第7話 ライバル


―――昼休み。


社員食堂には、ざわざわとした賑わいが広がっている。

トレーを持つ人々が行き交い、ざわめきが絶え間なく続き、

食器を重ねる音、オーダーを受ける声、

誰かが笑い話をしている遠くのテーブル。

俺はカフェテリアの列に並びながら、手持ちのトレーを持ち上げる。

あみだくじの、あみだくじらしくない部分。

細い葉末に孤独な光あつめ、楽しい筋を、運ぶ。

なにかを引いた状態でもあり、引く前の状態。

ふと視線を向けると、

鹿子田先輩が、隣の席で同期でライバルの篠崎と話をしている。

企画・開発部門所属のホープと言ってよく、将来の管理職筆頭候補だ。

全然関係ないけれど、

俺が百七十三なのに、アイツは百七十九もある。


「……この書類、どう思う?」

「うーん、なるほど。ポイントは分かりやすいですね」

「……もう少し、修正するべき……?」

「いや、むしろ簡潔にまとめているところが強みですよ」


妙にスムーズなやり取り。

いや、あれが日本語の会話というものだ(?)

俺と接する時の鹿子田先輩は、口数が少ないということはないものの、

妙に子供っぽい喋り方になる。

アコースティック・ギターのイントロみたいに、

一日中ウォーリーを探したり、梱包材のプチプチを一つ一つ潰すことに、

無上の喜びを感じるような女性(?)

