第九話  理(ことわり)の夕辺(ゆうべ)

 廃村での夜明けは思いのほか静かであった。

 朝靄の中、そっとカズは小屋を出た。昨日の足取りを白杖でなぞる様に集落の入り口まで戻り、さらに墓所までやって来た。

 「ひぃ、・・・ふぅ、・・・みぃ・・・」

 カズは丁寧に墓石を数えていった。

 十八つ分の墓であった。

 すべて絹衛門きぬえもんが拵えた物だった。

 何日間もかけ、恐怖の中、これだけの墓場を拵えるには想像だにしない精神力が必要な事だけは理解できた。

 今こうしてその場に立ち尽くす事で、当時の絹衛門の残像が浮かび上がるようだった──。


 ──昨晩、絹衛門は唐突に独りきりになった朝の話をし出した。

 当時絹衛門は病床に居たため、何が行われたかは詳細不明だったようだ。

 ただ、朝方に体調が回復し、村人達より遅れて広場に出た。そこでは大体皆んなで食事をする習慣になっており、一日が始まるそんな場所であった。

 絹衛門はそこで無惨な光景を目の当たりにした。

 「──朝起きたらさ、みんな死んでたんだよ」

 カズにそう言い、感情のたがが外れた絹衛門の言葉は止まなかった。

 震えながら、泣き叫びながら、当時の状況をカズに話した。

母とはすでに死別していたため、絹衛門はこの村で父と暮らしていたが、その父も井戸端においてこの世の者とは思えぬ表情で生き絶えていた。

 絹衛門は幼かったながらも、水瓶の水が原因と突き止め、水に手をつけなかった。

 そして、導き出した答えが全員の埋葬であった──。

 まずは父から、そして村の中の者へ──。

 掘る間や運ぶ間、阿鼻叫喚の末に硬直した死顔の視線を受けながら、顔を逸らしつつ、一人一人埋葬していった。水は飲めないのに、涙は止む事はなかった。

 ついには渇望に襲われ、死ぬ思いを覚悟して川の水を飲んだ。

 生き返るようだった──。

 その後も体に異変は起こらず、川は安全だという事が分かり、まずは水瓶を塞ぐ事にした。

 それから埋葬に立ち返るが、今度は死体が腐敗し出していて、引きずり運ぼうとしても肉体が崩れ出す始末だった。

 腐敗臭も酷く、耐え難い時間が幾日も続いた。その頃には誰が誰だか既に顔では判別出来ない状況で、分解された肉体のお陰で墓穴も小さく済んだりした。

 大小チグハグな墓所が出来上がったが、自分のこの先が全く見えない日々が続いた。

 保存されていた食料を騙し騙し消費していく。その間も、涙はことごとく溢れ落ちていく──。

 そんな出来事を絹衛門は恥も外聞も捨て、泣きながら語った。


 カズはその様子を優しく耳を傾けて受け入れた。稲造もその慟哭どうこくで目覚めては居たが、震えながら聞き入れていた。

 おそらくカズはまた、自分よりも長い年月、または酷な状況で独りで暮らしていたようだと推測もした。

 稲造といい、絹衛門といい、孤独と言う共通項で繋がれた関係性を見つけられた気がした。

 少し前まで気高く振る舞っていた絹衛門だが、顔をクシャクシャにして感情を剥き出しに訴えかける。

 これまでの負の感情が溢れ出し、制御出来ないところでのまさしく感情の決壊であった。

 絹衛門は膝を突き、喉が千切れるまで吠えるように泣いた。

 カズはそんな絹衛門のそばに立ち、両手で頬に手を添え、落ち着くまで涙を拭った。

 絹衛門の顔立ちを読み取りながら、悲しみを拭い去るように、ひたすら涙が枯れ果てるまで拭い続けた──。


 しばらく経ち、絹衛門も泣き疲れ眠りに着き、稲造も目元を濡らしたまま眠っているのを確認し、カズは墓所で夜を明かしていた。

