第五話 コカイン

李は、日本に来るため名前を藤田黄ふじたこうと変えていた。

祖国名を李崇黄りすうこう

安齋俊を難破から助けた男である。


そして、その助けた安齋にコカインを持ち逃げされたのだ。


コカインが消えてからの李は取引先への対応で大変な思いをした。下手をすると命もなくなっていたかもしれなかった。


李は、安齋に対して、裏切られたという気持ちから、安齋の命を狙う男でもあった。


『生かしては置かない』そう心に誓い、何年もの月日が流れていた。


「どうぞ、木嶋さん、よかったら私の収めた、美術品をご覧に入れましょうか」


木嶋は、古美術商の山中との話に、調子を合わせ過ぎたのか、山中は気を良くして、山中の収めた古美術品を展示している赤い靴のオーナーの部屋を案内するといい出した。


木嶋は促されるままに山中に連れられ、オーナーの部屋へと向かった。國光もお供して後から付いてきた。


ダンスホールを抜けると、暗幕が張られた後ろに、隠し扉があった。

オーナーの部屋は、隠し扉を出た奥へと続く廊下の向こうにある。


廊下には目の覚めるような真っ赤な絨毯が轢かれ、まるで王朝貴族の館のようだ。


歩きながら山中が話し掛けてきた。


「赤い靴のオーナーは、藤田黄ふじたこうと申しまして、大変な骨董好きなのです。彼は私が、北京に支店を出そうとしていた時、どこかいい物件はないかと探していると、不動産から私のことを知り、古美術品に眼がない藤田さんは、私のスポンサーになってくれたのですよ」


藤田こと李は、山中のスポンサーになることで、北京での己の地位も高めようとしていたのだ。そして何より、李の最大の目的は、美術品の仕入れルートを通じてコカインを売りさばくという目的もあった。


廊下の突き当たりの角に李のマイルームは遇った。

ドアの前に立った木嶋は驚いた。


ドアはアールデコ調に装飾が施されていてすばらしい木彫のドアだ。


だが木嶋には、まるで古生代の大きな虫が止まっているように見えた。


後ろで、國光が気持ち悪そうな顔をしていた。

山中が仰々しいドアをノックすると、中から皺がれた返事が返ってきた。 


木嶋と國光は、恐る恐る中へ入った。するとどでかいテーブルの横のソファーに、一人の小柄な老人が、鎮座していた。


李嵩黄だ! だが、まさか初蔵の命を狙う張本人とは、木嶋は知らない。

山中が木嶋を紹介した。


「こちら、木嶋さん、仙台から来られたそうです。」


「木嶋さん、こちらが赤い靴のオーナーの藤田さんです」


 山中は藤田こと李を紹介した。 


「おう・・・これはこれは遠い所から、ようこそいらっしゃいました」


 李は嗄れた声で歓迎言葉を掛けると、ソファーから立ち上がり、皺くれだった手を木島に差し出した。


 そして木嶋は見下ろす小柄な老人の手を掴み、挨拶の握手を交わした。


「たまたま一緒に飲む事になりまして、話して見ると古美術に興味を持たれていると言われる、これは一度、藤田さんのコレクションをご覧に入れておかないと、と思いましてねお連れしてみました」


