第七話  廃村の知る辺(べ)

 幾日か二人は駒を進めるかの如く歩き、昼夜を目ぼしい木上で過ごした。

 その間に稲造も木の登り方を上達させ、体を固定し眠る事にも慣れてきていた。

 また、上枝からする小便の気持ち良さを一人こっそり味わっていた。

 ある朝、稲造はいつものように固定縄を解き、小便をしていた。飛沫がキラキラ風に揺らめき消えていく様子を誇らしげに見ていた。

 すると、珍しく陽が射す方角に、幾つかの建造物の様なものが見えた。ただ、手放しで喜べる訳ではなかった。

 これまで人を避ける様な生活をしてきた稲造にとっては、人との接触は障壁に他ならなかった。

 ただ今は、カズのために人を探すという目的があり、そのためには避けては通れない障壁でもあった。

 稲造はある種の恐怖心を払拭しなければならないと、目覚めから葛藤していた。

 「稲造、起きてる?」

 カズが木をよじ登りながら現れた。

 毎朝、食料の調達はカズの役目だった。

 皮袋に入るだけの食料を詰め込み戻って来たところであった。

 「通り雨かな・・・結構取れたよ」

 湿った腕を気にしながらカズが話す。

 稲造はきまりが悪く、カズの意識を逸らすかのように大袈裟に言葉を繋いだ。

 「──そんなことより、聞いてよ!この先一里ばかしんところに、何かあるんだよ!こっから見えるんだよ!どうする、行ってみる?」

 「・・・稲造」

 カズは何かに気付いた様子で訊ねる。

 その瞬間、稲造はカズの能力を見誤った自分を恥じた。

 「あんた今、どもってなかったねえ」

 「え?」

 「なんで?」

 「ま、ま、まさか、そ、そ、そんなあ」

 稲造はさらに自分の底力も垣間見た。

 「あら、聞き違いかな?」

 稲造はとりあえず安堵した。

 「──稲造、川は見えない?」

 「か、川か・・・あっ、左の方に川があるかも!で、で、でも、どうして?」

 「さっき下でね、川の流れが聞こえたから」

「す、すごいや、そ、そ、そんな遠くの音まで!さ、さ、さっそく出よう」

 「そうだね、行こうか。ちょっと浴びたいし、なんか腕が臭いし」

 カズは右腕を拭いつつ言った。

 稲造は心の中でカズに土下座をしていた。


 二人はその足で、先んじて水場に向かった。

 木の実やいも虫を頬張り、途中では野草を毟っては稲造に分け与えた。

 池や沼はこれまでもあったが、流れのある川に辿り着けたのは二人が出会って初めてだった。

 カズは白杖で川の深さと流れを測り、さっそく衣服を脱いで川に入って行った。

 腰あたりまでの水深で流れは緩やかな状況で静かに腰を下ろしていく。

 その所作は何やら神聖な感じがしたため、稲造はただただ黙って見ていた。

 稲造の視線からはカズの頭位しか見れない。

 ジッとして動かないカズは湯船に浸かるようだが、表情は真剣だった。

 それもそのはずで、カズは水中で短刀を抜き、気配を消しながら魚の動きを読んでいた。かつて、〝親代わり〟に教わった漁の仕方であった。

 魚を誘き寄せ、隙を突く。

