第六話  追奔逐北(ついほんちくほく)

 峠を一つ越え、足場の悪い山道を下って行くと、そこには噴火口の様な広大な窪みが現れる。さらにその先にもいくつか峠が連なりを見せて、霞の先には何があるかさえ分からない光景がある。

 霞が晴れる事はなく、隙間を縫って光が射すだけであり、四六時中見通しは悪い。

 荷車に居座る男は隠次いんじと言った。

 ここへ到達する迄に、何日も何日もしらみ潰しに山中を捜索していた。

 途中、嵐のおかげで足跡を辿る事が出来ず、手下を率いて後を追うにも限界が近かった。


 そんな矢先に隠次は狼煙のろしの様にもみえる煙跡と炎を燻夜くすみやに発見でき、率いる男共に指示を出す。

 「デクと俺は、なんとか回り込んで北側に向かう、お前らはここから降りて窪地から北へ向え。そしてあの場所を調べてこい──」

 「いんさんよ、目当ての奴がいやがったらどうすれば?」

 「そうだ、俺らに出来る事って言えば寝込みを襲うことくらいだしな」

 「三人だけじゃおっかねーわ、あっしは荷車の手入れでもいいかの?」

 大の男三人が口を揃えて弱音を吐いていた。

 「だらしねえ野郎達だ、荷車は問題ねえ!もし居たらだな、今時分だ寝てるに決まってるだろ!隙を見て生かしたまんま捕えろ」

 男三人は、不安気に顔を見合わせている、

 「バカやろー!びびってどうする、お前らなら大丈夫だから早く行ってこい!」

 三人はどちらかと言うと不貞腐れ気味に崖を降り始めて行った。

 隠次はそうは言ったものの、予想出来ない事態だと勘繰っていた。

 相手はこれまで火の使いには慎重かと思っていたが、派手に火を起こしている。

 まだ探し手だと決まった訳ではないが、安全策として手下を先に行かせる方が妥当と考えた。

 「デク!ほれ、周り込んで向こう側へ行くんだよ!」

 そう言われるとよどんだ夜空を見上げていたデクは、荷車を引きガラガラと音を立てて歩き出した。


 デクの出立ちは周りの男共に比べると二回りまたは三回り程度大柄で、ぼろ切れの上からでも肉体の強靭さが伺える風体であったが、表情は常に穏やかな雰囲気で威圧感などは無かった。

 そんなデクが山道には不釣り合いな荷車を顔色変えず、黙々と引き歩く。視界はもちろん勾配すら意に返さず、一定の歩幅を保ち進んでいった。

 荷台にはバランスを取りながら隠次が居座る。

 囲いに捕まり、慣れた様子でキセルを噴かす。さらに荷台の一角には皮布が被せられ、ガチャガチャと鈍い音も響かせていた。

 「デクよ、俺らは一心同体だ。長生きしようぜ──」

 デクは聞こえたか聞こえていないか判断つかず、上の空なまま歩き続けて行く。


 崖を器用に下る三人は、程なくして窪地に到達した。またすかさず松明を掲げ、そのまま煙が上がっていた場所へ向けて直進して行く。

 しばらくすると、焼け焦げた小屋の残骸に辿り着いた。

 「こいつか、燃えていたのは──」

 息が一番上がっていた背の低い小太りの男がやっとの思いで声を出すと、瓜二つの顔の男達はすでに燃えかすと化していた小屋の中に入って行った。取り残された小太りも周りに何も居ない事を確認し、まだ見ぬ逃走相手の影を想像すると居ても立っても居られなくなり、息を整える間もなく二人の後を追った。