山中は藤田に、木嶋と知り合った経緯を説明して聞かせた。


「うへー・・・・すごいなー・・・」


 國光は所狭しと、置かれた骨董の数と、不気味さに驚いていた。


「そちらは・・・・」


 藤田が尋ねた。


「すんまへん、こいつは國光言います。儂んとこの従業員ですわ」


木島は國光のことをすっかり忘れていた。

「こんちはー・・・」

 國光が、挨拶をした。


———————————❄︎——————————


「また来てね、絶対よ!」

パーメラは、初蔵が帰るのを、地下階段を上った外まで見送りに出ていた。


「パー子ちゃん、俺じゃダメかい?」


蓮治が、からかう様にパーメラに向かって言った。


「ダメよ、あなたはデブだから」


「なっ、何だと!」

蓮治がつ振りをすると、パーメラは笑いながら地下の階段を駆け下りていった。


初蔵と蓮治は赤い靴を後にすると、その足で狩野と五郎の働く夜来香イエライシャンに向かった。


初蔵らが夜来香の前まで行くと、五郎が、夜、十一時の閉店の準備をするため外の看板の片付けをしようとしている所だった。


五郎は初蔵に気が付くと、建物と建物の間に手招きをした。


「ご苦労様です・・・あのう・・・一本・・・」


 五郎は初蔵に向かって手を擦り合わせて、指を二本突き出した。


 仕事中は煙草が吸えない、五郎は初蔵から煙草を恵んでもらうと、吸い込んだニコチンを旨そうに吹き出した。


「五郎、狩野とうまくやってるか・・・、飯も、ちゃんと食べてるか。」


「はい、大丈夫です。自分たちで、好きなもんこさえて食べれるんで! 仁ちゃんとも仲いいですよ ———それより、大変な情報が入りました。

三日前の昼時に、中国語の二人連れが喋っているのを聞いたんです。

奴等、初めは日本語で話していたんです。そしたら周りを見てから中国語に換えて喋り始めたんですよ、その内容ですが、『安齋が現れた、見つけ次第に殺せ』そう命令されたと、話していました。おそらく中国系ヤクザの手下でしょう。・・・社長! 安齋って社長の事ですよね!」


 初蔵はこれを聞いて、はっきりと判った。襲った相手は自分ではなく、安齋俊と思い襲ってきたのだと・・・、だがなぜ中国人が安齋の命を狙うのかがわからなかった。


 初蔵は困惑した。判らない、いったい何があるというのか? 初蔵は困惑した顔で何気に、赤い靴の方角に視線を向けた。


 その時! 人気のない路肩から、二人の男が、急に立ち去る姿を発見した。


蓮治もそれに気づいた。

初蔵は蓮治に眼で合図した。


すぐさま蓮治は、男たちの見えた方角へ全力で走った。

二人の男は中華街の路地、路地と、隙間を縫って逃げて行く。

その時、逃げていた男の一人が、路地から飛びだし、車に跳ねられた。


蓮治は、男に駆け寄り、何故逃げたと聞いてみたが、男は、頭から血が溢れ、間もなく死んでしまった。


蓮治は、クソッと言いながらもう一人の逃げた方角を見た。

すると遠くで立ち止まり、蓮治をジッと見ている男が居た。


蓮治は、屍体を路上に置き、追いかけた。


だが既に人影もなく、男の姿は消え失せた後だった。


「兄貴、逃げられました。一人は可愛そうに、通りにいきなり飛び出した所を、車に轢かれて死にました。もう一人は、何処にも姿ありません。だけどこんなもん落ちてました」


息を切らし、初蔵の元へ戻った蓮治は、男たちの居た場所に落ちていた煙草の吸殻を初蔵に見せた。


「この煙草・・・、日本のもんじゃねえな」


蓮治が手にしていたのは、中国、特に北京郊外で販売されている煙草だった。


初蔵はすぐに五郎の居る夜来香に戻った。

五郎と話していた所を、男に見られ五郎の危険を察した初蔵は、五郎と狩野に、この次からは電話で情報を流すようにと話し、蓮治を連れ、新宿へと引き返した。


翌日、

 初蔵等四人は、新宿安齋興業近くの喫茶・・・で今後の動きのついて話し合っていた。

 ほとんど対策が持てないままに、四人は席を立とうとした、その時、磯野部がやって来た。狩野から連絡を受けたという、初蔵らのアパートに誰もいなかった為、安齋組の磯野部に連絡がいったのだ。

