第五話 再会
昭和二十三年、冬
この年、クリスマスを前にした23日、巣鴨留置場において重大戦争犯罪人として東条英機ら七名が処刑された。
初蔵は、また安齋の替え玉として来たときの様な日常に戻り、社長の椅子に腰掛け、書類に目を通していた。
「失礼します」
ドアがノックされ、藤井玲子がコーヒーを運んできた。
玲子は、まるで何事も無かったかのように振舞い、コーヒーソーサーにカップを載せ替えて初蔵の机に置いた。
そして何事も無かったように書類に目を通す初蔵。
玲子がお盆を胸に抱え背筋をピンと張り、
「ご無事で・・・・・」
そう言うと息を詰まらせ、口に手をあてた。
玲子は、無事に生還した初蔵に声を掛けようとしたが思わず涙ぐんでしまった。
初蔵は、そんな玲子の気持ちに応えるように、玲子の手を握り締めた。
「少しお太りになられたのでは?」
玲子が涙を拭きながら言った。
「おっ、そうかな・・・だいぶ川の水を飲んだからな」
初蔵は、おどけたように言って見せた。
「まぁ!おほほほ」
初蔵の失踪以来、玲子は初蔵の身を案じ不安と緊張で張り詰めた毎日を送っていた。
だからあまりの屈託の無い初蔵の表情に、玲子は思わず笑ってしまった。
「玲子には本当に心配掛けたな、それに随分助けられた」
初蔵が宗和会の支部で争っているとき、背後から拳銃で狙われていたのを、玲子が狙っていた男を撃ち、危ないところを助けたのだ。
玲子は、初蔵から無事に生還した経緯を聞き、安堵した表情で部屋を出て行った。
玲子が出てゆくと引き出しからゴールデンバットを取り出し火を点け、胸の置くまで吸い込むと旨そうに天井に向けて吹き上げた。
一本吸い終わり、受話器をとり上げるとダイアルを回した。
木島が電話口に出た。
相変わらずの関西弁は、東北に居ながらにして陳腐なものに聞こえる。
「心配掛けてすいませんでした」
「いっやぁ、生きとったか、やぁ良かった良かった、心配しとったでほんまに、雅子ちゃんもえろう心配したったで女房泣かしたらあかんわ、で、どないしたん?」
木島が真顔の口調になった。
初蔵は木島に一部始終を話し始めた。
話しを聞いていた木島が、初蔵の声を遮り、地元でおかしな事があると言い出した。
なんでも初蔵が行方不明になっている間に、雅子の家に片言の日本語を話す男が何人か訪ねてきたという。
「なんや、けったいな奴やでぇ、旦那は何処にいるだの、何をしている人かとか根掘り葉掘り聞きよるんやと、ほんで初ちゃんの、なんて答えたと思う〈漁船乗って半年は帰らんと〉言いよったんやて、そりゃ安齋の偽者言うわけにはいかんやろけど、まぁ頭の回るおなごやなぁ、にしてもどないしてそんな連中が来よるんやろな」
不信がる木島に対し、橋の欄干で襲われたときの様子を話した。
「あの時、確か日本語じゃなかったな」
初蔵は想い起していた。
「初蔵、気ぃ付けた方がええで、なんやきな臭いな」
初蔵は木島の忠告に頷き、受話器を置いた。しばし考えて見た、しかしどうしても思い当るような事はない。漠然とだが嫌な胸騒ぎがした。
また受話器を取り上げダイアルを回した。
夕日が落ち初蔵の部屋が、朱色に染まり初蔵の顔をまぶしく照していた。
2
こともあろうに安齋組長とも知らず、大口を叩いてしまった狩野は、すっかりしょげてしまい事務所の隅に腰掛むっつりしたまま、大人しくなっていた。
コーヒーを飲み終わった初蔵は、インターホーンで磯野部と日向を呼んだ。
初蔵は、宗和会の動きが気になっていた。一連の事件だ。美津子が死に、そして初蔵までも危なかったのだ。思い当たる事と言えば、宗和会との抗争の直後に起こった訳で、どうしても結び付けてしまう。
ノックがされ、二人が入ってきた。
長身で男前の日向、がっしりした体格の磯野部が初蔵の机の前に並んで立った。
初蔵はおもむろに二人に向かって話し始めた。
「実はな、俺を刺した奴を探し出そうと思ってな、・・・・・お前たち二人、明日からまた俺の代わりに組と会社を仕切ってくれねえか」
初蔵は改まった口調で間を置きながら話した。
「しかし、社長それは危険じゃないですか。相手が誰かも見当もつかないでいて、それに今度もしもの事があったりしたら・・・俺等どうしたらいいか。今回は無事でしたが、奴等だって二度もへまはせんでしょう・・・・・勝田さんは無茶すぎる」
日向は、珍しくヒステリックになった。社長業に専念してればいいものを宗和会との抗争以来から幾度となく初蔵の身は危険にさらされてきた。おそらく日向と磯野部にとって初蔵は既に身代わりの親分ではなくなっていたのだろう。初蔵が死ぬような事があれば・・・いや死なせてはならないという思いが心に宿っていたのだった。
初蔵は、日向と磯野部の気持ちが痛いくらいに胸に刺さった。
「すまんな、しかし今回は俺が動く、俺が襲われたのはともかく、美津子までもがあんなむごい殺され方をされて・・・・、犯人が逮捕されたと言うが、何か合点がいかない。
このままにしていたらば、いつまた周りの人間に危害が加わるとも知れない。俺が動かない事には奴等をおびき出すことが出来ないだろう 。
だからお前たちに此処を任せる。社長命令だ !
