムなのだが、
それが真実の声である以上、羞恥など発生するはずがない。
フクロウと鹿子田先輩が見つめ合う。
その間、言葉は交わされないが、それ以上の何かがそこにある。
カップを持ち上げる音、羽ばたく音、わずかに椅子を引く音、
静かな世界の音だけが響く。
沈黙の中で、ふとフクロウが首を傾げる。
その仕草が人間とのどんな会話よりも深く感じられる瞬間。
「腕に乗った瞬間・・・足の爪がわずかに食い込むけど・・・、
痛みはなく・・・心地よい重さがある・・・森の主体性を持った声・・・」
―――どうしよう、周囲の人が鹿子田ポエムを聞いている(?)
しばらくフクロウ達と過ごし、
先輩の表情がじわじわと柔らかくなってデレデレになっていくのを見て、
ふとランニングの汗を忘れそうになる。
カップを口に運んだ瞬間、ほんのりナッツのような香ばしさが広がり、
後味にかすかな苦みが残る。
もはや僕等は最初からフクロウカフェに来たのではないか、
ランニングって何だったのかという異世界ワンダーランドの入り口。
ゆっくりドリンクを飲んでいると・・・。
「……連れて帰れないかな・・・」
「え?」
「……フクロウ、家に……?」
そういうサービスはさすがにやっていないだろう。
それに、いくらなんでもそれは早急すぎる。
「いやいや、飼うのはハードル高すぎますよ!」
「……そう……?」
「飼うのに反対するわけじゃないですけど、
まず、飼ってみても大丈夫かをリサーチしてみる、
どんな餌を食べるのか、どういうフクロウの種類がいいのかとか、
放し飼いなのかケージ飼いかなど、
そういうのを納豆を一万回混ぜるぐらいにきちんと考えた上でないと、
フクロウだって可哀想です」
野暮だという気はしたけれど、あらいぐまの夜鳴きが凄い、
爪で引っ掛かれる、そして野良化して害獣みたいな話を知っているので、
一応言ってみる。
大破した自動車は復元できない。
真面目な事実というのは流行とか世の中の動向とは少し趣が違うもので、
幻影を追う一種の偶像崇拝やその手の遊戯のように思える。
鹿子田先輩の性格からして、仮にそういうあらいぐまでも、
飼い続けるだろうという気はしたけど、
―――問題は、真実は嘘から出た真ということなのだ、
現実的に人慣れしていないフクロウが、
万が一、鹿子田先輩を傷つけることだって十分に有り得る。
「それに、フクロウはつがいだと聞きます。
一夫一妻制です」
という、イチャコラチュッチュの動画を観たことがある。
人間より動物の方がロマンティックに見えるのは、
その振る舞いに一切の迷いがないからだろう。
人間はそうじゃない。
これには、ウーン、と鹿子田先輩に響いた。
見知らぬホームセンターで部品となりたい衝動はあるとしても、
フクロウを一羽飼うのと二羽飼うハードルは違う。
もちろん飼わなくてもいいのだが、鹿子田先輩は、
フクロウについて何にも知らないことに気付いてくれた。
薔薇は美しいけれど、
刺に触れてみたあとで言わなければ何の価値もない。
じゃがいもに、金粉まぶせて、
これは歴史的に由緒のある代物だと言われたってそれを見抜けない。
主観的事実と同じぐらいに、磨き鍛えあげられた、
客観的事実は大切だ。
あるいは周囲の意見をもインストールする心構え。
ある人がいえば本当になり、ある人がいえば嘘になる。
そして単純なその視点が組み合わさった複雑な形をしたものが、
確定して動かすべからざるの世間なのだ。
鹿子田先輩に言うのは迷ったので結局口にしなかったけど、
餌は見た目が可愛いヒヨコかマウスだ。
それに、胃で消化できない獲物の骨や羽毛は、食後に吐き出す。
あと、爪切りのメンテナンスでフクロウが死ぬという話も聞いたことがある。
たまたま鹿子田先輩の家の窓辺にフクロウが迷い込んでくれたらとは思うけど、
そういうのは物語でなければ決して起こりえないこと―――だ。
『ホグワーツ魔法学校からやって来たフクロウ』とか、
『植木鉢に迷い込んだフクロウの子供』というパワーフレーズでも。
それに昔犬を飼ってた人の中にはどうしても犬を飼えない人もいる。
とてもシンプルな事実だけど、生き物は死ぬのだ。
「……でも、癒される……」
どうやら完全に気に入ってしまったらしい。
鹿子田先輩の精神年齢はいまや、夢のクレヨン王国なのだ。
いいと思えたものは何処までいっても―――いい・・。
しかし、連れて帰れるものではないし、
これから買いに行くというわけにもいかないので、いったん保留、
最終的に「また来る・・・絶対に・・・」という方向で決着した。
チャンピオンベルトは預けとくぜ、といった台詞は俺が考えました(?)
でも鹿子田先輩がぼそりと呟くと、
その声には、確かにフクロウの静かな余韻が残っていた。
店を出ると、外の空気が思ったより冷たく感じられた。それが妙に心地よい。
もう一度振り返ると、フクロウたちは変わらぬ姿で止まり木に座っている。
彼女がフクロウを飼って生活の潤いを得ている未来が、
ほんのちょっとだけ想像できた。
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