狩野の話によると、夜遅くに、男二人が現れ、五郎を連れて行ったっきり夕べから帰って来ないという事だった。

 連絡を受けた初蔵は、木島ら三人を従え、直ぐに横浜中華街へと向かった。

 初蔵は思った。恐らく、昨日、五郎と話しているところ見られ、奴等に初蔵との関係を知られたのだろう。恐らく五郎は奴等に監禁されているかもしれない。

 中華街へ着いた初蔵等は、手分けをして、監禁に使われそうな廃屋や倉庫など、方々探したが五郎は見つからなかった。


 そして、一週間後

狩野までもが姿を消した。

 初蔵は、夜来香に行き店の主人に狩野の事を尋ねた。


「モウー、チョウダンジャナイヨ、マジメニ働クユウカラ、ヤトッタノニ、二人トモ、

ドコイッタカ」

主人は、行き先が判るどころか、ひどい剣幕で怒っていた。

それから数日後に、初蔵らが夜通し探し回って見つからなかった、五郎は無残な姿で現

れた。神田川から撲殺されたと見られる若い男の死体が、揚がったのだ。


五郎だった。


小さな白い布に包まれた箱を前に、初蔵は泣いた。身よりも無く、ただ無心に生きようとしていた若い命が、自分の精でこんなに簡単に死んでしまった。


初蔵は言いようの無い悲しみに、涙が止まらなかった。




—————蓮治の死


辺り一面、雪に覆われていた東京も、厳しい冬が通り過ぎ、雪解け水が、道行く人々の足元を濡らしていた。

この日、蓮治は新橋のアパートで一人留守番をしていた。

五郎の納骨のため車の運転を國光、付添い人に木島をお供にと、初蔵ら三人は出かけていったからだ。

蓮治は、狩野の連絡を受ける為の留守番でもあるのだが、この日の蓮治は、異様に落ち着かずそわそわしていた。

それは隣に住む、敦子の事でだ。

以前から、敦子に遊びにきて欲しいと言われていた蓮治だが、お隣同士に、木島と國光が居る手前、そう簡単には行けずにいた。だから今日が蓮治にとっては最良の日なのだ。

今日、敦子は仕事も休みで部屋に居る、奥手の蓮治は意を決した。だけど、手ぶらでは格好がつかない、蓮治はいつものスーパーに出かけた。

その時! 足取りの浮かれた蓮治には、物陰に潜む人影があることに気づくはずもなかった。

 スーパーに着いた蓮治は、花を見繕うとしたが、知っている花といえば、菊やチューリップぐらいなもの、どれにするか決めかねた蓮治は、スーパーの店員に聞く事にした。

「おばちゃん、あん・・あのっ、女子(おなご)にやる花がほしいんだけどよ、なんか見繕ってくれねえか」

 蓮治は、持ったこともない花束と、洋菓子を買って福寿荘へと向かった。

アパートに着き、自分の部屋のドアを通り過ぎ敦子の部屋の前に立ち止まると、キョロキョロと辺りを見回し、大きく深呼吸してからドアをノックした。

・・・・すぐに返事がない!

もう一度ノックしてみた。だが返事がない!

おかしいと、もう一度ノックしようとした時!

今度は、微かに敦子の声が聞こえた。

「あの、俺、蓮治だけど・・・」

 少し間を置いて、ドアが開いた。

 蓮治は、花束を胸に抱えると、敦子への気持ちを言葉にしようとした。

 花束を突き出し、一呼吸置いた。


その瞬間! 