 「臭いが尋常じゃないな」

 松明の明かりを頼りに、煙で充満している小屋内を見据えていると、黒ずんだ塊が鎮座しているのを発見し三人ともに動きが止まった。

 「こりゃあ、人間だな・・・」

 「丸こげじゃねえかよ」

 「・・・し、しかも両手の平がばっさり無えぞ──」

 背筋が凍る感覚を同時に覚えた瞬間だった。

 自ずと呼吸も浅くなり、双子であろう男が会話を始める。

 「もしかして、俺たち、とんでもない者を追跡してやしないか?」

 「ああ、ヤバすぎる」

 「引き返そう、もう手に負えない」

 「そうだな、隠さんには悪いが、もうやめよう──」

 すると、小太りの男が二人の視界から消えた。

 ドタッと、底が抜けそうな床に倒れ込んでいる。

 「どうした!?」

 白目を剥き泡を吹き痙攣している。

 「な、なんだ!?」

 続けて、双子の片割れも膝から崩れ落ち、不気味に震え出した。

 かろうじて意識がまだある男は周りを見渡したが、不審なものは見当たらない。まとわりつく煙霧えんむくらいだった。

 「──煙!?」

 それに気付くと同時に足腰から力が抜け、仰向けに倒れ込んだ。

 「ぐ、苦しい・・・」

 息継ぎもままならない中、かろうじて向けていられた視線の先に焦げた男が居座っていた。

 意識が朦朧とし出した中、焦げた男の目蓋が開き、自分を覗き込むように言葉が放たれた。

 「お前も救ってやる──」

 それを最後に酸素を取り入れる事が出来なくなり生き絶えた。

 三本の松明も燃やす物が途絶え、闇に吸い込まれていった──。


 カズと稲造は崖を登る事を断念し、道を探していた。

 岩登りとなった場合、稲造への負担と安全を考え、時間がかかっても道を歩いて進める所を求めていた。

 その結果、なんとか地に足を着けて進めそうな道筋を見つける事が出来ていた。

 ただ急勾配には変わりなく、気を引き締めて挑む上り坂が続いていた──。

 二人は夜通し悪路を上り歩き続けた。例によって途中で稲造はカズの背を借りることになる。背中で眠る稲造をかばいつつ、足を踏み外すことの無いよう、着実にかつ迅速に歩を進めた。

