第八話  証言と所在と希望

 暗がりの窮屈な空間にうずくまる一つの人影。

 ゆっくりと顔を上げ、カズを見やる。

 稲造からはその様子は死角であった。

 カズは気配を頼りに言葉を落とす。

 「大丈夫、何もしない。あたしは目が見えないの、あなたは誰?」

 ここでようやく稲造は体を捌き人影を眼中に入れた。

 人影の正体は男──。目力のある若人であった。

 不信気にカズを見上げてはいるが、動じる様子はない。

 ゆっくりと右手に隠し持っていた握りばさみの先端を向ける。

 稲造は動揺したが、カズの挙動を伺うに留めた。

 カズは刃物が向けられている事は感じ取れてはいた。しかし、殺気が全く感じられ無かった事と、間合いが安全と捉えられていた事で落ち着いて言葉を放つ事が出来た。

 「あたしはカズ、そしてあいつは稲造。ただ人探しをしているだけ」

 まだ刃先に動きは無かったが、カズには男の心情が計り知れた。

 刃先から伝わる心理。

 《──もし立場が逆であったら?》

 カズは男と対峙しつつ警戒心を解こうと思案する。

 そして、稲造の吊るし魚を指差し、腰の塩袋を手に取り言い放つ。

 「丁度三匹ある。塩焼きにしよう!」

 これには男も稲造も意表を突かれた。

 男の目力は緩み、肩の力も抜けた。カズに向けられていた握り鋏も力無く落ち。男は緊張を吹き飛ばすように息を吐いた。

 「干す予定だったけどね、り立てだから──」

 稲造はカズの人心掌握能力に感心していた。

 力技の凄さは痛感していたが、それだけでは無いという事と、交渉材料に魚と塩を瞬時に選択する頭の回転の早さに脱帽した。魚は良しとして、塩は生きる上では必需品で尚且つ貴重品だからだ。よほどの事がない限り分け与える事のない代物であった。自分はたまたま岩塩を手に入れる事が出来ていたが、カズのそれは〝親代わり〟が置いていった餞別品のような物だと聞いていた。

 旅をするに当たり、適切に塩を手に入れる事が何よりも大切であった。

 「火を起こしていい?」

 男は項垂れたまま頷く。

 「──稲造」

 稲造は理解し、外に出ようとした矢先初めて男から声が漏れた。

 「・・・ここには、自分しか居ない・・・」

 カズと稲造は耳を傾ける。

 「だから、誰も居やしないよ、たずね人なんか──」

 投げやりに発せられた声だった。

 「うん、そうみたいだね。あたしらが邪魔ならすぐ出発するし──。とりあえず、落ち着いたら来なよ」

 二人は出て行く。

 男はまだ立ち上がりも出来なかった。

 気持ちは動揺していたし、この出来事をすべて信じられなかった。

 ただ、《もしかしたら・・・》という予感が働いていた──。


 稲造は周りの枯れ木を集めて火を起こし、加減を調整する。カズは小枝を削り、串にする。包んだ大葉とあらかじめ振っておいた塩のおかげで、いい塩梅で水気が抜けていた。

 手際よく事を進めると早くも焼ける匂いが漂ってくる。

 「く、く、来るかな」

 「待ってよう、来るまで」

 「う、う、うん──」


 ──男の居座る所まで、焼き魚の匂いが届き始めた。その薫りはさらに気持ちの迷いを鈍化させ、ついには腰を上げさせる。

 半ばどうにでもなれ、と言う気持ちではあったが、先程感じていた投げやり感とは種類が異なった。

 