 単純な方法ではあったが、水中で魚の動きに対して虚を突くというのは言うほど簡単ではなかった。

 さすがの〝親代わり〟も脇差では武が悪く、水中では不慣れな短刀を用いていた。

 カズは水中で八の字に両腕を広げ、先端の切先に意識を集中していた。

 魚が通る水筋がだんだんと伝わって来る。

 想像よりも動きが速い──。

 活きが良いのは、水質や栄養価が高い事を意味する。周辺に生息し易くなる。ただ、短刀での突き上げ漁には不利だった。

カズは心の中で声を投げ掛けた。

 《──稲造、しばし待て!》

 カズと稲造の辛抱が功を奏し、カズの周りには一定の群が出来るようになった。

 それは陸からでも水面のざわつきで見てとれた。

 稲造は手に汗を握っていた。

 その直後、ズンと何かの響きを感じた。

 水面はざわめき立っている。

 ただ、カズの動きに変化は無く、稲造には何が起こっているかは皆目分からなかった。

 カズはようやく一息つけた。

 《しくじったか・・・》

 右手の刃先には二尾、しかし片方には一尾のみだった。右手で扱う鎧通よろいどおしの方が刃先が長い事と、技術に加え運も手伝った。

 《〝親代わり〟なら五、いや六はいけたか・・・》

 我ながら情け無いとカズは思った。


 突き上げ漁の仕方を反芻していた。

 カズの身体は謂わば餌だった。

 魚は習性として、捕食後に水筋を一旦戻る。

 安全を確認して、また捕食位置を目指す。

 その繰り返しの中で、体から離れる時の推進力を利用して僅かな力で胸鰭むなびれ部分を突き刺す。若干のズレ程度なら側線を捉えられる。

 それを応用して、魚が重なる瞬間を狙えばいい。ただし外した場合、当分その場所に呼び込むのは困難になる。魚は単純だが危険察知能力は高い。

 そんな内容であった──。


 カズは気を取り直し、川縁に向かう。

 稲造はここで魚の存在を確認出来た。

 「す、す、すごい!さ、三匹も──」

 「感触はあったんだけどね、一匹逃しちゃった、後で干そう」

 「う、う、うん」

 カズは稲造の足元に魚を放って、再び川中に入って行く。

 そんな一糸纏わないカズを、唐突に意識してしまう。

 

 稲造にとっては母親以外の初めての異性の裸体だった。

 母親の御乳の遠い記憶が蘇る。

 暖かくて柔らかかった──。

 いつまでも乳離れ出来ない自分がいた──。

 御乳が出なくてもいつまでも母は吸わせてくれた。小さな自分を守るように抱いてくれていた母親であった。

 それがいつの間にか、手紙と共に母は消えていた。

 〈──ごめんなさい 〉

 母親の最後の言葉であった。

 稲造は母の中で何があったかは分からないまま、ただただ絶望に打ちひしがれた。

 稲造はカズに、そんな都合の良い母親の虚像を知らず知らず重ね合わせていたかも知れないと思った。

 

 しかし──、目の前にいるのはまだ年端もいかない少女である。

 「稲造、来ないの?気持ちいいよ」

 裸でも無邪気に微笑み返してくれるカズに母親を重ねてはいけないと強く思った。

 逆に、自分が守る立場に立たなければいけないと思い直した。

 

