第4話:亀裂
小説:栄華の果て
第四話:亀裂
偽りの光芒は、長くは続かなかった。薬物への耐性がつき始め、以前と同じ量では効果が薄れてきたのだ。より多くの量を、より頻繁に摂取しなければ、あの高揚感と痛みのない状態を維持できなくなっていた。佐伯から購入する薬物の量は増え、それに伴い金銭的な負担も無視できないほど大きくなっていく。
チーム内での俺の評判は、明らかに下降線を辿っていた。遅刻や練習中の集中力の欠如は日常茶飯事となり、試合でのパフォーマンスも不安定になってきた。薬が効いている時は以前のような活躍を見せるものの、切れると途端に精彩を欠く。その不安定さが、監督やコーチ陣の不信感を煽った。
「神宮寺、最近のお前は一体どうしたんだ? 波がありすぎる。何か隠してるんじゃないのか?」
ロッカールームで、監督に厳しい口調で問い詰められた。俺は俯き、言葉を濁すことしかできない。
「…すみません。少し、コンディション調整に苦労していて…」
その場はなんとか取り繕ったものの、監督の疑念の眼差しは痛いほどだった。
チームメイトたちとの間にも、目に見えない亀裂が深まっていた。かつてはリーダー的存在だった俺も、今では腫れ物に触るような扱いだ。若い選手たちは遠巻きに俺を見つめ、ベテランの選手たちも、心配と諦めが混じったような表情で距離を置いている。食事や移動の際も、俺の周りには不自然な空席が目立つようになった。
「なあ、神宮寺さん…最近、ちょっと変ですよ。大丈夫なんですか?」
心配そうに声をかけてきたのは、以前「ドンマイ」と声をかけてくれた若いチームメイトだった。彼の純粋な眼差しが、罪悪感で曇った俺の心を抉る。
「…ああ、大丈夫だ。ありがとう」
そう答えるのが精一杯だった。本当は大丈夫なんかじゃない。助けを求めたい。でも、どうやって? この秘密を打ち明けることなど、できるはずがない。
家庭にも、その影響は及び始めていた。妻の明子(あきこ)は、俺の異変に薄々気づいていたのだろう。以前よりも口数が減り、俺の顔色を窺うような仕草が増えた。
「あなた、最近顔色が悪いわよ。本当に大丈夫なの?」
リビングで、明子が心配そうに尋ねてきた。俺は、いつものように曖昧に笑って誤魔化す。
「ああ、ちょっと疲れが溜まってるだけだよ。シーズン中だからな」
その嘘が、どれだけ彼女を傷つけているか、俺は気づかないふりをしていた。だが、彼女の瞳の奥に宿る不安と悲しみの色は、日増しに濃くなっているように見えた。
ある夜、薬物の禁断症状で眠れずにいると、隣で寝ていた明子がそっと俺の背中に手を置いた。
「龍さん…何か、苦しんでいることがあるなら、話してほしい。私じゃ、頼りにならないかもしれないけど…」
その震える声に、俺の心は激しく揺さぶられた。今こそ、すべてを打ち明けるべきなのかもしれない。しかし、薬物の快楽と、それがもたらす一時的な安堵感が、俺の口を固く閉ざさせた。
「…大丈夫だよ。心配かけて、すまない」
俺は、彼女の手をそっと払い、背を向けた。明子の小さなため息が、暗闇に溶けていく。
その頃から、俺の周辺で不審な出来事が起こり始めた。ロッカーの中を誰かに物色されたような形跡があったり、自宅のポストに見慣れない封筒が入っていたり。中には、俺が薬物を使用していることを示唆するような、脅迫めいた文面が書かれていた。佐伯に相談すると、彼は顔色を変えた。
「神宮寺さん、これはマズいですよ。誰かに嗅ぎつけられたのかもしれない。しばらく、取引は控えましょう」
しかし、俺はもう薬物なしではいられない身体になっていた。
「そんなこと言っても、もうストックがないんだ! なんとかしてくれ!」
俺は、ほとんど懇願するように佐伯に詰め寄った。佐伯は困惑した表情を浮かべながらも、最終的には俺の要求に応じた。だが、その時の彼の目には、以前のような人懐っこさはなく、どこか冷めた、計算高い光が宿っているように見えた。
周囲との亀裂は、もはや修復不可能なほど深まっていた。チームメイト、監督、そして妻。俺は、大切なものを次々と失いつつある。それでも、薬物への渇望は止まらない。孤独は深まり、その孤独を埋めるために、さらに薬物に手を出すという悪循環。
ある雨の日、練習が中止になり、俺は一人、誰もいない薄暗い室内練習場でバットを振っていた。しかし、ボールはバットの芯を捉えず、虚しい音だけが響く。鏡に映る自分の姿は、かつての栄光とはかけ離れた、やつれた男だった。
「俺は…一体、何をやっているんだ…」
絞り出すような声は、誰にも届くことなく、雨音にかき消された。偽りの光芒は消え失せ、そこには深い闇と、絶望的な孤独だけが広がっていた。そして、その闇の奥から、破滅の足音が静かに、しかし確実に近づいてくるのを感じていた。
(続く)
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