第10話 囁かれる名と、疑念の影

誰かが、私の秘密を知っている。

それは確信に近かった。ギルド内の空気が明らかに変わっていたからだ。

挨拶の返しが遅くなり、視線がすぐに逸らされるようになった。中には、あからさまに距離を置く者もいた。


「ナオミア、今少しいいか?」


控え室の奥に、ライアスが静かに姿を現す。

私がうなずくと、彼は私を人気のない通用口まで案内した。


「噂の出所が少しずつ見えてきた」

低い声に、思わず息を飲む。


「誰なの……?」


「名前はまだわからない。ただ、最近ギルドに出入りしている一人の情報屋が、君の名を“本当の名”で呼んでいたらしい」


“本当の名”――前世での名前。

ここでは一切使っていない。知られるはずがなかった。

背筋が凍る思いだった。


「まさか……前の世界から来た人間が、他にもいるの?」


「そうかもしれないし、あるいは別の経路で情報が漏れたのかもしれない」

ライアスは腕を組んで、しばし沈黙した。


彼が静かに語ったのは、ここ最近ギルドで増えつつある不穏な動きだった。

裏取引、文書の改ざん、記録に残らない“闇依頼”。

その影に情報屋の名がたびたび浮かんでいるという。


「その情報屋は“ヴェルド”という男だ。商人を装って街を行き来しているが、どうも素性が怪しい。俺が調べる」


「私も行く」

思わず口を突いて出た言葉に、ライアスは眉をひそめた。


「君は狙われている側だ。動けば、逆に居場所を知らせることになる」


「でも、私のことなんでしょう? ただ隠れているだけなんて、もう嫌なの」

心の奥からあふれるのは、無力感と悔しさ。

前世で味わった、“知らないところで評価が下がる恐怖”が、ここでもまた私を縛ろうとしていた。


「……分かった。だが、俺の監視下で動く。決して一人では行動しないこと。いいな?」

ライアスの目は厳しかったが、それ以上に強く、私を信じてくれていた。


その夜、私はヴェルドに関する記録を洗い直した。

出入りの日時、接触した人物、滞在先――

その中に、一つだけ不自然な点があった。


「……この日、私は確かに彼とすれ違ってる」

数日前の市場。人混みの中、ぶつかりかけた男の顔が、ぼんやりと記憶に残っていた。


ライアスと共に、翌朝その市場へ向かう。

いつもと変わらない朝の喧騒、けれどどこかに、私の名を知る誰かが潜んでいる。


「奴は今日もここに現れるはずだ」

ライアスの言葉に頷きながら、私は視線を巡らせる。


この調査は、きっと始まりにすぎない。

だが、私はもう逃げない。自分の秘密と、この世界で生きるという覚悟をもって――。

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