 ──男は足音を鳴らすよう小屋から出て来た。

 「あ──」

 稲造は魚に齧り付きながら声を上げた。

 「来た?先に食べてるよ、残り一匹どうぞ」

 そこには串焼きにされた山魚が一尾焼き上がっていた。

 大振りの身が引き締まったご馳走だった。

 男はすぐにでもむしゃぶりつきたかったが、気持ちを抑えて様子を伺う。

 稲造は気にしながらも黙々と食べた。

 カズは男の気持ちの整理を待った。

 男は食べない理由を探したが見つからず、火を挟んで魚を取り腰を下ろした。

 「いただくよ」

 そう言うと、無我夢中で齧り付いた。

 二人が驚く程に一心不乱だったため、稲造は思わず注意を促した。

 「ほ、ほね、き、気をつけて」

 「わかってらい!」

 男は何故か涙が出る程、嬉しくて、美味しくて、語気を強めたようだった。

 カズはようやく肩の力が抜けたような気がした。


 ──火は消え、三人は微かな夕暮れに染まり出していた。

 「・・・どこに行くつもり?」

 男の唐突な質問に稲造は過敏になる。

 「いや、どことかないんだ。あたしの〝親代わり〟を探してるの。稲造は途中で出会って手伝ってもらってる。目が見えないからね」

 「ふうん──」

 稲造は気に障りつつ、男に問いかけてみた。

 「き、き、きみ、名前は?」

 「ああ、絹衛門きぬえもん

 「き、き、きぬえもん?」

 「そうだよ。言い難いなら〝キヌ〟でいいよ」

 「き、き、きぬ──」

 「なんだい?」

 「さ、さ、魚の礼が、ま、ま、まだ、だよ」

 カズは稲造の対抗心に驚いた。

 「なんだ、お前は、礼が欲しいのか」

 「い、いや、そ、そうじゃない、けど──」

 「そっちが勝手に振る舞ったんじゃないか」

 「そ、それは、そうだけど・・・」

 「僕の村に勝手に入って、礼を言って欲しいのは僕の方さ!」

 カズは予期せぬ方向に空気が流れて行くのを感じ軌道修正を試みる。

 「ちょっと待って、礼とかじゃなくて──」

 「ここは僕の村だ!僕が何をしようが良いじゃないか!」

 「もちろん、そう、だから落ち着いて──」

 「だ、だから、って、れ、礼くらい言ったって──」

 「君、しつこいぞ、今すぐ出て行くか?」

 「稲造も何言ってんの」

 「な、な、泣くくらい、う、う、うまかった、く、くせに」

 「何を!僕が泣いたって言うのか!」

 「そ、そ、そうだよ──」

 「ふざけるな!泣く訳ないだろ!他所もんのくせに!」

 「そ、それは、か、関係ないじゃないか──」

 「ちょっと、二人ともいい加減」

 「よおし、やるか?決着を付けようじゃないか!」

 「い、い、いいよ」

 「そんな事で二人とも──」

 「いいなら、やめよう」

 「え?」

 「え、え?」

 「──いいなら、やめてやる!」

 カズと稲造は肩透かされる思いだった。

 男は精一杯の仕方無さを醸し出して言葉を絞り出した。

 「──言ったと思ったんだけどな・・・うまかった・・・ご、ご馳走、さまでした」

 カズは吹き出すのを堪えて応えた。

 「どういたしまして」

 日が沈むまで、カズは自分の事情や稲造に出会うまで、また会ってからの事の成り行きを話した──。

 

