第26話 破棄の破棄
美桜とレイが頭を下げ続け、しばらくして父から発せられた言葉は、やはり厳しいものだった。
「……いや、駄目だ。やはり許すわけには――」
「――いい加減にして下さいよ、お父さん」
父に苦言を呈したのは、美桜でもレイでもない。美桜の母であった。
「まだ分からないんですか? 愛し合っている二人を引き裂いて、大切な娘を傷つけてまで進めるお見合い結婚に、何の意味がありますか?」
「いや、だがしかし」
「駄菓子もお菓子もありません。お父さんがそんな風だから、由貴も竜斗も出て行っちゃったんですよ?」
ちなみに、由貴は美桜の姉、竜斗は兄だ。
姉は大学に入ると同時に恋人の家へ押しかけ、そのまま帰ってこなくなった。隣に住んでいた同級生の彰人が同じ大学に入ったらしく、卒業まではかろうじて、彰人の親経由で、姉は元気にやっているという知らせが届いていたのだが。
兄は母方の実家、沖田家に居候しており、バンド活動にいそしんでいる。数年前にデビューして、そこそこ人気のバンドになったと聞いているが、詳細は美桜も知らない。
「美桜にも愛想を尽かされたって、知りませんからね。とにかく、お母さんは二人の結婚、祝福するわ。おめでとう、美桜、レイさん」
「お母さん……、ありがとう」
「有難う御座います」
母は、美桜とレイに柔らかい笑顔を向ける。美桜とレイも、ほっと息を吐いてお礼を言った。
「……父さんは、認め……認め……ぐっ。いや、保留だ!」
「あらあらまあまあ」
父は顔を真っ赤にして、奥歯をぎりりと噛み締めた。これが父なりの、精一杯の譲歩らしい。
美桜は頑固な父がこうして折れてくれたことに、感謝を示した。
「ふふ、お父さん、ありがとう」
「ふん! 認めたとは言っていないぞ!」
「有難う御座います、お父上殿」
「おい、まだ認めてないと言っただろう!」
美桜とレイがありがとうと伝えると、父はさらに顔を赤くして、そっぽを向いた。
*
美桜は両親を家に残して、レイと二人で、近所のカフェに向かっていた。洋菓子店はまだ開店前なので、早くから開いているカフェでケーキを購入するつもりだ。
どうやら両親は美桜に頼みたいことがあったらしいが、まだ本題に至っていないのだ。長くなりそうだし、父にも休憩が必要そうだし――何より、レイと二人で話をする時間を取りたかったため、美桜は、ケーキを買ってくると言ってレイを連れ出したのである。
「あの……レイ。何から話していいか……」
美桜が気まずい空気を纏いながらそう切り出すと、レイはゆるりと口角を上げ、頷いた。言葉には出さないが、その視線は『ゆっくりでいい』と語ってくれている。
美桜はレイの見守るような視線に勇気をもらい、気持ちを整えてから口を開いた。
「とにかく、さっきはありがとう。昨日、私、一方的に契約破棄するって言ったでしょう? それなのにさっき、私に合わせて婚約者の振りを続けてくれて、すごく助かった」
「いいや、当然のことだ。俺が契約破棄を了承していない以上、契約は継続している……そういう認識で良いのだろう?」
「あ……そっか」
美桜は昨日、レイから、はっきりと契約破棄の承認をもらっていないことを思い出した。
破棄を決めた理由を聞かれて押し問答になり、そのままレイの前から逃げ出してしまったのだ。
美桜は、レイに指摘されて初めて、契約の破棄に関する条件を思い出す。
「契約の破棄は、条件を満たして期限を迎えるか、双方の合意で破棄する場合のみ……そういう約束だったもんね」
「そういうことだ」
レイは目を柔らかく細める。つまり、今もまだ、契約は継続しているということだ。
「レイ……あのね。契約破棄の件だけど……、やっぱり、取り下げてもいい?」
「ああ。無論だ」
レイは、力強く頷いた。美桜は安心して、気持ちがふっと軽くなる。