いいか日向は安齋興業に専念してもらう。
磯野部は組に居て、美津子が殺されたその当時の事を知っている者がいるという情報が入ったら、知らせてくれ。
それから宗和会の動きと余所の組が入り込んでいないかも、そっちの方もなにか判ったら知らせてくれ。俺は明日から此処を離れて木島さんたちと行動を供にする」
「えっ、木島組の方達を呼んであるんですか」
磯野部が言った。
「助っ人にまた木島さんを呼んである。俺は木島さん達とこれまでの事件について少し調
べ廻る。明日にも木島さんが着くと思うから磯野部、住処を用意しててくれないか」
「分かりました」
と、磯野部が返事を返した。日向が横でぺこりと頭を下げた。
3
翌日、午後二時、木島組が安齋興業に到着した。
社長室前の廊下が賑やかな関西弁が飛び交っている。
初蔵はすぐに木島と分かり入り口のドアを開け、迎えに出た。
すると元気を取り戻した木島が、厳つい鰓顔に満面の笑みを浮かべて大股に、歩いて近付いてきた。
「よおっ、初っ・・・安齋さん」
木島は初蔵の正体を知らない組員の手前、安齋と言い直した。
その後ろからは、斎藤蓮治と杉村國光が目を輝かせて歩いてきた。
三人が部屋の中に入ると荷物持ちの新入りが、初蔵に挨拶すると部屋を出て行った。
「いやいや、よかったわほんま、どないしよう思ったで、いやほんま無事で良かった。そや、正子ちゃんもかなりへこんでたで、儂らも心配でな、食堂に時々様子見にいっとたんやけど、あん人も気い強いさかいな、よう顔に出さんけど時々ボーと、しとったわ。そやけど初ちゃんの無事の知らせ聞いて元気になっとったわ」
木島は、初蔵が無事であった事がよほど嬉しく、唾を飛ばしながら喋った。
「兄貴、ご無事で・・・・」
そう言い蓮治が涙ぐむ。
「・・・・・・」釣られて國光も目頭を拭いていた。
電話では無事だった事を伝えてはいたが、対面するのは今日が始めてだった。だがそれも仕方ない東京と宮城ではそうなかなか会う事も出来ない。
初蔵は奥の応接間に三人を招き入れ、襲われたときの様子を語り始めた。
そして木島も、電話口で話した食堂に尋ねてきた男たちの事をもう一度、話して聞かせた。
横で話を聞いていた國光が、中国人ではないかと言った。
初蔵がなぜそう思うかと尋ねると北海道に居た頃、ある地区に行くと中国人が多く住んでおり、中国鉛のひどい日本語をよく聴いたという。
それを聞いた初蔵はふと思いついたように、電話の内線ボタンを押して一ケ月前に入ってきた松井五郎を呼びつけた。
「社長、連れて来ました」
中堅幹部の野田が、驚いた表情の五郎を連れてきた。
五郎が、遠慮深そうに応接間に入ると、まるで米撞きバッタのようにお辞儀をして見
せ、自分は、何を仕出かしたのかといった表情で突っ立っている。
初蔵は、五郎が韓国人の血が入っていることを思い出し呼んだのだ。中国人ではないにしろ何か手掛かりになると思った。
木島に五郎を紹介すると、襲われた夜の事を五郎に話して聞かせ、何か心当たりはないかと尋ねた。
それを聞いた五郎はほっとした表情に戻った。
初蔵の話が終ると、横から木島が地元の勝田食堂に尋ねてきた男の話し方を真似してみせた。
すると五郎がそれは中国人の訛りに似ていると言う。五郎は韓国人との混血ではあるが学校に居た頃は、韓国人と中国人が一緒だったため中国語も話せた。学校に通う子供達のほとんどが横浜中華街で働く親の子供たちだった。
それを聞いた初蔵は、襲った犯人を中国人と断定した。そしてひとつの作戦が浮かんだ。会社と組を初蔵の留守の間仕切っていた磯野部と日向に任せて、初蔵は、五郎を加え木島等五人で中国人の集まる横浜中華街を中心に内偵に行こうと考えたのだ。
命を狙われている身の上としては無謀なことではあった。だが初蔵は得体の知れない殺意が自分の身の回りにある事をこのまま放っては置けなかった。
「恐らく俺を襲った奴と美津子を殺した犯人は・・・いや、殺しに向けた野郎はおそらく
同じ野郎に違いねえ、そこでまずは俺を襲ってきたあの小僧を探し出す」
自分が襲われる事はさておき、いつまた周りの人間が犠牲になるとも限らない。まして初蔵の留守の間、地道に食堂を切り盛りしている女房の正子までも巻き込む恐れがある。現に怪しい人物も周りをうろついているようだ。初蔵は美津子を殺した犯人と自分を襲った犯人を裏で操る人物がいると考えていた。
「まかしとき儂等が、そいつら見つけ出してママの仇とっちゃるけん」
そう言うと木島は初蔵の腕をガシッと握った。横から國光と蓮治も初蔵の腕を掴んだ。
五郎が眩しそうに四人を見つめていた。
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