 それから三人は小屋内に移動し、絹衛門は行灯を点けてくれた。

 改めて室内を見渡すと、様々な物があり、絹衛門の生活の様子が見て取れた。

 カズはそれらを触覚で一つずつ感じ取った。

 「──絹衛門きぬえもんはどうしてここに居るの?」

 「〝キヌ〟でいいって──」

 絹衛門は幾つかの書物をまとめながら呟いた。

 「こんなとこには少しだって長居はしたくないさ。けど・・・」

 「──けど?」

 「航海術が無い・・・」

 「こうかい、じゅつ?」

 「ああ、此処ここを出たって、海を渡れなけりゃどん詰まりさ──」

 「うみ?」

 「そうだろ、島から出なけりゃ意味がない。それなら此処に居た方が随分マシさ──」

 「──しま、なの?」

 「カズ、さっきっから質問ばかりだね。こう言うのは順番こかと思ったけどね──」

 カズは動転していた。

 頭の中に無かった単語が立て続けに並べられたからだった。

 「どうしたって言うんだい、いったい──」

 稲造が割って入る。

 「も、もしかして・・・」

 カズには自分の位置範囲の概念が曖昧であった。島という用語は知っていたが、海を見た事は無かった。

 正しくは、はっきり見た事が無かった──。

 そして、航海術と言うものが未知であった。

 もし〝親代わり〟が島内に居ないとしたら、二度と会えない気さえした。そして、この人探しは途方も無い確率だと言う事が現実となって押し寄せて来た。

 その様子を感じ取った稲造は言葉を失くしていた。

 絹衛門は気にしつつも話を続けた。

 「なんか、気落ちしているみたいだけど、これで説明しようか──」

 絹衛門が差し出したのは、大判の和紙に描かれた地図であった

 「か、カズ、これ地図だよ」

 「──地図?」

 「昔この村に居た語り部が書いた地図だ。太陽の動きから言うとこの向きかな?」

 そこには島の概要がわかる要点が記されていた。

 北側に港の様な記号、中央から南にかけては山脈の様に段々と山が連なっている様子がある。

 「こ、こ、これって・・・」

 「島地図さ」

 「──今あたし達が居る島ってこと?」

 「そう、語り部の爺さんが書いたんだと──」

 稲造はカズに島の造形をできる限り伝えた──。

 「──それで、今いる場所って」

 「ああ、ここさ──」

 絹衛門の指した箇所は、南側の山脈のさらに中央付近だった。

 稲造はそこからさらに自分たちが辿って来たであろう方角や距離感をカズに伝えた。

 カズはおそらく、さらに南下したであろう最南端の山の中で〝親代わり〟に育てられたんだと仮定した。

 そしてカズは改めて絹衛門に訊ねた──。

 「あたしたちがいる、この島。名前ってあるの?」

 絹衛門は書物を漁りながら答える。

 「それも書いてるけど、〝安隠仁島あおにしま〟って言うんだ──」

 「あおに、しま・・・」

 「し、し、知らなかった・・・」

 絹衛門は新たな地図を広げて言った。

 「お前たちはほんと何も知らないんだなぁ。そしてこの地図が、〝植木島〟。こっちが〝藤井島〟だ」

 合計三枚の地図が広げられた。

 「この地図を頼りに、僕は藤井に行きたいんだ。語り部はこの島から来たらしくてね。〝楽園〟って言ってた。それには船と航海術が必要で、この山を降りて港へ行かなきゃいけない。だけど、ただの山じゃないんだ、ここは──」

 絹衛門からは続々と知らない情報が出てくるため、カズと稲造は頭の整理が追いつかなかった。そのため、結局は質問ばかりになってしまっていた。

 「ただの山じゃないって?」

 「まず一つは、地図じゃ分かり難いけど、この島は大きく分けて南北で区域が分かれる」

 「う、うん」

 「僕らが居る所が南の区分で、ここは断崖絶壁のさらに上にあるんだ──」

 「・・・?山の上の山ってこと?」

 「そう、そして北側が断崖の下にある平地さ。そこに行ければ、きっと、船も船乗りも居るはず」

 「そうなの?」

 「たぶん・・・」

 「た、た、たぶんて・・・」

 「仕方ないだろ、行った事ないし、聞いた話だけだし、そんな情報しかないんだから」

 「そっか──」

 「あと、二つ目の問題が〝蛇崩谷じゃくずれだに〟があること」

 「な、な、なんだい、それは?」

 「蛇神様がいるんだ。ほらここさ、蛇の印がある所。あ、こっちか蛇は。この印は何だろ?虫か?・・・」

 「蛇神様?・・・」

 「そうそう。そして、最後は絶壁をどうして降りるか。この島は大地震と大津波と地殻変動で島全体が歪に変形して出来たらしい。本当はそれまでは地続きになってたらいんだけど、いつの間にかこの島は孤島になったんだって、大昔の話だけどね──」

 「そうなんだ──」

 「いろんな所からこの島に流れ着いて、この断崖絶壁からの山を登りきれた生き残りが僕らってわけさ──」

 「そ、そういえば、ぼ、ぼ、ぼくの記憶の、は、始まりは、大勢で、ふ、ふ、船の上だった気がする──」

 「有り得るね、僕は物心ついた頃からここに居るけど、大概が漂流者の筈だからね」

 「あたしも、記憶の始まりはここ。船も乗った事も無いし、一度遠くに〝青〟が見えた事があったけど、あれが海?」

 「そうかも知れないね、ここよりも南に居たなら、遠くに海が見えてもおかしくはないね。その〝親代わり〟ってのと、南航路で上陸した口かもね。ただ、そうだとしたら船着場なんかない、それこそ断崖絶壁からの上陸になるはずなんだけどな・・・」

 ここまでの会話で、それぞれが朧げながらも自分の起源を垣間見た──。

 カズに至っては、今まで黒塗り化されていた生い立ちが、まだまだ濃い影ながらも、浮かび上がる兆しも見えた。

 《なぜ、〝親代わり〟は自分とこの島にやって来たのだろうか?──なぜ、稲造や絹衛門も同じようにやって来たのだろうか?偶然なのか?──そしてなぜ、今度は消えたのか?──この島に〝親代わり〟は居るのだろうか?──》

 疑問を自分に投げかけた所で、答えは出るはずもなかった。

 カズは難解を打ち消すかの如く、視点を今に切り替えて質問をした。

 「──それじゃあ、なんでキヌは一人なの?」

 「・・・」


 夜風が三人を通り過ぎる。稲造は眠気もあり沈黙を受け入れた。

 外の墓標を見れば答えは明らかではあったが、カズは敢えて問いかけた。その事実を明らかにして受け入れる事が出来た上で、先に進めるような気がしていたからだ──。

 絹衛門はもう、カズの問いすら忘れてしまったかのように言葉を発しなくなっていた。

 手元に地図を引き寄せては呆然としたり、立ち上がったと思えば、風の通りを塞いだり。そうこうしている内に、稲造も寝息を立てていた。

 「──ごめん、言いたくなければいいよ」

 無理強いはしたくなかった。

 「稲造も寝ちゃったし、ここで寝てもいいかな?」

 板の間に呉座もあり、返答はないままカズは寝そべった。

 カズは躊躇いつつも言葉を失っていた──。

 今、絹衛門はどんな表情なのか、何を思っているのか、計り知れないまま時は流れた──。

 眠りに就いてもおかしくない頃合いに、ようやく絹衛門が話出す。

 「──朝起きたらさ、みんな死んでたんだよ」

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