蓮治の身体が仰け反るようにして、大きな花束を胸元に抱えたまま、前のめりに倒れこんだ。

「再見(さようなら)!・・・」

蓮治の耳に微かに男の声が聞こえた。中国語でさようならと言う言葉だった。

次の瞬間、蓮治の意識が遠のいた。蓮治の胸からは真っ赤な鮮血が溢れ出て、玄関に脱ぎ揃えた敦子の靴が赤色に染まっていった。

蓮治の遠のく意識の中で、敦子の真っ赤な靴が目に映っていた。

「敦っちゃん、赤い靴履だ・・・・・・・・・・・」

そのまま蓮治の記憶も意識も一瞬にして、消え去った。

蓮治は、心臓を一突きにされ死んだ。

 真っ赤に染まった玄関のそこには、血の憑いた短剣を握る男が、仁王立ちしている。

男は蓮治に追跡され、車に跳ねられ死んだ男の片割れの男だった。

 その時、台所の奥で男に口を塞がれ、恐怖におののく敦子が居た。見開いた眼からは涙が溢れ、その瞳には、花束を抱えた蓮治の姿が映っていた。

 男は敦子から手を離すと「麻煩您了」と言葉を吐き捨てると、蓮治を襲った男は立ち去っていった。


二時間後


五郎の納骨を終えた初蔵たちが帰ってきた。

何も知らず、部屋に入る初蔵。

國光が、

「蓮治の兄貴何処にも居ませんよ・・・」

「煙草でも買いにいっとるんやろ・・・」

 木島が言った。

その時初蔵は、五郎の位牌を即席で作った仏壇に置き、手を合わせていた。

 さらに一時間が過ぎた頃。

 蓮治の帰りがあまりに遅い為、おかしく思った初蔵は、電話を取りダイアルを廻した。

 安齋組の磯野部が電話口に出た。

 初蔵は、蓮治がそっちに行ってないかと聞いたが、磯野部は、事務所には顔を出していない上、連絡も入っていない。何も聞いてないと言う。

その時、國光が、ニヤニヤしながら、

「もしかして・・・お隣さんかも・・・」

 國光が呼びに行くと言ったが、初蔵がそれを止めた。

 隣に居るには、あまりにも静か過ぎると、不審に思った初蔵は自分が行くと言い、外へ

出た。

 


隣の部屋は、初蔵らの部屋のドアを開け、二歩も歩くとすぐ敦子の住む部屋のドアだ。

もしも二人が居れば声ぐらい聞こえるはず・・・初蔵がノックをした。

・・・・返事がない。

 初蔵は、ドアの取っ手に手を掛け、手前に引いて見た。するとドアは開いた。

初蔵は、なんだ居るのかと思ったが、しかし、開いたドアの向こうから初蔵の目に飛び込んできた光景は・・・・!