「――ありがとう。それと、昨日はごめんなさい」
「いいや。むしろ謝るべきなのは俺の方だ。配慮が足りず、本当に済まなかった」
「え?」
レイは目を伏せた。美桜は、レイが何故謝っているのか分からず、首を傾げる。
「――実はな。あの桜の木は、墓代わりなのだ」
「え……お墓?」
「黙祷を捧げる前に、美桜に一言断りを入れるべきだった。言葉が足りず、貴女を不安にさせてしまい……誠に申し訳ない」
「そう、だったの」
レイは顔を上げると、優しい顔で空を仰ぐ。そこには懐かしさと悲哀と――やはり愛おしさが、確かに混じっていた。
「あの桜の木は、孤児だった俺を拾い、名前と居場所を与えてくれた人が大切にしていた木なのだ。俺の母親であり、姉であり、忠誠を捧げると誓った唯一の主君でもあった」
「唯一の、主君……?」
その言葉に美桜は、以前レイが言っていた言葉を思い出していた。
――『唯一と心に決めた方が御座いました。もう二度とお会いすることは叶いませぬが』
――『私の身分では、天地が裏返ろうとも結ばれること叶わぬ御身でした』
つまり……と、美桜は、その女性のパーソナリティを想像した。
レイの想い人は、孤児だったレイにこんな素敵な名前をつけられるぐらい年上で、既に故人になっている。
そしてレイの母親代わりであり、姉代わりでもあり、主君でもあった――すなわち、彼女は。
「ま、まさかの女性組長……!?」
「……ん? 何と?」
美桜はワナワナと震えながら、小さく呟く。美桜はハッとして口元に手を当てたが、どうやらその呟きはレイには聞こえていなかったようで、一安心した。
「なるほど、そういうことね。そっかそっか……」
美桜は、一人で勝手に納得した。
組長が亡くなったために、組織は瓦解したか、新しい組長を立てたか、別の組の傘下に入ったか……とにかく、組長に忠実だったレイと折り合いが悪くなったのだろう。
だから、レイは帰れないと言ったのだ。帰れないのなら、蕎麦店で後継者候補として雇ってもらったというのも、納得である。
「ねえ、レイ。一つ聞きたいんだけど、レイは元いた場所に帰る気はもうないってことだよね?」
「……ああ、その通りだ。済まない。契約期限の件だろう?」
「うん。契約の期限は、私の縁談が消えるか、レイが帰れるようになるまで……だったよね」
レイは、頷いた。彼にそもそも帰る気がないのなら、この条件は無効である。
そして、先ほど美桜の両親に結婚の挨拶をしたから、縁談もほどなく消えると思われる。
となると――、美桜たちの契約は、間もなく満了を迎えることになるのだ。
「……レイ、契約の期限が終わったら、その後は私たち、どうなるのかな」
美桜は呟いたが、レイはそれには答えず、左手を美桜の前に差し出した。
「美桜、貴女の手に触れてもいいか」
「え? うん」
美桜がおずおずとレイに右手を差し出すと、レイはきゅっと優しくその手を握る。そして、美桜と手を繋いだまま、何も言わずに歩き続けた。
「レ、レイ? 今は誰も見てないよ?」
「どうかな。窓からご両親が見ているかもしれぬだろう?」
確かにレイの言う通り、ここはマンションを出て角を曲がった先の道だ。美桜の部屋の窓から、ちょうど見える位置である。
けれど、なんだかうまくはぐらかされたような気がして、美桜は小さく口を尖らせる。レイはそれに気づいたのか、藤色の瞳を楽しげに細めて、美桜に微笑みかけた。
「こうしていると、『でえと』のようだな」
「――っ!?」
美桜は、レイの甘い言葉に当てられて頬を熱くさせながらも、彼が何を伝えようとしているのか、少しだけ分かった気がしたのだった。
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