第四話 重なる幻影
「腹ごしらえしよう」
カズは匂いを嗅ぎ取った。
笠吉が収穫したあの実の匂いだった。
稲造に身振り手振りで実の存在を伝える。
稲造はカズの目となり辺りを見回す。
「あ、あの、あった・・・け、けど、ぼ、ぼ、僕には、む、無理だな」
その実は二人の遥か頭上に存在していた。
稲造を降ろし、火を焚くよう願い出た。
「行ってくる──」
木登りはお手のものだった。その昔〝親代わり〟にこき使われた結果、雑作もない技能となっていた。釣り床の固定はもちろん、木の実の収集や鳥の巣からの卵収穫、樹皮剥ぎや野鳥確保まで、時には木の上で眠ってしまいそのまま落下して痛い目を見たこともある。それは野鳥の生け取りという無理難題であった。夜行性の鳥を木の上で息を殺しながら待ち伏せ、止まり木に来た瞬間に捕まえる作戦であった。〝親代わり〟はある大柄な野鳥が決まった時刻に決まった場所に留まることを発見したらしい。それが、真夜中の小便の際に数回見ただけのくせに、「俺の目に狂いは無い、あの獲物の習性を掴んだ!」と鼻息を荒くし語っていた。そしてカズに「どうしても食いたい!だから俺の言う通りやるんだぞ」と、作戦の一部始終を指揮した。
──その夜、カズは教えの通り木の上でやり過ごしていた。〝親代わり〟は地上で優雅に高いびきの中、自分なりに気配を消す事を実践していたが、待てど暮らせど目当ての鳥はやって来ない。やがてカズも目蓋の重さに耐えかね、意識を失い真っ逆さまに落下してしまった。かろうじて〝猫返り〟で受け身が出来たが背中に受けた衝撃で息も絶え絶えに悶絶した。カズはこの時の事を《眼玉が飛び出るかと思うほど苦しかった》と表現している。
さすがの〝親代わり〟も呻き声に目を覚まし、カズの状況から成り行きを察した様子だった。
寝ぼけ顔のまま臭い髭を
「鈍臭いヤツだな」
カズは言い返そうにも声すら出せなかった苦々しい記憶である。
今、木を登りつつ怒りも少なからず込み上げてきていた。
その感情をぶつけるかのように、一太刀で実の束を切り落とした。
ドドドザッ──。
「・・・」
稲造の見上げる直線上から実の束が降り注いだ。
真横に落下し地面にめり込んでいる。
無理やり連れ出された挙句、数時間で死に直面した瞬間だった。
カズの様子を羨望の眼差しで見ていたのも束の間、今はただただ戦慄しかなかった。
カズは何事もなかったかのように降りて来ては、あっけらかんと言い放つ。
「コイツが美味いのよ。あたしも最近知ったの」
稲造が拵えた火中に全ての実を投げ込み、耳や鼻を使い加減を見極める。
「そういや、あんた鼓動が早いね」
ふいに言われたこの言葉で、稲造はこの先の事を考えると大いなる不安が込み上げた。
手早く実を割ると、香ばしさに包まれた。
稲造は火を消し、カズから実を手渡される。
「あ、あち、あちぢっ!」
「あんた痩せてんだからたくさんお食べ」
稲造はカズに比べ背丈も三割減、目方も半分ほどしか無く、骨も曲がり一目で虚弱と映った。
筋力も劣っているためか、小刻みな震えが生じて会話さえ上手くこなせなかった。
相反する屈強な娘と旅をする決心がまだ、稲造の中には確立出来ないでいた。
そんな気弱な思いも、その温かな実を口に運んだ途端に消し飛んだ。
「お、お、お、おいしい!」
「でしょ!ほら、多めにあげるから食べな!」
「あ、ぁ、ありがとう」
稲造は少しずつでも元気になる気がしていた。
理由はカズの存在に他ならなかったが、それ以上に何かがあるような気がした。しかしその何かは?・・・まではまだ分からなかった。
とにかく、少しでも足手纏いにならぬように心がけてムシャぶりついた。
カズは稲造が食べ終えるのを待ちながら、左前腕部分に仕込んでいる鞘位置の調整と、使用後の短刀の手入れをして時間をやり過ごす。
稲造はと言うと、結局食べ過ぎて身動きが取れずにいた。骨と皮の割に異様に腹が膨れていた。
「ご、ご、ごめん・・・」
「何言ってんの今さら、ほら──」
再びカズの背に厄介になった。
──稲造は過去に人目をはばかりこの山に迷い込んだという。