 カズは野鳥のざわめきや肌に感じる気温や湿度、また風の流れから夜が明けようとしていることを感じていた。

 ようやく這い上がるようにして谷底から脱したカズは、頂きの平地でうつ伏せに倒れ込んだ。

 「き、きつい・・・稲造、ちょっとのけて・・・」

 その振動とカズの声に目覚め、慌てて固定縄を解きカズの背中から離れる。

 「ご、ごめん・・・つ、着いたんだね」

 「ねえ、どう?この先の道見える?」

 息切らしながらカズは訊ねた。

 「あ、ああ、ま、まだ暗くて、み、見えずらいけど・・・」

 その間にカズは体力の回復をうつ伏せのまま待つが、疲労のため意識が飛ぶ寸前だった。

 周りに意識を配る余裕も無く、だんだんと意識が遠のくのがわかる。

 稲造はそんな様子のカズを気にしつつ、じっくり雲の背に隠れながら太陽が昇っていくのを待ちながら、まとわりつく霧に目を凝らしていた。

 すると、だんだん明るみと同時に霧が薄れていき、視界の先の影が浮かび上がる。

 そしてその影は均一に見えていたものから、濃淡が分かれ遠近に分かれていく。

 一番近くの影がだんだんと浮かびあがり、それは人影だと気付いた。

 「あ、あ、カ、カズ、起き、起き──」

 稲造の声を眠りの淵で聞き入れる事が出来、カズは一瞬で現実に舞い戻る。

 頭より先に身体が反応した。

 稲造を引き寄せ、自らが盾になるよう、白杖で身構えた。

 明らかになったのは人の気配であった。

 気配からの圧力で身体の大きさがなんとなく分かった。視線の圧力を感じず、顔の向きが分かった。そして何よりも殺気の有無が感じ取れた。

 「ひ、ひ、人がいるよ──」

 「うん、わかってる」

 カズは構えは解かず声を上げてみた。

 「誰?」

 デクはゆっくりカズを見やった。

 そして微笑んだ。

 カズはそれを感じ取った。

 《──え?笑ってる?》

 稲造もカズに伝える。

 「え、笑顔、だ、よ」

 デクはまた顔の位置を戻し見上げていた。

 静かな夜明けであった。

 頂きからはこの先に連なる幾つかの峠が見え、稲造はげんなりもしていた。

 再びカズは声を上げる。

 「あんた、何を見てんのさ」

 稲造もカズの背後で大男の挙動を見守る。

 デクは空を見上げながら、今度は呟いた。

 「・・・なんか飛んでる」

 「は?」

 それを聞いた稲造も空を見上げてみるが、灰色がかった空が一面にあるだけだった。

 「な、ないよ、な、何も」

 稲造はこっそりカズに伝えた。

 カズは両足の親指に込めていた力と構えを解き、大きく呼吸を吐いた。

 「稲造、大丈夫そうだよ」

 「だ、だ、ね」

 デクは黙って空を見上げている。

 「とりあえず、早く進もう。稲造、道ある?」

 「あ、ああ、こ、このまま真っ直ぐで、ひ、ひとまず下れそう」

 「ありがとう、それじゃあ行こうか」

 カズはこの場を離れる決断をした。

 少しでも早く安全な場所で体制を整える事が大事だと思っていた。

 大男の存在は気にはなったが、現状害が無い事で無視する事にした。

 二人はそのまま素通りしようとした時、不意にデクから言葉が漏れた。

 「気をつけなね・・・」

 稲造から見ると、大男はいつの間にか下を向き、どこか寂しそうな表情をしていた。

 稲造はカズに何かを伝えたかったが、言語化出来ずにいた。

 カズはそんなデクの様子は感じてはいたが、一言発してその場を去った。

 「ああ、あんたもね──」

 デクはその言葉で、再び笑みをこぼしたが、二人は気付かず行ってしまった。

 やがて、霧が晴れてくると、デクの少し背後に荷車が浮かび上がってきた。

 影を作るほどではないが、明るさは増した頃、荷車から声が発せられた。

 「──いけね!」

 荷台から上半身が起き上がり、隠次いんじが辺りを見回す。

 「デクよ、アイツらはまだか?」

 デクは俯きながら首を振った。

 「・・・だいぶん遅いな」

 隠次はふと、デクの視線の先に寝ぼけ眼を向けた。

 「おい、そりゃ、足跡じゃねえか!」

 デクは今度は首を縦に振った。

 「お前、アイツらはまだって言ったよな?」

 再び頷く。

 「──じゃあ、そりゃあ、一体誰の足跡だ・・・」

 「・・・」

 デクは固まっていた──。

 隠次は考えを巡らせていた──。

 三人衆を行かせた場所に煙は無いことを見やり、目の前には二人分の大小の足跡も確認した。隠次は状況から成り行きを結論付け、デクに語りかける。

 「──デクよ、三人はもう来そうにない、諦めよう」

 「・・・」

 「たぶん、死んじゃってるよ、アイツら──」

 「・・・」

 「なあ、デクよ、せめてこっそり起こしてくれりゃあなあ・・・」

 「・・・」

 「・・・まあ、無理もねえか」

 デクは無言を貫いていた。

 「ひとまず、食いもん探して来てこいや、それからこの足跡を追おう」

 ここでデクはようやく頷き動き出した。

 隠次は手慣れた手捌きでキセルに火を着けると、大きな息を吐きながら呟いた。

 「怪物か・・・」


 その頃、カズと稲造は黙々と歩を進めていた。

 カズは稲造の言葉を、道中気にしていた。

 大男をから離れて、すぐ稲造はカズに問いかけていた。

 「だ、誰だったんだろ・・・」

 「わからない、けど、今は全てから離れよう」

 「う、うん・・・」

 答えを見出せないまま、峠を下り終え、樹海の中に入り込んだ。

 稲造の情報から、しばらく平地が続く事が予想できた。

 水はまだある、凌げるくらいの食事もあった。

 「ここら辺で野営しよう」

 カズは現在の立地を活かそうと考えた。

 「木の上で寝るよ」

 「う、う、うん」

 明らかに不安な様子が感じ取れた。

 「稲造、用心のためにコイツの上で寝床を確保するよ」

 カズが定めた大木は周りの樹木に比べ年老いて見えたが、稲造にはどこか心強く映った。

 「自分でちゃんと登るんだよ」

 稲造は一気に血の気が引く思いがした──。


 その後、二人は縄で互いを結び、稲造を先に登らせ、じっくりゆっくりと木の上の八合目付近を目指した。

 カズ単独では数分で辿り着ける位置だが、下から稲造を抑えつつ、手場足場の指示をしつつで、ようやく目的の位置に着いた頃には、二人とも疲弊し切り何とか安定する枝にしがみついていた。

 「さ、さ、さすがに、こ、こ、ここで寝るのは──」

 稲造の言葉を遮るように、カズも残りの力を振り絞り、二人を繋げていた縄を解き、稲造を枝に括り付けた。

 「ほら、これなら寝ても落ちないから」

 稲造はあっという間に巻き付けられ、縄を解かない限り落ちようも無い体勢にさせられた。

 「あ、あ、ありがと・・・」

  カズは起用に幹にもたれ掛かり、足を伸ばしくつろぐ格好に入った。

 稲造は寝入りを確かめるため、小さく名前を呼んだ。

 「か、カズ?・・・」

 「もう寝な」稲造は即答され、余計な事を考えるのをやめた──。

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