それが地なのかな、と思い、それはそれで嬉しいのだけど、

ああやっていると、

年上の女性で、ばりばり仕事が出来るという一面が見える。


それにしても鹿子田先輩、篠崎と話す時だけは、

相手のアドバイスを素直に聞いているように見える。

いや、俺にだって仕事の話でアドバイスを求められることはある、

鹿子田先輩は、後輩の柚木にだって聞く。

他部署の、総務部所属の藤崎さんとだって仕事の話を詰めているのを、

見たことはある。

だから特に気にするつもりはなかったのだが、

トレーを持つ手元が、少し力が入っていることに気付く。

無意識に足の動きを遅くしてしまい、

藤崎と鹿子田先輩の席の近くを通る時間を長くしている。

気になるなら一緒に食事をすればいいのだが、

そうすると、無駄が嫌いな篠崎は、

十中八九席を立つので仕事の話が出来ない。

鹿子田先輩は、そうしても喜んでくれるかも知れないけど、

ああいう時に邪魔をするのはマナー違反だというのは承知している。


「……おい、小日向」


背後から聞こえてきた、やたら軽い声。

社内で一番騒がしい男、口うるさい同僚だ。

髪は短めのクセ毛で、無造作ヘア風に見せてるが、

意外とセットに時間をかけるタイプだ。

陽キャ系煽り屋で、とにかく口が軽い。騒がしい。

なんでも話に首を突っ込みたがる、と三拍子そろってる。

これに加えて、名刺ケース、キーケースなどはブランド物で、

微妙に見せたがるマウント気質はあるが、それ以外は、普通だ。

しかしまあ、営業と畑がちょっと違うということもあり、

成績はほどほどで、チーターしているのを聞いたこともないが、

菅野と言う。一応菅野さんと言うが、

心の中でさん付けは一度もしたことがない。

察せよって感じの人物。


「なんか……お前のポジション、危うくないか?」

表情豊かで、よくニヤニヤしている。話す時は身振りが大きい。

鹿子田先輩のキッチリしたスタイルに慣れているので、

社内規定ギリギリのカジュアル寄りは気になる。

シャツは第一ボタン開けて、袖は軽くまくるスタイルだ。

別にそれをどうこう言いたいわけではないが・・・。

「……いや、別にそんなこと……」

「いやいや、見ろよ。めちゃくちゃ仲良く話してるぞ?」


確かに、篠崎と話しているのを見る鹿子田先輩は、

かなり面白く―――ない。

ふるさと納税で送られてくるお礼品の試食会みたいなものだと、

それは認めるところだが、篠崎は仕事に真剣な男だし、

鹿子田先輩もそうだ。

おそらく午後の作業を円滑に進めるためにああやって、

食事も兼ねながら話を進めているのだろう。

そんなのは知っているのに、横からしゃりしゃり出てきて、

めちゃくちゃ仲良く話してるって、

何、ニット編みの機械みたいな口して、

てめえ、煽ってきやがるとは思う。

一個年上なので我慢しているが、いつかシメようと思っている。


でも空気はちゃんと読めるので自分がウザいなと思ったら、

消えてくれる、悪い人ではないんだろうとは思う。

それに飲み会は絶対参加、社内イベントの盛り上げ役だ。

会社に一人はいなければいけない人材だとは思う。

​​​​​​​花にむらがる蜜蜂のような完全マニュアル作成。

NPCの仲​間入り―――さ。​


こういう人こそ飛び込み営業をするべきなんだろうと思う。

営業マンにとってはそれは"ツライ"の一言だ。

当然ながら、相手からは歓迎はされない。

むしろ煙たい顔をされて追い返される。

欲しくもない胡散臭い製品やサービスを買いたがる物好きなんていないし、

詐欺や悪徳商法とよく混同され、門前払いを喰らうのが仕事だ。

そういう時に必要なのは、肝っ玉であり、一種の頭の悪さかも知れない。

尊敬はしないが、理解はする。


ボイラーで焼き芋が焼けるがごとき、

揚げ物の香りと、温かいスープの湯気が混ざり合う空間のせいか、

血気盛んな高校時代を思い出してしま―――う・・。

それは会社を辞めたいと言った時に、一度か二度あるものだけど、

上司の机に派手に辞表を叩きつけたいと思うようなものだ。


あのね、俺がイフリートだったら消し炭だぜ、

あのさ、俺がバハムートだったらお前の背後全部消し飛んでるぜー。


「菅野さん、仕事の話ですよ」

「仕事っていうか、めっちゃスムーズじゃない?」

「……だから、仕事だから」

と言いながら声が微妙に小さい。

「いや、でもなんか……雰囲気、違くない?

鹿子田さんみたいな人、絶対誰かが惚れてるだろ? なあ?」


いまの気分は何かって、あのさ、あのさ

―――ドラゴンボールの精神と時の部屋(?)


俺は何気なく、鹿子田先輩の様子をもう一度見る。

見ると、視線がふとこちらを向いてきて、胸の奥が一瞬跳ねる。

鹿子田先輩は先程まで喋っていたのを止めて、無言でこちらを見ている。

そうするとこちらも、吸い寄せられるみたいにお見合い状態になる。

蕎麦屋に行ったら水車が回っていたみたいに、

その視線に気づいた篠崎は眼を細めたものの何も言わず、

話を続けるが、俺は妙に気まずい。

目線を落とす。


確かに、ライバルと話している時の鹿子田先輩は、

微妙に、話しやすそうな空気を出している気がする。

『スパカモラブ姉さん』の確定案件とおぼしきことが続いても、

いまだにどっちつかずになるのは、そのためだ。


「……まあ、仕事で話すのは普通じゃないですか?」

「でもさ、お前と話すときは、微妙な間があるよな?」

と言われた瞬間、手元の箸を持つ動作が止まる。

首の付け根から肩にかけての強張った筋肉の強張り。

「……いや、それは……そういうもんじゃ……?」

「だよな~~~~!?」


急に声を張る菅野。

思わず眉をひそめ、妙に食べるペースが遅くなっている自分に気付く。

明智光秀の本能寺の変から先の人生、

ほぼ地下鉄東西線でめぐることができるようなものだ。


「それはつまりだよ。アイツとは普通に話せるけど、

お前とはまだ変な距離感があるってことなんだよ。

でもその距離感こそが、オスとメスなんだよな。

なあ、今から『俺は仕事一筋なんで』って言い訳しろよ、

全員嘘って分かるけどな!」


子供っぽい話者の屈折した感情。

キラキラ持ち込むなイカレポジティブモンスター(?)


患者どこだああああああ・・・!

いたああああああ・・・!

心臓マッサージいいいいいいい!

死ぬなアアアアアア、

担架に乗せろおおおおおおお(?)