それからと言うもの、洞窟周辺にしか行動範囲がなく、道案内できるほどの知見があった訳でもないが、一先ず山越えを目指し下山への道筋を見つけるには充分役立った。
進む速度も比べものにならなかった。
日が落ちる頃には山頂を越え、緩やかに下って行けば良さそうだった──。
カズは背中に伝わる力加減から、稲造は眠りについたかとばかり思い、適当な場所で野宿の算段をしていたのだが、唸り声からようやく異変に気付いた。
「う、うぅぅ、ゔぅぅ・・・」
「稲造!?大丈夫か!」
返答はなく、不吉な呻き音だけが耳に入る。
こんなに早く稲造の死を予感するとはさすがに予想だにしなかった。
「死ぬな、死ぬな、死ぬなっ!」
カズも精神的混乱を来たし始めていた。
止まるも策はなく、進むも期待は無し。
先が見えず、全ての元凶が自分であるかのような感覚に呑み込まれる。
医術の心得は皆無で、こんな稲造を連れ出す事自体が無謀だったと今更ながらに後悔をした。
「稲造!稲造!」
名前を呼び上げる事しか出来ない自分に腹を立てつつ、方角も何も分からないままとにかく歩を進めた。
悔し涙が溢れ始め、自分でも気付かないうちに伸び切っていた鼻をへし折られた気分だった。
そして、どこからともなく〝親代わり〟のあの言葉が聞こえてくる。
「鈍臭いヤツだな──」
あの頃と変わりのない自分に嫌気が差した。
躓き転び、無様に這いつくばろうと、〝親代わり〟の言葉が重くのしかかる。
「鈍臭いヤツだな──」
「うるさい!」
「鈍臭いヤツだな──」
「全部お前のせいだ!」
「鈍臭いヤツだな──」
「なら、返せ!視界を返せよ!」
喚き散らしながら足を踏み外し滑り落ちる。
「鈍臭いヤツだな──」
わずかな滑落だったため、カズも同体の稲造も無事だが何ら好転はしていない。
「黙れ偽善者!」
カズはへこたれず、自分だけに見える幻影ともやり合いながらも、歩を緩める事はなかった。
ただ、そこは未だ山間のさらに谷の中腹。隣接する山肌は大地からさらに奈落へ続いていた。かろうじて踏み止まれる位置に居る事を、カズは認知出来ずに冷静さを欠く。谷底からの上昇気流や、山肌の傾斜、不安定な地面──。カズは現状にとらわれ情報を見落とす形となり、結果、闇底目掛けて落ちていった。
「鈍臭いヤツだな──」
カズは滑り落ちながらも、体勢を維持する事に集中した。
しかし、稲造を庇いつつの落下では身体操作は不完全で、谷肌に
「鈍臭いヤツだな・・・」
その声を最後に、カズの意識は途切れた。
──カズの意識が戻ったのは翌朝のことだった。
微睡の中、稲造の声が始まりだった。
「ほ、ほ、ほんとに、だ、だ、大丈夫かな」
「まあ、大丈夫だろう」
「う、う、うん」
「ほら、この薬草を覚えておくといい」
「わ、わ、わかった」
《稲造が生きてる!》
カズは声を上げようとしたが、上手く出せないでいた。と言うよりも、体の悲鳴に声がかき消されていた。
ただ、自分の体の自由が利かないことよりも、稲造が無事で居てくれた事が何倍も嬉しかった。そしてその嬉しさを噛み締めるように、静かに耳を傾けていた。
「さあ、出来た。稲造君これを全部飲みなさい」
「な、な、何これ?」
「薬草汁だよ」
「に、に、にが!・・・ま、ま、まず!」
「君は無傷だけど、食べ過ぎで死ぬとこだったからね。体の中を治療しないと──」
それを聞いたカズは合わす顔がなく、もうしばらく眠っていても大丈夫だな──と、言い聞かせた。
──その後、再び〝親代わり〟との記憶が夢に現れた。
「鈍臭いヤツだな・・・」と言われた数日後、獣が焼かれる匂いで目覚めたカズはある光景を目にした。それは〝親代わり〟が例の野鳥の姿焼きをしていた光景だった。
どうやったかは知る由しもないが、しっかりと捕獲を実践できていた証しだった。
「ほれ、食えよ」
カズは憮然としながら頬張ったが、味は格別だったし生きてる心地がした。
「うま過ぎ・・・」
「だろぉ!」
〝親代わり〟は満面の笑みを向け、ややもすると先の見下しを帳消しにするような調子であった。
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