『ひとくちずつ、あなたと』

 放課後の駅前通りには、夏の音と匂いが満ちていた。


 ひぐらしが鳴き始めていて、アスファルトはまだ熱を持ち、制服の袖口には汗がじっとりと滲んでいる。歩道の端っこを歩くことりの隣では、陽向が何かを楽しそうに話していた。けれど、ことりはそれに上の空で相槌を打ちながら、ちらちらと陽向の横顔を盗み見ていた。


 頬に髪が張りついている陽向の横顔。あどけない笑顔と、まっすぐな声。それを見ていると、なんだか胸の奥が、じわっと熱くなる。


 いつからだろう。こんなふうに、彼女を意識するようになったのは。


「ねえ、ことり。今日さ、ちょっと寄り道してこ?」


「え? どこに?」


「ほら、駅前のあのキッチンカー。また来てるよ。フルーツアイスの!」


 陽向が指差した先には、毎週火曜日にだけ来る移動式のアイス屋さんが停まっていた。

 白いワゴンの横で、メニューの立て看板が風に揺れている。カップの中に盛られた色とりどりのフルーツが目を引いた。


「おいしそう……」


「でしょ? あれ、前に一回食べたけど、めっちゃ美味しかったよ!」


 陽向の声が弾む。そのテンションに釣られるように、ことりも小さく頷いた。


 でも――


「……500円かあ」


 お財布を開く。

 中には、昼にパンとジュースを買った残りがあるだけ。数えてみると、250円。


「わたし、今日もう、250円しかない……」


「うそっ。同じくらいだ。わたしも260円しか残ってない」


「……惜しいね。もうちょっとだったのに」


 2人は同時に顔を見合わせ、ふふっと笑った。


「……じゃあさ、半分こしよ?」


 その一言に、ことりの心臓が跳ねた。


「えっ……」


「ほら、あのカップ、結構大きいからさ。スプーンも2本ついてるし、たぶんいけるよ?」


 なんてことない提案みたいに言う陽向の笑顔。けれど、それを受け止めたことりの胸の奥はざわざわと騒がしい。


 一緒に食べる。スプーンで。ひとつのアイスを。


 ――近い。


「……う、うん。じゃあ……半分こ、しよっか」


 やっとの思いで頷いたとき、陽向が嬉しそうに笑って「やったー!」と小さくガッツポーズをしていた。


 * * *


 渡されたのは、透明なカップにミルク味の氷がぎっしり詰まって、その上に凍ったイチゴ、キウイ、マンゴー、ブルーベリーが宝石のように盛られたフルーツアイスだった。

 日差しにきらきらと反射していて、見ているだけで涼しくなる。


「うわー、これ絶対おいしいやつ!」


「……キレイ……」


 木のスプーンが2本、カップのふちに挿してある。


 ことりと陽向は、少し離れたベンチに座った。通学路の途中にある小さな公園で、ブランコの鎖がギシギシと揺れる音が風に混じっている。


「じゃあ、最初にいくねーっ!」


 陽向がスプーンですくったマンゴーをぱくりと口に入れた。


「ん〜〜っ! おいしいっ!」


「そ、そんなに……?」


「うん! ミルクの氷と一緒に食べると、ちょっとクリームっぽくなって最高!」


 陽向の言葉に押されて、ことりもそっとスプーンを手に取り、ブルーベリーとミルク氷をひとくち。


 ――冷たい。


 そして甘い。じんわりと口の中に広がる果実の香りと、さくさくした氷の食感。


「……ほんとだ。おいしい……」


 ふたりでひとくちずつ。スプーンを交互に、あるいは同時に。


「イチゴ、凍ってるけどしゃりしゃりで美味しい〜」


「このキウイ、甘いけどちょっと酸っぱくて……」


 会話がとぎれない。笑い合って、食べて、また笑って。


 だけど、途中でことりは気づいてしまった。


「……あ」


「ん? どした?」


「い、いま……わたし、そのスプーンで……」


 目の前の陽向の口元を見たとたん、ことりの脳内に一瞬で走る電流。


 ――スプーンを間違えた。


 ――さっき陽向が使ってたやつ、わたしが……


 つまり。


「……ま、間接キス……っ」


「えっ……う、うそ……!」


 ふたりの間に沈黙が落ちる。


 目を合わせられない。お互いの顔が、見る見るうちに真っ赤になる。


「い、いや、でも、これは事故っていうか……わざとじゃなくて、うん……」


「う、うんうん! そだよね! だいじょぶだいじょぶ、気にしない気にしない!」


 そう言いながら、ふたりともスプーンを持つ手がぎこちない。

 もう、どっちがどっちのスプーンかわからない。

 けれど――


「……あのね」


 ぽつりと、陽向が言った。


「ことりとだったら、別に……やだじゃないよ?」


 その言葉に、ことりの胸がきゅっと締めつけられた。


「わたしも……やだじゃない……よ」


 どちらともなく言ったその一言が、夕方の風に溶けていく。


 そのあともふたりは、何も言わずにスプーンを交互に使ってアイスを食べた。

 最後の一口だけが、なかなか減らなかった。


「……ことり、食べていいよ」


「えっ……でも」


「さっき、マンゴーのとこ、わたし多めに食べたし」


「……ほんとに?」


「うん」


 スプーンで残った最後のブルーベリーと氷をすくって、口に運ぶ。

 甘さが、さっきよりも少し強く感じた。


 * * *


 家までの帰り道、手はつながなかったけど、ずっと指先がすれそうな距離で歩いた。


 会話はあまりなかったけど、ふたりともそれを気にしていなかった。


 ことりの頭の中では、何度も陽向の言葉がぐるぐる回っていた。


 「ことりとだったら、別に……やだじゃないよ?」


 ほんの数秒の沈黙と、そのあとの笑い声。


 あのアイスの甘さと、口に残る冷たさと一緒に、きっとこの記憶は――


 ずっと忘れない。


(おわり)

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