第三話 浮世絵と弥治郎

「いらっしゃい!」


「よっ、オヤジ久しぶりやな」


 暖簾の陰からのエラの張った厳つい面相が現れた。

木嶋と鰓顔がよく似ている。


この日、國光を連れた木嶋が居酒屋に現れた。


「ケン坊、珍しいんでねえが、ぱったり来ねえど思ったら、今日はどうすた。何があったが」


「なんもないがな、たまには、ほれっ、こいつらにも飲ましてやろ思ってな。それよりオヤジそのケン坊言うのやめてくれんか、わいも四十過ぎやで」


 木嶋が中学の頃から世話になっていた弥治さんこと稲葉弥治郎がこの店を経営している。弥次郎だから店の名を弥治郎兵衛。そして弥治さんだから木嶋はオヤジと呼んでいる。また木嶋にとって本当のオヤジのようでもあった。


この店だけは唯一ヤクザの肩書きなしで飲める。

木嶋の安らげる場所だ。

 木嶋は、おやじに二人を紹介し、木嶋を真ん中にカウンターの隅に三人で腰掛けた。


「へぇー、おやっさんもこういう店にんですね、キヤバレーばっかだと思ってたら」


 ひょうきんな國光が、冷やかし気味にカウンターの天井を見上げ、肩を揺すりながら言い、店の中を見渡した。國光は、不思議なものを見るような眼つきで壁にかかった額縁を見ていた。


「なんだ坊主、めずらしいか? あれは浮世絵っつってな、昔の風俗画を版画にしたものだ。どうだ、迫力あるだろ、今見ているのは歌川国芳という江戸時代の版画師が曽我兄弟の仇討ちを版画にしたものだ。」


弥次郎が木嶋に目配せしながら酒棚からラベルの貼ってない一升瓶を木島に手渡した。


「ほうほう、まだあったんかい、こいつが美味めんだなあ」


「なんすか? それ」


 蓮治が怪しい眼つきでラベルのない酒を指した。

「オヤジのブレンド酒や、おうっ、まあ飲めや」


木嶋が、鉛色のガラスコップに浪波と注いだ。

三人は、酒のこぼれそうになったコップの酒に、三人揃って口を寄せてすすって見せた。

「美味いっすね、この酒、ねっ蓮ちゃん」


「蓮ちゃん、て、國光、お前ぇ気持ちわりいな」


「おまえらも仲がいいんだか悪いんだか、ようわからんなあ」


酒が進み、三人は黙って呑み交わす。初蔵のことは誰も口にしない。あえて話題にしないようでもあった。

 カウンターを挟んで頬のせた還暦過ぎにも見える弥次郎が三人の前に座り黙ったまま、煙草を燻らせている。

 蓮治が口火を切った。

「あのう、うちのおやっさんとは、どんな関係なんですか?」


 カウンター越しに、弥次郎に声をかけた。

 黙ったまま弥次郎が立ち上がり、三人に酒を注ぎ足した。


「ケン坊、十九の頃だったがな、不良供に追っかげらいで、店の中さ逃げで来たんだ。息さ切らしてな、血相変えで隠してけろってなあ、そっからの付き合いだな。だれえ相手が悪がったもの札付ぎの船乗りだ」


「そんでどうなったんです」


「んー・・・・・」


 弥次郎が木嶋の横顔をちらりと見て、

「殺すだの、簀巻きにするだの物騒なごど言うがら丁重に言って帰ってもらった」

 

木嶋は黙って聞いている。

 横から國光が興味深そうに首を伸ばしてきた。


「おやっさん、そいつらに見つかっちまったんですか」


 蓮治が木嶋に尋ねた。木嶋はただ笑っている。

 八時も過ぎた頃、ぱらぱらと客が入りだした。


 弥次郎は店を一人で切り盛りしている。新しい客の接客へ向かった。

 木嶋が手酌で酒を口に運び、グビッと音をたて飲み干した。

弥次郎の後姿を見ながらぼそっと呟くように語り始める。


「オヤジのお陰や、今の儂がおるのも、あん時、便所に隠れとる所を見つかってしもうてな、連れていかれそうなったんや、ほしたらオヤジ、厨房から包丁掴んできて、体張って追っ払ってくれよったんや、始めて会った儂の為にや・・・あん頃は、儂も怖いもの知らずでな、ほんまどうなっとったか・・・・命の恩人や」


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