 墓石を数えたり、幼き絹衛門の動きを想像したり、寝転んだり、見えない空を見上げたり、カズは目まぐるしいほど考えを巡らせていた。

 そんな束の間、夢の中で〝親代わり〟が現れる。

 記憶の断片にもない光景であった。

 しかしまめに作っていた濁酒どぶろくを片手にカズを見ていた。

 うっすらと気色の悪い笑みを溢したような表情を浮かべ、ちびちびと濁酒を舐めていた。

 夢の中では語りかける事もなく、反応を凝視しているのみだった。

 やがて石垣に腰掛けている〝親代わり〟が、カズに語りかけた。

 「──カズよ、自分の胸に従って行動しろよ。お前は賢いから、時折り考え過ぎる節があるからなあ。ここで感じたまんま、動け。そしたら、俺に行き着くかもなあ・・・」

 そんな捨て台詞を吐いては、そのまま消えていった──。

 カズは即座に目を覚まし、臨戦体勢を取る。

 まるで現実に居るかのような姿形であったからだ。

 しかし、ここには石垣も無く、濁酒の匂いや人の気配も皆無であった。

 交差させた両腕から、柄に触れるまでもなく体勢を解き放ち、居るはずも無い〝親代わり〟に向かって声を上げた──。

 「あんた、生きてるわ。よく分かんないけど、きっと生きてる。そして、あたしを待ってる!」

 ──森は何も応える様子も無く、風がカズを通り過ぎるのみであった。

 カズは心のつかえが取れた気分であった。

 髪を結い直し、その際に〝びいどろ玉〟が音を鳴らした。それはまるで何かの合図のようにも聞こえた。

 その打ち鳴らしも風が運ぶ気さえした──。


 絹衛門の小屋では、稲造ともに起床済みであった。

 「二人とも起きてたんだ」

 「ああ、きの子があるから焼くよ。待ってなよ」

 絹衛門はそう言うと小屋から出て行った。

 「か、か、カズ──」

 稲造が声を掛ける。

 「どうした?」

 「こ、これから、ど、どうする?」

 「うん・・・港を目指そうと思う」

 「う、う、海に、で、で、出るんだね──」

 「──そう。この島にアイツは居ないと思うから。稲造はどう思う?」

 「い、い、いいと思う。ぼ、僕も、う、海に出たい。──け、け、けど、絹衛門は?」

 「・・・それはキヌに決めてもらおうと思う」

 「わ、わ、わかった」


 外に出ると絹衛門が手際良く火を焚き、かなり大きな笠のきの子を焼き上げていた。

 傍らには手頃な芋ときの子、小枝の残骸や大小の土杯、そして骨皿までがあり、丹念に準備された形跡があった。

 カズはそれらに気をつけて、腰を下ろす。

 二人が腰を据えるや否や、絹衛門は口を開いた。

 「こんな大きさ見たことないだろう?雪笠茸ゆきかさだけって言って、なかなかの代物なんだ。君らは食べたこともないだろ?」

 言われるがままのカズは触れたい思いで口を挟もうとしたが、それよりも素早く絹衛門の言葉が続いた。

 「──ここでは色んなことを、色んな人から教わったんだ。きの子の種類だって沢山知ってる。絵にだって描いたからね。本も幾つかここにはあってね。字だって書けるし読めるさ」

 雪笠茸は文字通り雪の様な白さであったが、徐々に焦げ目を付け、水分を滴らせ芳しい匂いを発し出した。

 カズはその様子を想像するにとどめた。

 「──昨日のお返しだ」

 そう言うと、袋から塩を出し全体に丁寧に塩を振っていく。

 「これも村の人が遺していったものさ。元漁師も居てね。よく魚を漁って来てくれた。仕掛けは教われなかったけど、見様見真似で作ってみたよ。でも魚はなかなか漁れなかった。あんな大きい魚は昨日が初めてだったよ──」