 そう思った瞬間、記憶の奥底で忘れかけていた母親の手紙の言葉が浮かび上がってきた。

〈あなたは強い子──〉

 稲造はその結びの言葉を受け入れ、母が消えた事に関してはもっと寛容になるべきと言い聞かせた。


 二人はひとしきり水浴びをし、魚の内臓処理も行ない稲造の先導の元先を急いだ。

 濡れ髪を絞って一本で縛り、縛り紐に付いている〝びいどろ玉〟が水滴とともに強調されている。

 足元もまだ乾き切っておらず水滴を滴らせながら土を跳ね上げ、すぐさま二人のふくらはぎは土まみれになった。

 稲造は川魚三尾を塩振りし葉で包み腰紐にぶら下げて歩いて行く中、自分達と進む方向へ同じように伸びる盛土が気になってしょうがなかった。

 急に足を止め振り返る。

 「ね、ねえ・・・」

 「どうした?」

 「あ、あの川から、ずっと、あ、あっちに向かって、つ、土が、も、盛り上がって、つ、続いてるのが、き、気になってさ」

 「・・・どこ?」

 「こ、こっち──」

 カズは稲造が指摘する場所に行き、白杖で土の硬さを測った。また素手で土を触り、手触りを確かめ、掘り探る。

 稲造はじっと眺めるしか出来ず、ただカズの動向を追う。

 ある程度掘った中から、カズは腐った板切れを取り出した。まとまった残骸は一定の深さにあるようだった。

 カズはさらに先を見据え思考を凝らす──。

 「もしかしたら、水路?かも知れない・・・」

 「す、水路?」

 「この先に溜池や水瓶があるかも知れない──」

 二人はその水路跡に沿い、カズの予想通り水瓶のような場所まで盛土が繋がっていた。


 ただ、そこには土が埋まり、水瓶の役割は既に成していない。

 「──かなり前に使えなくなっているようだね」

 「そ、そうだね」

 かろうじて水瓶の上部の粘土梁が見え、経年の影響で見事に埋没してしまっていた。

 「稲造が言ってた、集落の物っぽいね。きっと・・・」

 「う、う、うん」

 「でも、既に人は居ないかもね」

 「・・・う、うん」


 さらに二人は先に進むと今にも森に埋もれそうな建造物が見えてきた。

 稲造にはまだ片鱗へんりんしか見えないが、それよりも手前にある複数の盛土にじ恐れた。

 カズは稲造の歩幅と感じ取れる緊張で違和感を感じ、訊ねた──。

 「何が見えた?」

 「う、うん、た、建屋と・・・」

 「うん」

 「た、た、たぶん・・・お、お、お墓」

 「墓?」

 「そ、そ、それも・・・と、と、十じゃきかない──」

 稲造は歩を止め立ち尽くし言った。

 カズは稲造を追い越し、当たりをつけ白杖で検知動作をする。

 並んだ盛土の大小や、意味を持たしたような積み上げられた石、そして経過時間などを読み取った。まさしく眼下には無数の墓標が確認出来た。

 そして注意深く建屋に近づき、今度は気配を探知しようとする。

 「稲造、見える景色を教えて」

 稲造は現在見える建屋の景観を必死で説明した。辿々しい言葉であったが、感情を乗せてカズに伝わるように説明した。

 建屋の屋根は歪み、こけ土が侵食している。柱自体は損傷は無いものの、木は痩せそこにも苔が広がりつつある。扉などは無く安易に入れるようだが、奥は暗がりで人の気配もない。目に見える床板は朽ちていて、自分の体重さえも支えられなそうだと稲造は感じた。

 「捨てられた村なのかも・・・」

 「そ、そうみたい」

 「とりあえず用心しながら中に入ろう」

 「な、な、何か、み、み、見つけ、ら、られるかもね」

 稲造は精一杯の虚勢を張った。


 廃村と思われる集落に足を踏み入れると、敷地内には大小の廃屋がさらに連なっていた。

 長屋のものもあれば、一間の物置程度の建屋や、全壊してしまい屋根だけが残っているもの、また丁寧に土壁まで拵えているものも見受けられた。

 まさに共同生活の跡地を見せつけられていた。カズは初めての体験であった。物心ついた頃から、生活はほぼ〝親代わり〟とだけが中心であったからだ。稲造はと言うと、集落出身であったが、ここまで変わり果てた廃村の光景は初めて見るものであった。

 今にも森に飲み込まれる寸前の集落であったからだ。

 「──やっぱり人気は無いみたい。どこかで寝床を確保しようか」

 「そ、そうだね・・・」

 二人は建て屋の様子と見通しを確認しながら、廃村の中身を物色してまわった。

 生活道具が散乱し、かつて人々が交わりを持っていた日常は想像出来た。

 同時に二人には同じ疑問が湧く。

《──どうして人々は亡くなったのか?》

 考えれば考えるほど答えは出なかった──。

 この廃村には不自由なく暮らせる環境が整っていたからだ。

 道中の水路から始まり、必需品の水瓶。仮小屋もあればしっかりと建てられた長屋もあり、炊事場や寝床まで整えられていた形跡もある。

 集落内には農機具まで保管されており、食料に困る様子も無いため飢えが原因とは考えにくい。現にカズたちも道中、豊富な 木の実を頬張りながら歩く事が出来る程だった。

 カズは思索した──。

 《何かしらの争いが原因か?だとしたらあの墓は・・・》


 一番奥まった場所まで行くと、他と同じように朽ち果てる前の小屋に突き当たった。土壁も完全には崩れておらず、多少の雨風は凌げそうな建て屋だった。

 左右にも補強添木があり、明かりは屋内にも入り込んでいた。

 二人は足を踏み入れ驚いた。

 木で拵えた寝台が一つ、その周りには医術道具のような物が散らばり、幾ばくかの書物も見て取れた。

 見慣れない道具は鉄製の物が多かった。

 稲造は躊躇なくガチャガチャ音を立ててそれらに触れていた。

 カズはさらにその奥間の存在に注意を払った。

 稲造をよそにそっと詰め寄る。

 常人には気付かない程度の気配。

 カズは少し前に察知していた。

 稲造に手振りで合図を送り、それを受け取ると稲造は物色を止め部屋は静寂に包まれた。

 《この引き戸の向こうに何か居る・・・》

 カズは無造作に引き戸を開けた──。

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