朔の夜


 ぷかりと浮かぶ煙草の煙。

 別に旨くも不味くもないがこれは敵性のマジリモノ除けだと説明されて事実マジリモノは寄ってこない。

 世界が混ざってあたりまえが覆されて二十年連れそった相方は海に棲まう異形のバケモノに喰われた。

 バケモノは相方の顔で笑って俺を手招く。


『オミクン、コッチにおいでよ。イッショイヨォ』


 辿々しく波間に顔を出して綺麗な手を上にあげて振る。相方に贈った銀の指輪がキラキラキラキラ光を放つ。

 ふぅと煙草をふかせば幻の相方は波間に消える。

 あの日、家が崩れた。

 崖を滑り落ちる家の中で雪崩れた家具に体をぶつけ、赤く染まる相方を見ていた。


『オミクン、オミクン』


 時々声を出せないままに痛いだろうに手を伸ばして呼んでくる。

 たぶん、あれはあっという間の出来事だったんだろう。

 砕け落ちた天井……いや、壁の向こうに広がっていた気味の悪い空。

 ぎょろりとした目玉が気味の悪い空の向こうからこちらを見渡していた。

 相方ではなくそちらを見ていてしまった。

 着水を感じた。


『ぃああああああ』


 夜の海に絶叫が響いた。

 ひどい耳鳴りに苛まれながら相方を見やれば、相方がわけのわからない生き物に食い散らかされていた。

 死にたくないという反応に応えた共生相手は冷たく『助けられないな。おまえだけだ』と宣言してきた。

 喰われていく相方をただ見ていた。

 指輪をはめた指が、手がまっすぐに伸ばされているのにこの手は動かない。

 助けたい助けさせろ助けるんだ頼む動いて動かさせて見捨てるつもりはないんだ助けたい助けたい苦痛から痛みから助けたいんだ!


『え。おまえ。喰われたいの?』


 え?

 相方が、助けを求めて……手を、伸ばして……。

 笑って、いる?


『オミ、クン』


 笑っていた。

 綺麗な相方のかおで。

 綺麗な相方の手を伸ばして。

 何匹もの蛇をまとわり付かせて、得体の知れない尾で水面をばちばち叩いて。

 相方の顔で、相方の声で鳴くバケモノがそこにいた。


 もはや過ぎ去りし悪夢と言いたいのに煙草の煙が晴れれば相方は変わらず呼びにくる。

 誘惑に負けて相方のもとへと望めば、生きていたい共生者が体の所有権を主張し、相方を始末するだろう。

 ……生きて、いるのだ。

 どこまでの意志思考を保持しているのかはわからない。

 けれど、生きて名を呼んでくるのだ。

 老いていくことなく、むしろ徐々に若返りながら。

 だから。

 海から離れることができない。

 他の誰かが相方を狩ることも許せはしない。


「アレが船橋のおじさまの大事なヒト?」

 視界の端で赤い髪が揺れる。

 視線を上げれば白いワンピースから伸びる白々とした素足。少し厚手とわかる丈の短いジャケット(ボレロと言うらしい)。ふりふりとした白クラゲみたいな傘をくるくる回す見知った少女が空中に佇んでいた。

