第3話:偽りの光芒
小説:栄華の果て
第三話:偽りの光芒
翌日の練習は、まるで生まれ変わったかのようだった。肩の痛みは嘘のように消え、身体は驚くほど軽い。フリーバッティングでは、面白いように快音が響き渡った。打球は乾いた金属音とともに外野のフェンスを軽々と越えていく。若い頃の、あの感覚が蘇ってくる。
「神宮寺さん、今日、すごいっスね!」
若いチームメイトが、目を丸くして声をかけてくる。監督も、コーチ陣も、驚きと期待が入り混じったような表情で俺のバッティングを見つめていた。久しぶりに浴びる称賛のシャワーは、心地よかった。これだ。俺が求めていたのは、この感覚だ。
試合でも、その効果は歴然だった。第一打席、甘く入った初球のストレートを完璧に捉えた。
カキーン!
脳髄を直接揺さぶる、あの快音。打球は美しい放物線を描き、レフトスタンド中段に突き刺さった。ホームラン。久しぶりの感触だった。ダイヤモンドを一周しながら、沸き立つスタンドの歓声が心地よく耳朶を打つ。これが俺だ。神宮寺龍は、まだ終わっていない。
ベンチに戻ると、チームメイトたちがハイタッチで迎えてくれた。監督も、満足そうに頷いている。
「神宮寺、いい顔になったな。その調子だ」
その言葉が、どれほど俺を勇気づけたことか。しかし、心のどこかで、小さな罪悪感がチクリと胸を刺す。これは、本当の俺の力じゃない。あの白い粉がもたらした、偽りの光だ。だが、その小さな棘は、ホームランの興奮と周囲の賞賛によって、すぐに押し流されてしまった。
試合後、佐伯から連絡があった。
「どうでした、神宮寺さん? 言った通りでしょ?」
電話口の佐伯の声は、どこか得意げだった。
「ああ…すごかったよ。本当に、痛みが消えた。それに、集中力も…」
「でしょ? また欲しくなったら、いつでも言ってください。神宮寺さんのためなら、用意しますから」
その言葉は、悪魔の囁きでありながら、同時に救いの手のように感じられた。俺はもう、あの効果なしではいられないかもしれない。
数日後、薬の効果が切れ始めると、再び現実が牙を剥いた。肩の痛みは以前よりも増しているように感じられ、練習に身が入らない。焦燥感が募り、イライラが抑えきれなくなる。そして、あの白い粉への渇望が、じわじわと心を蝕んでいく。
「佐伯…頼む。あれを、もう少しだけ…」
結局、俺は再び佐伯に連絡を取っていた。
佐伯は、今度は少し多めの量の粉末を持ってきた。その代償として、俺は少なくない額の現金を彼に手渡した。
「神宮寺さん、あんまり無理しないでくださいね。でも、これでまた、あの頃の神宮寺さんが見られますよ」
佐伯の言葉は、もはや俺にとって麻薬そのものだった。
薬物を使用する頻度は、徐々に増えていった。最初は試合の前だけだったものが、練習の前にも、そして時には、眠れない夜の孤独を紛らわすためにも使うようになった。薬が効いている間は、世界は輝き、俺は無敵だった。ヒットを量産し、ホームランも打った。メディアは「神宮寺復活!」と騒ぎ立て、ファンも再び俺の名を叫ぶようになった。
しかし、薬が切れた時の反動は、回を重ねるごとに大きくなっていった。激しい頭痛、倦怠感、そして何よりも、耐え難い虚無感と自己嫌悪。鏡に映る自分の顔は、目の下に濃い隈を作り、生気が失われている。これは、本当に俺なのか?
ある日の試合前、いつものように薬物を使用しようとした時、ふと、若いチームメイトの視線を感じた。彼は何も言わなかったが、その目には明らかに疑念と軽蔑の色が浮かんでいた。俺は慌てて目を逸らし、何事もなかったかのように振る舞ったが、心臓がドクドクと高鳴るのを抑えられなかった。
時間に遅れることも増えた。練習に集中できず、簡単なミスを繰り返す。以前なら考えられないような失態だ。監督やコーチからの信頼も、徐々に失われつつあるのを感じていた。だが、薬物なしでは、あのプレッシャーと戦えない。あの苦痛から逃れられない。
「神宮寺、最近、少し様子がおかしくないか?」
心配そうに声をかけてきたのは、長年の付き合いになるベテランのチームメイトだった。
「…別に。ちょっと、疲れが溜まってるだけですよ」
俺は、そう答えるのが精一杯だった。嘘をつくたびに、心の奥が軋むような音がする。
栄光を取り戻したはずだった。だが、それは砂上の楼閣のような、脆いものだった。偽りの光に照らされた道は、確実に破滅へと続いている。そのことに気づきながらも、俺はもう、引き返すことができなくなっていた。脳裏には、あの白い粉がもたらす一瞬の快楽と、佐伯の甘い囁きだけが、繰り返しこだましていた。
(続く)
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