血の海に横たわる、蓮治の姿だった。

初蔵は言葉を飲み込むと、眼を大きく見開き、蓮治の変わり果てた姿から、なぞるようにして、目線を部屋の奥へと向けた。

奥に向けた目線の向こうには、放心状態に魂の抜けた敦子が、口を半開きに、壁に寄りかかっていた。

「・・・・・・・!」

「ウォォォォー・・・!」

その時、木島らの部屋に獣のような声が響いた。

「蓮治、蓮治、蓮治・・・うぉいっ蓮治、起きろ・・・」

初蔵は、何度も、何度も、蓮治を抱きかかえ揺り動かした。

木島と國光は、異変に気づき、駆けつけて見ると、そこには、顔から血の気が失せた初蔵が、変わり果てた蓮治を抱えて肩を震わせていた。

一瞬、何が起こっているのか、判断出来なかった木島と國光も、真っ赤に染まった花束に、我を失い泣き叫んだ。

「誰や、誰や、誰やこないな悪さしよるのは・・・・」

 木島が、泣き顔になりながら、叫んだ。

 初蔵は、放心状態で居る敦子の傍へしゃがみ込み、落ち着いた口調で尋ねた。

「どうしてこんなことになったんだ・・・誰に殺られた・・・・」

 敦子は、泣き腫らした目をゆっくり初蔵に向け応えた。

「・・・男の人たちが、突然上がりこんできて、・・・騒ぐと殺すと言われました。そのうち蓮治さんが訪ねて来て・・・・」

 そう言って敦子は顔を覆った。

「どんな奴だった・・・」

「・・・私には日本語で話してましたけど、男の人同士で話しているときは、中国語のようで、何を話しているのか判りませんでした」

「中国語・・・・!」

初蔵の中で、何かが弾けた。

「蓮ちゃん・・・ヒッイ、ヒック・・蓮ちゃん・・・わぁーん、蓮ちゃんが死んじゃった」



國光は子供のように、泣きじゃくっていた。

初蔵は、仏となった蓮治を抱ると、敦子の部屋から初蔵らの部屋へと戻った。

部屋に戻った初蔵は、蓮治を五郎のお骨の前に横たえた。

蓮治を囲んだ三人は、黙ったまま・・・誰も喋らない。しばしの沈黙に時間だけが経っていった。

蓮治の亡骸の前に座る初蔵の脳裏に、蓮治との思い出が蘇ってきた。

すると初蔵の口元がふっと緩んだ。そして独り言のように呟いた。

「お前は、ほんと臆病な奴だったな、・・・正子を助けに行ったときも、長ドス抱えて震えてたっけ・・・・・それから・・・組の金持って漁船に隠れてたっけな・・・・・」

 そう言いながら、初蔵の眼からポツッ、ポツッと涙が零れ落ちた。

 木島と國光も目頭を拭きながら黙ったまま、鼻を啜っていた。・・・・

そのまま朝を迎え、六時を廻ったころ、突然電話のベルが鳴り響いた。

狩野からだった。

電話は、初蔵を呼び出す内容だった・・・・。




豚殺場


呼び出されたその場所は、豚殺場だった。

足を踏み入れたその中は、吐く息が白くなるほどにマイナス温度に設定してある。

初蔵が拳銃を構え先に入った。

天井には、何本もの蛍光灯が豚殺場を照らしている。

「誰かおるんかー」

 初蔵が怒鳴ったが、音一つない。

 次に木島と國光が同時に入った。

 勢い良く入った二人は、ぶら下がっている皮の剥ぎ取られた豚に、顔ごとぶち当たり、小さな悲鳴を上げた。

 初蔵は、何十体と吊るされた豚を掻き分けてゆくと、木箱が積み上げられている空間に出た。そこには、皮を剥ぎ取られた豚と一緒に、吊るされた狩野の姿があった。

初蔵は、生きてるかと、狩野に呼びかけた。

すると向こうから、微かに狩野の声が聞こえた。


初蔵が狩野に近付こうとした。 その時、初蔵目掛け銃弾が飛び込んできた。

銃弾は初蔵を外れ、吊るされた豚肉にめり込んだ。

初蔵も、すかさず撃ち返した。

殺し屋の男は豚の背後に隠れた。

今度は、反対側から撃ってきた。

このままでは狙い撃ちにされると考えた初蔵は、豚に自分の上着を着せるとその豚を抱え、殺し屋の近くまで放り投げ、一発発射した。

殺し屋供は、服を着た豚を初蔵と思い込み、豚目掛けて一斉に、玉が切れるまで撃ち尽くした。

豚殺場の中は、拳銃の騒音でいっぱいになった。

一人の殺し屋が、初蔵の死を確認しようと、上着を着た豚に近付いて来た。

その時、初蔵は、吊るされた豚に隠れながら、音を立てずに、殺し屋にそーと近付いて

いた。

 男が変わり身と気づいたその瞬間。

後ろへ回り込んだ初蔵は、豚を吊るしていた針金を掴むと、男の背後から、男の首に巻き着け、壁に吊るされたフックに引っ掛けると、針金を腕に巻きつけ、それを思いっきり下へ引っ張った。