 さらに水分を吐き出したきの子を絹衛門は二人に手渡し、自分の分を端に避けた。

 そして、次は串し芋を焼き始める──。

 「君たちだけじゃ、心許ないだろ?今まで地図も無かったんだから。おまけに目くらじゃ、それこそ目も当てらない。稲造だって、僕が居た方が心強いはずさ──」

 芋の焼き目を観察しながら、全体に火を通す作業は怠らない。

 カズと稲造は、雪笠茸を頬張りながらも返す言葉の隙が見つからないでいた──。

 きの子の旨味を感じつつ、絹衛門から目耳が離せなかった。

 「──そうと決まれば、支度をしなきゃいけないな。たいそうな準備が必要だぞ。君らの装備もまだまだだから、足りない物はこっから持ってくといい。治療道具だってあるからね。あ、でも、僕は医術はわからないんだ。ただ、医術書があるからそれは持って行こう。昼日中には出た方がいいからね」

 一方的に捲し立て、ようやく絹衛門は二人を一瞥した。

 カズも無論その視線を感じ、稲造と顔を見合わせては急に笑いが込み上げてきた。

 二人は声を出して笑って見せた。

 「なんだい、急に。気色悪いじゃないか──」

 「だって──」

 「だって何だい、そんな可笑しなこと言ったかい?雪笠茸にそんな作用はないはずさ」

 「あたし達の旅に来てくれるって言うから──」

 「そ、そ、そう!」

 赤面しながらも絹衛門は答えた。

 「ああ、君たちが来て欲しいならね──。行ってもいいよ」

 「ええ、ぜひ!アタシらだけじゃ舟の調達はもちろん、山だって降りられはしないんだから──」

 「う、う、うん!」

 満更でもない表情のまま、絹衛門は続けた。

 「──でも、港までだぜ?僕はそこから植木島に行って、その先の藤井島を目指す!」

 「わかった、それまではあたしが守る──」

 「舟もそうだけど、船頭も見つけなきゃならない、それだけでも何が起こるか分からないからね」

 「何か起こったらそれも守る──」

 「やっぱり難関は蛇崩谷じゃくずれだにだよ、あそこはやばい!まあ通らなきゃいいだけさ──」

 「そこでも守るよ──」

 稲造はクスクスが止まらなかった。

 「──さっきから何か守るとか言ったかい?そうさ、僕の言う事守ればきっと大丈夫さ、うん、行ける!行けるさ!」

 カズは未来の映像を脳裏に映し出す事が出来た。これからの旅路の、それこそ幸先の良い暗示のような光景がカズには見えていた。

 絹衛門は小気味良く土瓶を手に取り、中にある古米を皿に開けた──。

 「こ、こ、これは、こ、米?」

 「そうさ、これからは三人で旅をするんだから、まずは三人で酒を作る。そこからが始まりだ──」

 「もしかして、口から出すやつ?」

 「そうさ、よく知ってるね」

 「〝親代わり〟がやってたから」

 「薬にもなるし、共同作業ってやつさ──」

 絹衛門はそう言うと、古米を咀嚼し唾液とともに土杯に吐き出した。

 唾液で発酵させ、酒を造る。それは絹衛門にとってある種の儀式のようなものだった。

 「ほら、カズも稲造も、ここに吐き出すんだよ」

 絹衛門には貴重な古米である。

 かつて村人が一生懸命に育てていた稲を見て、自分も育ったからであった。

 ただ、大盤振る舞いしても、三人の証を形として残したかった。

 カズも複数回、噛んでは吐いてを繰り返し、甘味を楽しむ余裕も生まれた。

 絹衛門は三人分の咀嚼液を丁寧に瓢箪ひょうたんに流し入れた。

 「──よし、これは責任を持って自分が管理する!」

 カズは頼もしき仲間を招き入れられた事に大満足し、稲造も結果的に絹衛門を認め受け入れた──。


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