第49話 冬空への誓い、それぞれの未来図
ハルモニアの町を包む空気が、日ごとに冷たさを増し、薬草畑の土にも霜が降りるようになった晩秋。「リリアズ・ハーブ」の店内は、薪ストーブの暖かな炎と、冬向けのスパイスを効かせた薬膳菓子やハーブティーの香りで、訪れる人々の心と体を優しく包み込んでいた。私、エルマさん、トマさん、そしてリナちゃんの四人体制もすっかり定着し、それぞれの個性が花開き、お店はかつてないほどの活気と温もりに満ちていた。
エルマさんは、その細やかな気配りと確かな経営手腕で、店の運営管理を一手に担い、私がお菓子や薬草の研究、そしてアルメリアへの支援活動に集中できる環境を完璧に整えてくれていた。彼女の穏やかな笑顔と的確なアドバイスは、町の女性たちにとっても大きな心の支えとなり、「リリアズ・ハーブのエルマさんに相談すれば大丈夫」と、健康問題だけでなく、様々な生活の知恵を求めて訪れる人も少なくなかった。
トマさんは、薬草畑の責任者として、その才能を遺憾なく発揮していた。アルメリア向けの薬草栽培は、彼の献身的な努力の甲斐あって目覚ましい成果を上げ、厳しい冬を越すための保存方法や、春に向けての土壌改良など、彼の探求心は尽きることがない。時折、「アルカヌム薬草店」のアレクシスさんが私たちの工房を訪れ、トマさんと専門的な薬草談義を交わすこともあった。普段は無口なトマさんが、アレクシスさんを相手に、目を輝かせながら熱心に議論する姿は、私たちにとって新鮮な驚きであり、彼の成長を何よりも物語っていた。彼は、ハルモニアの地で、薬草研究者としての確かな道を歩み始めていたのだ。
リナちゃんは、持ち前の明るさと行動力で、「リリアズ・ハーブ」に新しい風を吹き込み続けていた。薬草教室のアシスタントとして子供たちからの絶大な人気を得る一方、彼女自身の企画で「ハルモニア健康ウォーキング」や「薬草を使った地域美化デー」といったイベントを立ち上げ、町の若者たちを巻き込んで成功させていた。「リナ先生!」と子供たちに慕われる彼女の姿は、かつての少しおっちょこちょいな少女から、頼もしい地域のリーダーへと成長を遂げていることを示していた。
そんな仲間たちの成長と、「リリアズ・ハーブ」の充実ぶりを目の当たりにするたび、私の胸には温かい誇らしさが込み上げてくると同時に、遠い故郷への想いがますます募っていくのを感じていた。ギデオンさんやアレクシスさんの協力を得て、アルメリアの修道院への支援物資は、細心の注意を払いながらも、これまで数回にわたり送り届けることができていた。そのたびに届く、ヨハン殿からの感謝の手紙と、依然として厳しい王国の状況を伝える知らせ。そして、アランからの、短いけれど私の身を案じ、再会を願う言葉……。
しかし、その支援活動も、アルメリア国内の監視体制が強化されるにつれ、次第に困難さを増していた。運び屋が捕らえられる危険性、情報が漏洩するリスク。私たちの「希望の薬」は、常に薄氷を踏むような思いで届けられていた。
そして、ある雪のちらつき始めた初冬の日、ハルモニアに衝撃的な情報がもたらされた。それは、アレクシスさんが独自のルートで掴んだ、アルメリア王国内の最新の動きだった。
「リリアーナ殿……どうやら、王国では、あなたの父君である国王陛下が、ついに幽閉されたらしい。そして、あの強硬派の筆頭貴族である宰相代行が、事実上の摂政として全権を掌握した、と……」
アレクシスさんの言葉は、私の頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を与えた。父上が……幽閉……?
その夜、私は眠れなかった。窓の外では、静かに雪が降り積もっていく。アルメリアは今、どれほど冷たい闇に閉ざされているのだろうか。民衆は、そしてアランは、一体どうしているのだろうか。もう、ハルモニアから間接的に支援を送るだけでは、間に合わないのかもしれない。私が……私が直接、故郷へ戻らなければならない時が来たのかもしれない。
翌朝、私はいつになく厳しい表情で、ギデオンさん、エルマさん、トマさん、そしてリナちゃんを工房に集めた。そして、アレクシスさんからもたらされた衝撃的な情報と、私の胸の内に固まりつつあった決意を、震える声で告げた。
「私は……アルメリアへ向かおうと思っています。もはや、一刻の猶予もないのかもしれません。ハルモニアを離れることは、本当に辛い。けれど、薬草師リリアーナとしてではなく……アルメリアの王女、リリアーナ・フォン・アルメリアとして、私が果たさなければならない責任があるのだと思います」
皆、息を呑み、私の言葉に耳を傾けていた。エルマさんの目には涙が溢れ、リナちゃんは唇を固く噛み締めている。トマさんは、静かに床の一点を見つめていた。
最初に口を開いたのは、ギデオンさんだった。
「……リリアーナ、お前さんの覚悟は、よう分かった。だが、それは死地に飛び込むようなもんだぞ。それでも、行くというのか」
「はい」私は、迷いなく頷いた。
すると、エルマさんが私の手を強く握りしめた。
「リリアーナさん……あなたが決めたことなら、私たちは何も言いません。でも、必ず、必ずご無事で戻ってきてください。この『リリアズ・ハーブ』は、あなたの帰る場所です。私たちみんなで、しっかり守り抜きますから」
「そうです!」リナちゃんも、涙を拭って力強く言った。「リリアーナさんが安心して旅立てるように、私、もっともっと頑張ります!ハルモニアのことは、私たちに任せてください!」
トマさんも、静かに顔を上げ、私の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「……僕も、ここであなたから教わった薬草の知識を、ハルモニアのために、そしていつかアルメリアのために役立てられるよう、研究を続けます。リリアーナさんの帰りを、心からお待ちしています」
仲間たちの温かい言葉と、揺るぎない信頼。それが、私の最大の力となる。エルマさん、トマさん、リナちゃん。彼らはもう、私が教え導く存在ではなく、それぞれが自分の足で立ち、未来を切り開いていけるだけの力を、このハルモニアで確かに身につけていた。だからこそ、私は安心して、この大切な場所を彼らに託すことができるのだ。
厳しい冬の到来を前に、私はハルモニアでのかけがえのない日々を胸に刻み、故郷アルメリアへの、困難で危険な旅立ちの準備を、密かに、そして確かな決意をもって始めるのだった。私の物語は、ハルモニアという温かい大地から、今、再び荒れ狂う運命の海へと、その帆を上げようとしていた。
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