赤塚病院編   cha. 1


・7月のある雨の日一人の女が警備員に追われ、駅から飛び出してくる。かなり小柄な女だったが彼女はそこらの警備員よりずっと速かった。彼女はあっという間に路地に逃げ込み行方を眩ます。追手も周囲を懸命に捜索しているようだったが、女は見つかりそうにない。追手も捕まえる事ができないと察したのか、渋々電話で「捕まえられなかった」と報告している。その光景を目の当たりにした街の人は誰も、いや一人を除いて彼女の正体を知らなかった。そうだ、その一人が私。でも事件が起こっているから足を止めるなんて無意味な事私はしないとバイト先へ足を速める。だがそこにある男が隣に現れた。

「ちょっと時雨、またやったでしょ。」

時雨は何も話さずただ「やってやった」という顔をして並走していたが、思い出したかのようにリュックから茶色い包みを押し付けてきた。それはお肉の良い匂いがするコロッケ。だがこれが良からぬ物だと察するのは難しい事ではない。

「こんな数百円の為にあんな大騒動起こしたの? 正気?」

時雨は相変わらず喋りもせず黙っていて私にコロッケを持たせようとする。

「そんな盗んだ物食べません。てか一体何個盗んできたの?」

コロッケを押し返し、呆れた表情を顔に浮かべる。時雨は指で4を指し、つき返されたコロッケの包みを剥ぎ取ってかぶり付いた。肉のいい匂いがするが盗まれた物に食欲はそそられない。隣でムシャムシャされて非常にムカつくので無視して足を速めたが時雨はついて来る。

「ちょっとついて来ないでくれる? 警察呼ぶよ。不審者がいまーすって。」

「いや今日俺臨時で入った。」

あゝそうですか。面倒くさい。こいつと同じバイトなんて最悪だ。ボソボソ聞こえずらいし腹が立ってしまった。ただでさえ面倒なバイト前だというのに。だが何を言ってもこちらの気分を害するだけ。私は足を速めながらバイト先へ急いでいった。


※百面相

それは誰かの姿へそっくりそのまま変装する事ができる能力。変装する際にかかる時間は1秒程度。武田時雨が所持。


バイトも終わり、ほぼ深夜。時雨のコロッケも食べたくなる程の腹ペコだ。バイトで今日残った食材を少し賄いとして貰ってきたが、飢えた腹を満たすにはもう2品は最低限必要だろう。明日大学は休みだから今夜早く寝る必要はないが、一人暮らしとは大変なものである。駅の改札を通ろうとした時、不意にスマホが鳴り出す。時雨からだった。鬱陶しいので無視してやろうかと思ったが、バイトの事かもしれないので出るしかない。

「零? 今日*集会。忘れてんだろ、どうせ」

一言多いとは全くこの男の事である。事あるごとにイライラさせてくるのはある意味才能と呼ぶべきものなのかもしれない。ただ今日が集会だとは完全に忘れていたのは事実だ。大人しく家路とは反対方向の電車へ乗り込み、大学の一室を目指した。


※集会

*サブリナ・モティーズが主催する月に一度程度の集まり。大学の一室で行われる。


※サブリナ・モティーズ

彼女は零の通う大学の教授。何を研究しているのかは不明だが、金遣いが荒い。メンバーからは教官と呼ばれる。


私がこの怪しいチームに参加するようになったのは、言ってしまえば強要されたから。大学の教授であったサブリナ・モティーズに素質があると言われ、何をするクラブなのかも知らされずに大学の一室へ案内された。今思えばよくそんな危険な事ができたものだと思う。(近年物騒なクラブ、バイトが多いので真似してはいけない。)


クラブに入って気付いたことはこれが単なるクラブではない事。メンバーは私を抜いて教官、無口な男(ゼム)、武田時雨の3人。驚いた事にゼムは大学と全く関係のない社会人で、時雨に関しては高校生だった。

初めて部屋に入った時の事をまだ覚えている。案内されたソファに座り茶菓子を出され、教官が変な事を言い出したのだ。

「ねぇ貴方、世界を手のひらで回してみない?」

これは冗談? 緊張してたから笑わせにきてるの? それとも並外れた厨二病?

間違いなく前者だろう。そうでなければ色々心配だ。何の意味もない笑顔を作り周りを見渡すと、制服を着た男の子が手で札を数えていた。あんな大金、良からぬ事をしているのは間違いなさそうだ。

早くお暇させてもらわないとマズいかもしれない…

「お金が稼げるかどうかは問題じゃないの。裏社会って分かる? そこでは法に触れるような物が売買されてたり、犯罪行為が横行してるの。そこの奴は危険な人が多くて警察もあえて目を向けようとしない。殺されるかもしれないからね。そこで私達が潜入して資料を集め、一般人への被害を減らし、いつか裏社会のボスをやっつける。どう? 楽しそうでしょ?」

…理解が追いつかない。凄い事を楽しそうに語る教官には恐れ入る。開いた口が閉まらない私に微笑みを浮かべて彼女は言った。

「詳しいことはここに書いてあるから後で読んでおいてね。そんな忙しくはならないから生活に全然支障は来さないし安心して。部屋のお菓子も食べ放題だし。」

教官はどこからか出してきたプリントを手元に話を進める。加入用のプリントまである。不安要素山盛りで今にも逃げ出したい。

「このプリントに署名したら貴方はもう私達の仲間。いっぱい暴れましょうね。」

もう断るしかない。

「あのここまでして頂いてなんですが、遠慮しとこうかなって。」

苦笑いを浮かべそそくさとソファから立ち去ろうとする私に教官の声が深く響いた。

「ここまで聞いちゃったものね、簡単には去れませんよ。」

え!?

「さぁ署名してください。」

いきなり怖い事言い出すんだなこの人。詐欺とか上手いタイプだろう。でも裏社会とか犯罪とかには関わりたくない。絶対に入りたくない。

「帰してくだ…」

「帰してくれの言葉はもう聞き飽きましたよ。」

彼女は紅茶を片手に持っているだけなのに凄い威圧感だ。だが教官は所持してはいけない物を棚から取り出した。棚の一番上の段。最も取りやすい場所にそれはあった。それは手の中に収まる程度の黒い金属。裏社会、犯罪とくれば驚くのはもう慣れたものである。

それは銃だった。

ヒッ、ヒィッ、

もう完全に冗談ではなくなった。部屋には背の高い男、高校生、銃を持った女の3人。それに対して私はこれまで運動を真面目にした事がない女。もう逃げるのは不可能だ。

「さぁ別に怖い事は何もありませんよ。お金も出ますし、満足度高めです。」

メンバー3人で満足度高めって何だよと思うのは一旦飲み込んで、決意を決める。

「一体何をしてるんですか。具体的に答えてください。今まで何をやってきたのかその説明を全部頂きたい。」

もう無茶苦茶に言う。ちょっと強い口調で言い過ぎたかなって思ったけど教官は笑っていた。

「私は特に何もしていないけど、そこにいる男の人は裏組織にスパイしてて、そこの高校生はちょっとした資料を盗んでもらってる。って言う事で交渉成立ね。早速サインをここに。」


こんな感じで私はこの組織に手を汚してしまったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る