男の足は数センチ地面から離れ、巻きついた針金が首に食い込んでいた。

殺し屋は騒ぐ事も出来ず、足をばたつかせると舌を出し絶命した。

その時、引き攣った悲鳴が聞こえ振り向くと、手下の一人が逃げ出そうと走り出していた。

木島が拳銃を構え、逃げる男の足に命中させた。

逃げ出そうとしていた男は、腰を句の字に曲げ、足を抑えてのた打ち回っている。

そこに冷徹な表情の初蔵が、國光の刀を抜いて男に近付いた。

初蔵は、男の首筋に刃先を当て、頼まれた人間を教えろと迫った。

男は、初蔵の恐ろしい形相にあっけなく白状した。

生け捕りにした男の口から、殺しの指示を出していたのが、赤い靴のオーナー藤田と判った。

 それを聞いた初蔵は、藤田と出会った時に感じた、あの時の殺気を思い出した。

初蔵は、横浜の赤い靴へとシボレーを飛ばした。

木島と國光を乗せたシボレーは、まるでゼロ戦戦闘機が滑空するかのように、本牧埠頭を駆け抜けていった。

数時間後、赤い靴の地下入り口に立った初蔵は、懐から出した銃を握ると、階段を一気に駆け下りた。その後を木島と國光も追従する。



フロントの扉を開け初蔵は、険しい形相のまま、ずんずん前に進んむ。

フロントでは、会計係の男が歳が若く見えると、若い女連れの男に、身分証を見せる見せないで小競り合いをしていた。

初蔵がフロントの前を素通りしようとしたとき、ドアボーイを兼ねたフロントの男が、慌てて前金の料金を払うようにと咎めに来た。だが、男は、初蔵の普通でない様子に息を飲んだ。初蔵の手に拳銃が握られていたからだ。男は目から力が失せ棒立ちに立ち尽くした。フロント会計係の男が初蔵らに気づき、小競り合いをしていた若い男女から初蔵等の方へ目を向けたが、手にした銃を見て動けなくなった。そして小競り合いをしていた若い男女が、振り向いた。

二十歳そこそこの男は女の手をとると、一目散に階段を駆け上り帰って行ってしまった。初蔵は構わずダンスホールに続くドアを開けた。

初蔵等は、踊りに夢中になっている客を蹴散らしながらダンスホールを通り抜け、木島の案内で、暗幕の張ってある秘密の扉を開けようとした。そのとき、何処から現れたのか、数名のどう見てもウエイターではない男供が、行く手を遮ってきた。だが、初蔵の恐ろしく殺気だった一喝に怯んでしまった。

怯んだところを木島と國光が、拳銃と日本刀で、一歩でも動いたら鼻の穴を一つ増やすと木島が脅し、一方國光は耳を殺ぎ落とすと脅していた。



初蔵は、オーナーの部屋につづく赤絨毯の廊下を悠々と進んで行くと、虫がへばり付いているようなドアの前に立った。

初蔵は、銃を構え、木島と國光に目で合図をすると、一気にドアを開けた。

すると目の前に、坊主頭の男が銃を構えて待ち伏せていた。

坊主頭の男は、閻魔大王の様な形相で、初蔵の鼻っ面に銃を突き付けた。

初蔵は、両手を挙げ、降参というような素振りを見せ、一歩前に進み出て男に近付いた。

坊主頭が初蔵の握る銃に手を延ばそうとした時!

次の瞬間!

初蔵は、素早い動きで男の腕を捕ると、坊主頭は空中を一回転してガラスケースの上に、投げ飛ばされた。

 男は割れたガラスケースの破片で首の動脈を切り絶命していた。

 部屋の奥へ進むと赤い靴のオーナー、藤田がソファーに掛けていた。

「せっかくの骨董品が割れてしもうたな・・・ありゃあ李朝と柿右衛門やろか」

藤田は、その声の方向へ首を傾けると、鰓ばった顔の木島が、細長い目で冷ややかに藤田を見下ろしていた。

「お前は・・・・」




藤田は、憎々そうな表情で木島を睨んだ。

「爺さん・・・・」

 初蔵が、藤田に近付いた。

初蔵が近付くと、藤田の杖を握る手が震えた。

初蔵は、老人藤田の前に仁王立ちなると、額に銃を向けた。

「何故、俺を狙う!・・・何故、安齋俊を殺そうとするんだ!」

藤田は近付いた初蔵の顔を見て、不思議な顔に変わった。

「・・・お前には、ここに刀傷があったはずじゃが・・・」

そう尋ねられた初蔵は、自分は安齋の身代わりだと話した。

それを聞いた老人藤田は、驚きを隠せない表情で初蔵の顔を見やった。

藤田こと李は静かな口調で、安齋を襲う理由を話し始めた。

初めに、中国名が李崇黄であること、そして、安齋に横取りされたコカインが無くなった事で、その後、李はカポネ一家の連夜に続く拷問を受けたこと、手下も何人か見せしめ

に殺された事など、安齋を生かしては許されない事を話した。

初蔵は、この話によって自分は初めから安齋に利用されていた事に気づいた。

だが多くの仲間が李の手によって殺されたのには変わりない、初蔵は一度下げた銃口を

李に向けた。



その時! 

