第25話 結婚の挨拶



 翌朝、美桜が目を覚ますと、廊下に出してあったお盆は既に回収されていた。

 このマンションはオートロックだが、部屋数が多いため人の出入りも頻繁だ。それに乗じて中に入り、お盆を回収したのだろう。

 手紙に対する返事もなく、当然レイの姿も蓬の姿も見えない。美桜は、少しだけ……いや、かなりがっかりして、細く開けた玄関扉を閉めた。


「……そりゃ、そううまくはいかないか」


 はぁ、とため息を吐きつつも、諦め切れていない美桜は、いつでも出かけられるように支度をした。昨日泣いたせいで目元が少し腫れぼったい。冷やしたり温めたりを繰り返して応急処置をしたら、あとは化粧で誤魔化す。


「こんなもんかな。それにしても……」


 美桜は、昨日からずっと沈黙しているスマホを見る。親から連絡が来なくなったのは確実にレイのおかげだろう。

 レイがスマホを持っていたら、こういうとき、スマホを持ったまま二十分も三十分も悩んで連絡を取ったりしたのだろうが、あいにく彼とは連絡手段を持たない。

 蕎麦店の電話なら繋がるだろうが、こんな個人的なことで電話をするのは迷惑だろう。もし仮に仲を修復することができたら、スマホをプレゼントしてもいいかもしれない、と美桜は思った。


 そんなことを考えていたら、ピンポンとインターホンが鳴った。美桜は、はっとして受話器にとびつく。


「はい」

『美桜? 連絡もなしに来てしまってすまない。そちらへ会いに行っても?』

「今開けます。どうぞ」


 レイの声だ。美桜は心臓をバクバクさせながら答えた。

 解錠ボタンを押して受話器を元に戻すと、鏡の前でさっと髪を整え、玄関扉を開いた。


 廊下に顔を出して、エレベーターが到着するのを待っていると、ややあって液晶が三階を指し示す。扉が開くと、いつもの和服姿のレイと、それから――、


「えっ? お父さん、お母さん、なんで!?」


 ――何故かレイと一緒に、美桜の両親がいたのだった。


 レイはエレベーターの扉を手で押さえて、父と母に先を譲る。私は突如両親と対面することになって、混乱した。


「どうして? 連絡なかったよね?」

「やっぱり、気づいてなかったのね。何度か連絡入れてたんだけど。スマホの電池、多分昨日から切れてるわよ」

「えっ、嘘!」


 言われてみれば、昨日、天狗山から帰ってきて以降、スマホを全く触っていない。いつ電池が切れたのかも不明だ。

 普段ならスマホはそこそこチェックするのだが、両親からのお見合い圧力が増すと共にスマホを見ることも減って、いつの間にか触らなくても平気になってしまった。


「ていうか、どうしてレイと一緒なのよ」

「下で会ったんだ。この男、黎明れいめいと言ったか……インターホンの前でしきりに悩んでいるようだったが、喧嘩でもしたのか?」

「よっ、余計なお世話よ! とにかく、中へどうぞ」


 三人も中に入れると少し手狭だが、いつまでも廊下で話していたら迷惑だ。美桜は扉を大きく開け放ち、両親とレイを迎え入れた。


 父が『黎明』と口にしていたが、それがレイの本名なのだろう。マンションの入り口で、自己紹介を済ませたようだ。

 今更だが、美桜は彼の苗字どころか名前すらもちゃんと知らなかったことに気がつき、少しだけ驚いた。なんだかとても長い付き合いのような気がしていたが、よくよく考えれば、レイと出会ってからまだ数日なのだ。


 美桜はレイが玄関に上がる際に、助けを求めるように彼を見たが、レイは黙して首をわずかに横に振るだけ。両親の前で、余計なことは言えないと判断したのだろう。成り行きに任せるしかなさそうだ。


「相変わらず狭い部屋だな。ちゃんと生活できてるのか? 飯は? 弁当ばかりだと栄養が偏るぞ」

「うっ、だ、大丈夫だってば」


 チクチクと小言を言う父と、相変わらずキラキラした目でレイをチラ見している母と、緊張も気まずさも一切見せずに何食わぬ顔で追従するレイ。

 三人に座るよう促し、冷たいお茶を出したところで、私も折りたたみテーブルの横に座った。本来一人用のテーブルだ。四人で囲むと、とても狭い。


「それより、お父さんたちは何の用で来たわけ?」

「ああ……お前に頼み事があってな。だが、その前に一つ確認したい。お前たち……本当に結婚するのか?」

「えっ?」


 私は父から発せられた言葉に驚いて、思わず隣に座るレイに視線を向けた。レイは、私の方を向くことなく、父に向かってはっきりと頷く。


「はい。お父上殿、お母上殿。改めてお願い申し上げます――大切な娘であらせられる美桜様を、私にください」


 美桜は、この上なく真剣な表情で両親に頭を下げるレイを、信じられない思いで見つめた。

 ――昨日、あんなことがあったのに。契約は破棄すると、美桜の方から言ったのに。

 それなのにレイは、今も婚約者の振りをして、こうして両親に頭を下げてくれている。


 一度腫れて涙腺が緩んでしまった目が、再び潤いを帯び始めた。

 まさか、こんなドラマのようなシーンを自分が体験することになるなんて。

 それも、お見合い相手ではない。両親に頭を下げているのは、自分が本当に好きな人。結ばれないと分かっていたのに、美桜が、心から望んでしまった人――。


 母は美桜と同じく、感極まっているようで、ハンカチを口元に当ててウルウルした目でレイを見ている。しかし、父の方は、そう簡単にはいかなかった。


「……どこの馬の骨とも分からない奴に、娘をやるつもりなどない」


 父からの否定の言葉にも、レイは焦らない。ただひたすら、膝に手をつき頭を下げている。

 美桜は、レイと父を交互に見やる。二人とも、引き下がるつもりはないようだ。


「……お父さん、お母さん。お願いします。レイとの結婚を認めて下さい。私――彼のことが好きなんです」


 美桜は、覚悟を決めてそう言うと、自らもレイに倣って頭を下げた。一瞬、レイの視線がこちらを向いたように感じたが、私は頭を下げ続ける。


「お父上殿。お母上殿。私も、美桜様を誰よりも大切に、誰よりも愛おしく想っております。どうか、平にお願い申し上げます」


 レイが、真剣な声色で、はっきりと告げる。その言葉に、嘘の色はなくて――美桜は思わず顔を上げてレイの方を見つめた。

 レイの瞳が、一瞬だけ、美桜の瞳を捉える。そこには一点の曇りもなくて、美桜の心はその藤色に、痛いほど、切ないほどに囚われてしまった。


「――お願いします」


 私もレイと一緒に再び頭を下げ、父の回答を待ったのだった。

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