「あまり夜に出歩くもんじゃねぇよ。つーちゃん」

 波に揺れる船のヘリに腰をおろした少女に一応「服が汚れる」と伝える。

「夜は気持ちいいもの」

 共生種と契約する前から夜行性だった少女は夜の自由を得た。

 自由に髪を風に晒し、薄着で足を遊ばせる。

「昼間に起きてられなければ学校に行けねぇだろ」

 ガキは学校に通うもんだ。行ける間は。

 混じった当初から多少の問題は起こりつつも『現状』を維持してきた町では幼稚園も小中高の学校も教育方針を変えつつ存在している。

 ただの船頭には遠い世界だが、頭のいい奴らが回しているんだとは思う。

 混ざる前もちょいと慌しかったし、殺伐としはじめていたがかろうじて平和ではあった。

 町の外の学校に通う兄妹は移動に危険が伴うことを気にしているふうはない。

「晴れた日は休むことにしているし。明日も、お日様元気そう」

「日光がダメなのもキツイな」

 昼間は厚手の露出のない重く暑い服装でなければ活動できない少女が夏の通学日を減らすのは当然の対応だろう。

「通信授業もあるし、共生契約しているから半分くらいは受けなくていい職業訓練だし船橋のおじさまは心配しないで大丈夫よ」

 学校は好きだが暑さは苦手だというのだからしかたもないのだろう。

「そーいえば船橋のおじさまの好きなヒト、昼間も活動してるの?」

「いいや。様子を見ている限り深夜から明け方にかけて海面に出てくるみたいでな。昼間に見かけたことはない」

 漁港で知り合った連中に尋ねても目撃したという話は聞けていない。沖に出れば安全とは言えず、情報は得れない。

 空を風にのって移動できる少女も沖に出ることは家族に止められているはずだ。

 家のある島と本土の間。

 今のところ彼女が飛ぶのはそこまでだ。

 夜は子供の出歩く時間ではないし、夜があけてしまえば日の光が少女の肌を焼くのだから避難場所範囲は重要だろう。

「境界でコッチを見てるね。本当に船橋のおじさまが好きなのね。船橋のおばさま」

 遠く沖を見てつーちゃんが言うが遠過ぎて見えはしない。

 そうか。あいつもこっちを見てるのか。

「ずっと小さい頃に撫でてもらった気がしているんだけど、おばさま、私たちのこと覚えているかなぁ」

 近所のよしみでつきあいは有り、日光がダメなつーちゃんをかまうのは息子が都会に進学してしまってさびしかった相方の趣味だった。

「どうだろうなぁ」

 なにせ、数度邂逅しているが会話らしい会話は成り立っていないのだから。

 あまりにも相方は違う生物になってしまった。

「んー。回線が繋がるといいね」

 船のヘリを蹴って立つ少女に向ける言葉は。

「パンツ見えるぞ。つーちゃん」

 やっちゃいけないという注意になる。スパッツもショートパンツも履いてない薄い生地のワンピースだろうが。

「この長さなら大丈夫かと思うけど?」

「いや、結構広がる生地だわ。それ。気をつけた方がいい」

「ダメだって。てかなんでつーちゃんいんの。今日は朔の夜だぞ?」

 船室で仮眠をとっていたたまがあくびをかみ殺しながら出てきた。

「朔の夜だからかな。たまちゃん。下から見ちゃダメなんだからね?」

 月の出ない光の少ない夜は海中の屍人が還りたがる。

 還りたがる屍人という肉を狙う海中の怪異も陸に近づく。

 朔の夜は恨みや嫉みの負の感情を好んで喰う連中が活動を強め平和な町を脅やかす。

 平和を望む共生者がそれぞれにこの町を守っている。

 そこにある連携はその場限りの個人主義が多く、互いの真実には目を閉じる。

 普通。平和。いつも通りの日常に朔の夜の非日常を組み込まず生活はなる。

「ならもう少しはなれた場所にいるか帰るかしろよ。ロクサーヌ使うんだからさ」

「えー。海から上がってくるんだから上見てる余裕はないと思うの。ロクサーヌさんを使っているんならね。上を見ちゃうのはロクサーヌさんに使われているからだと思っちゃうかなぁ」

 軽口を叩きあう子供達にちょっとばかりげんなりする。

 本当なら、子供達を参加させたりしたくないのだ。

 個人で動き連携を取らない理由。

 他所でも子供が動いているのかもしれない。

 嫌になる。

 子供が、子供の方が大人より死に近い場所にいる。

「うっせーわ。いつまでも使われてるつもりはねぇよ。『聖槍六九三六号ロクサーヌ』起招!」

 たまの倍ほどは有りそうな大槍がたまの右手に現れる。

 アレがたまと共生している共生契約者。

 たまは「聖槍っつっても明らかに大量生産品だよな」と言ってはいた。六九三六号というナンバリングがそれを意味しているのだろう。むしろ、その戦力が大量生産武器な事実が恐ろしい。たまに柄を掴ませて(自力)軽く数十キロを飛ぶしな。

「おじさん、暴れっから船室に居てよ。おばさんの方見ててー」

 慌てて操舵室に戻り、鍵を閉める。

 どのくらい煙草をふかしていなかったのか相方の位置が思ったより近かった。

 ふっと息を吐けば、まだ遠い相方がびくりと動きを止めたように見えた。

 煙草は屍人には効果がない。

 モーターになにかが絡んだのか船の速度が落ちた。

 たまが舳先の方でふぉんと風を切って槍を旋回させる。

 少し甲高い興奮した少女の高笑いが夜のしじまを切り裂きていく。

 叩きつけられた死体がべちょりと窓ガラスにあたり、ずるずると滑り落ちていく。

 船体に触れることなく海から這い上がってきた屍体を薙ぎ払い、たまを振り回す。相変わらず踏ん張りがきいていないたまが悲鳴混じりに槍にむかって怒鳴っている。

 滑る床に足を滑らせ、振り回された片手でなんとか船縁を掴み、一番安全で危険な場所で呼吸している。


『オミクン』


 ずいぶんと灰が増えた煙草を咥えて吸いこむ。

 変わらず呼び掛けてくる相方にむけてガラスごしに遠ざけるための息を吐きかける。

 朔の夜に船を出す。

 それはきっと自分である必要はない。

 たまの共生相手であるロクサーヌは船という足場がなくても屍人を屠るだろう。


「ロクサーヌ、浄め灼き払え」


 月のない夜の海が真昼のような光におおわれる。

 ここまで眩いというのに陸のものは誰も話題にしない。

 屍人だけを灼く光だ。


 役割を終えたたまの共生相手はふわりと空気に溶け消える。振り回されて疲れ果てたたまを甲板に放置して。

「おじさーん、この朔のぎょーむ、しゅーりょーぉ」

 滑る甲板に突っ伏して片手だけをひらひらさせる子供。

 新しい煙草に火をつけて甲板に出る。

「手は動くのか」

「いつまでも終了と同時に意識飛ばしてるおれじゃないぜ」

「ほとんど動けないんならあまり変わらんぞ? 出先で心配だな」

 今まで無事に帰ってきていると言ってもたまの親が心配していないわけではないのだ。

「あー、この前行ったとこでは地主のおっちゃんがチャリで現場に迎えに来てくれたー。ニケツしながら電チャリかスクーターないのって聞いちゃったよ」

 前回の出先にはいい大人がいたらしい。

 けらけら笑いながらゆっくりと体を起こす。特に怪我はなさそうだ。

「二人乗りダメなんだよー」

 つーちゃんがおこした風が周囲を包む。

「地主の判断だからいーんだよ。つーちゃん、ありがとよ!」

「筋肉痛には効かないからね」

「知ってるって! ロクサーヌ、マジおれを振り回しすぎ」

 なんとも言えない表情で空を見上げるたまにつーちゃんが楽しそうに笑う。

「じゃあ船橋のおじさま、私帰りますね。たまちゃんをよろしくおねがいします」

「なんでつーちゃんが頼むのさ」

「幼馴染みでしょー。おやすみなさい」

「おー、もう時期夜明けだもんなー。さっさと帰れよー」

 空飛ぶ少女を見送った後はたまに仮眠をとらせて港に向かう。



 波のむこうに見えた影は遠く相方の声は聞こえない。



「また、な」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る