「やめてー・・・!」

開け放した扉の向こうからパーメラが、眼に涙を溜め絶叫した。

そして、李に駆け寄ると覆い被さり、

「お願い、撃たないで、お願い・・・」

パーメラは悲痛な眼で初蔵を睨みながら、

「爺爺が死んだら、私一人ぼっちになってしまうの・・・・」

「・・・・・・・」

「・・・爺さん殺しても、五郎も蓮治も生き返らねえ・・・・」

初蔵は銃を下げた。



修羅が眠るとき



二月某日

この日、初蔵は、蓮治の遺骨を安養寺に預けると、安齋の居る議員会館へと向かって行った。



「初ちゃん、ほんまに一人で行くんか・・・」

 木島が、諦めた表情で言った。

「・・・・初蔵は、頑固に言う時は、どう言うても聴かんからな、正子ちゃん時も、そうやったしな」

「兄貴、俺にもお供させてください・・・」

國光も、蓮治の仇を取りたいと、喰いついたが、聞き入れてくれない。

「いや、これは俺が簡単に引き受けたことから、三人も死なせてしまったのだ、だから、自



分ひとりの手で決着を着けて来る」

初蔵は、殺された三人の供養に、一人で安齋の首を取ると言って、木島と國光の助けを

断った。

「これ、使ってください・・・」

 國光が、祖父の形見の刀を差し出した。

 刀を掴んだ初蔵は、國光の肩に手を置き、大丈夫だと言った。

そして初蔵は、もしもの事があったらと、正子への手紙を木島に渡すと、木島の手を握り力を込めた。

「じゃ、行って来る」

初蔵は、力強く言うと、新橋のアパートを後にした。

シボレーの助手席には國光が貸してくれた日本刀、腰には蓮治に預けていたコルトを差

して永田町へと向かった。

 発進させて間もなく、歌舞伎町に差し掛かると、数名の男供が道脇に並んで立っている。そこを通り掛かると、男供は一斉に頭を垂れた。

 安齋組の磯野部と日向、そして組幹部の連中だった。

 実の親分を殺ろうとしている初蔵に、彼等は敬意を表したのだ。身代わりの安齋と判っ

ていても、短い期間だったが、初蔵の人と成りが身に染みていたのだろう。



シボレーは、一定の速度を保ち、四谷から麹町を抜けた。

半蔵門に差し掛かったとき、初蔵は一旦車を止めた。そしてトランクを開けると中から

真新しい背広にシャツと靴を取り出し、着替え始めた。

 ネクタイを締め上げたとき、そこには参院議員の安齋が立っていた。

 初蔵は、ここで参院議員安齋に化けたのだ。永田町の参院議員通用門を通るとき警備員が居る。関係者か通行手形がないと通れない、その為だ。

 初蔵は、刀をゴルフバックに入れ、シボレーを乗り捨てると、タクシーを拾い議員宿舎を告げた。

タクシーは、永田町参院議員通用門に差し掛かると、警備員に止められた。初蔵が、窓を開け威厳のある口調で、急いでいると言うと、直ぐに通してくれた。

警備員は敬礼をして見送っていた。

安齋の棲む家は永田町通用門から三十分程行った平川町の閑静な高級住宅地の一角に、安齋俊の議員宿舎はある。

宿舎前にタクシーを停車させると、初蔵は、運転手に戻るまで待っているようにと告げた。

初蔵は、ゴルフバックを抱えて、安齋の居る宿舎のドアを叩いた。すると秘書らしい男が出迎え、目の前にいる安齋を見て、一瞬おやっという表情になった。秘書は確か安齋先生は書斎に居た筈だがと思ったのだ、だが、安齋に成り済ました初蔵が、ご苦労さんと言うと、疑いもせずに中へ招き入れてくれた。

玄関に入ると秘書が自分の部屋の秘書室に戻ろうとした、初蔵はその秘書を呼び止めると、これから大事な客が来るから今日はもういいから家に帰るようにと言いい秘書を帰した。