「……なんか、話を大きくしてません?」

「いやいや、ラブコメならここでお前が悩むところだぞ?

本命馬はお前だと思ってんだよね、あっちはダークホース、

でもいまのままだと、負けフラグ立つな、いやいやいや、

今のお前、完全に恋愛フラグ折りにいってるぞ?」

「ラブコメじゃないですけど……」

しかし、そう言った直後――篠崎と鹿子田先輩の会話がさらに続く。

それはバグったゲームのプレイ中、

何をどうやってもゲームが進められなくなったり、

呪いの如く文字化けしたり、

キャラクターが突然、生首や全裸になったりするようなフィルター。


おお、人生よ、よくもこんなに不細工な連中が息つめながら、

楽しそうに語っている町をうみだしてくれた―――ね。


「……そういえば、最近新しい資料の整理、どうしてます?」

「……エクセルで、まとめてる」

「なるほど。関数使って最適化するのもありですね」

「……関数……?」

「よければ、簡単な方法を教えますよ?」

「……うん、知りたい」

「じゃあ、後で共有します。」

「……ありがとう」


普通に仕事の話なのに。

普通に仕事の話なのに違和感を感じるのは何故だろうか。

耳が勝手に聞き耳を立てて声を拾っているのもそうだ。

このモヤッとした感じはあんまり好きじゃない。

菅野はニヤニヤしながら、俺の肩を軽く叩き、

肩をガシッと掴み、

「お前、まじで負けるぞ? ラブコメならここ重要だぞ?

なあなあ、お前のポジション、ちょっと押されてるんじゃないか?」


マルチ詐欺の文句に似て、

風邪薬のコマーシャル程度の疑問しかわいて来ない(?)


「……いや、別にそういうことじゃ……」

「でもお前、ずっと見られてるし、見てるよな?」

「……いや、それは……」


その瞬間、眼を上げると、篠崎が話と食事を終えたのだろうか立ち上がり、

現場の逼迫度は分からず、邪魔していなければいいが、

鹿子田先輩が、やはり、こっちに視線を向けているのに気付く。

その後、菅野の方を見たのだろうと思う、眉間の寄った顔をし、

あれは―――ゴキブリを見る時の眼だなと思う。

あるいはもう―――必殺仕事人の眼だな。

鹿子田先輩も、菅野に何か言われたことあるのかな・・?


「……?」


その後、また俺の方に視線を向けて、無言でこっちを見ている。

ゴキブリを見るような眼の後のせいか、ほんの少し表情が和らいでいる。

でもそれがまた、何となく気まずい。

鹿子田先輩を困らせているような気がするのだ。

俺は、眼を完全に逸らしてしまった。

動揺した眼は火薬のように炸裂して意味を失わせ、

―――胸の奥搔きむしるみたいに探した・・。

その動きを見た菅野は完全にアウトという顔をしている。

不意に、インドの蛇が洗濯機の裏のところに入ったり、

エアコンに入ったりするのを思い出す。

穴や隙間を見つければ入りたがる性質があり、

猫よりもさらに巧みで、それはコブラだ。

眼の前のトレーの料理が、妙に味のないものに思え、

触感も粘土とかを食べているみたいな気がしてくる。


「なあ、小日向さ……」

「……なに?」

「お前、今、ちょっと悩んだろ?」

白昼夢が続く霊安室のような、

折り重なるような一瞬のアップダウン。

「……いや……」

「いや~~~~~~~悩んでるよ~~~~~~~!」

「あーもう黙って下さい!」


でもこの心の異常な切なさは何だ。

ただいたずらに流れていくことしかできない一筋の暗渠は何だ。

火が消えて骨みたいな言葉が錆びた鉄の大きな塊になる、

騒がしすぎる昼休み―――だ。

仕事の話をしているだけなのに、何となく落ち着かない時間が流れる。

だが、その後――ほんの少しだけ、

鹿子田先輩と藤崎の距離に違和感を覚えるようになった。

ただ、俺がそう怒鳴り声をあげると、

鹿子田先輩は楽しそうに微笑んでいたわけだが、

何でそんな顔するんだろう、と考える間もなく、昼休みは終わった。

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