初蔵は土足のまま上がり込むと安齋の居る書斎に向かった。

書斎の前に立ちドアに手を掛ける、鍵は掛かっていない、静かにドアを開けると、安齋幸太郎に名を変えた本物の安齋俊がいた。安齋は机に向かい何やら書き物をしている。

初蔵はドアの前に立ち、背中越しに安齋を睨みつけた。

無心に机に向かい書き物をしていた安齋は、背後に気配を感じたのか、はっとして振り返った。

振り返った安齋の目の前には、自分と瓜二つの男が立っている。

二年前に自分の影武者を頼んだ男、初蔵が立っていた。

安齋は初蔵の表情の消えた顔を見て、狼狽を見せたが平静を装い、話し掛けた。

「これはこれは、珍しい方が来ましたね・・・」

初蔵は、久しぶりに本物の安齋俊の顔と声を聞いたが、二年前に聞いた正義のある声に

はもう聞こえてこない。



「・・・・・・」

 初蔵は黙ったまま安齋を睨み続けた。

 初蔵は、ゴルフバックのファスナーを静かに開けると、無言のまま日本刀を取り出した。

初蔵が安齋ににじり寄る。

安齋が後ずさりする。

次の瞬間!初蔵が刀を振り下ろした。

安齋の座る机の横に誇らしげに置かれた達磨が真っ二つになった。

「まっ待て! 話せば判る」

安齋は事の成り行きを察し、慌てて手を初蔵に向けた。

その勢いで書き込みをしていた書類が、床に散らばった。

初蔵は、刀を振りかぶると無表情のまま、その突き出された腕目掛け、刀を大きく振り下ろし、腕ごと切り落とした。

ドサッと落ちた腕は絨毯に転がった。

次の瞬間、「ムゥッ」という呻と安齋の口がへの字に曲がり、白目を剥いて悶絶しながら床に転がり足をばたつかせた。

初蔵は、苦しむ安齋の髪を鷲掴むと拳を振り上げ、安齋の顔を何度も殴打した。

「げはっ、がっ、ま待ってくれ、頼む! 命だけは獲らないでくれ」



髪を振り乱し、口から血反吐を吐きながら、嘆願する安齋。

震え、紫に染まった唇からは血紫の泡を吹き、切り落とされた腕からは白い突起物が突き出していた。

 外は日が落ち始め、薄暗くなった宿舎の通路や庭に、外灯が灯り、静けさが染み渡って

いる。庭には雪解けの隙間から猫柳の芽が覗いていた。


「貴様の精で、三人の大事な命を無くしたんだ・・・生かして許せるか !」

初蔵は憎しみの限り、吼えた。

その声に憑動されたのか、安齋は辛うじて立ち上がると、机に向かい倒れこんだ。

初蔵は、刀を持ち変えると倒れこんでいる安齋に近付いた。

その時、苦悶に険しい形相をした安齋が、机の引き出しに手を伸ばすと手には拳銃が掴まれていた。

銃口は初蔵に向け発射された。

銃声が鳴り響き、銃弾は初蔵の左の頬を抉(えぐ)り、壁に減り込んだ。

初蔵の頬から血が滴り落ちる。

安齋は体制を起き上げると残された右手に、拳銃を構え初蔵の胸に向けてきた。

「わかった、どうやら俺が死ぬ運命のようだな」

 そう言うと初蔵は、刀を捨て両手を後ろに組んだ。




「くそっ、貴様のようなチンピラに何が出来る、所詮は何の力もないチンピラだ」

そう言うと、初蔵の額に狙いを定め、引き金に指をかけた。

その時、初蔵は腰に隠していたコルトを素早く抜き放した。

銃弾は安齋の残された左腕に命中した。

安齋の銃が手から離れ床に落ちた。安齋は慌てて銃を拾おうとした。

すぐさま初蔵は、透かさず刀を拾い上げた。


次の瞬間!

安齋の首筋が光り、ゴロリと生首が床に転がった。


床に転がる生首は、魂が抜け落ち虚(うつろ)ろに見開かれた眼で虚空(こくう)を見上げていた。

初蔵は倒れこむように、いままで安齋が座っていた椅子に腰掛けると、大きく息を吐くと声を上げて慟哭した。

 



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