第50話 薬草の唄、未来へ続く道

ハルモニアの町が、深い雪に覆われる前の、冬の訪れを告げる凍てつくような朝。私は、アルメリア王国へ向かうための旅支度を終え、静まり返った「リリアズ・ハーブ」の工房に一人立っていた。壁の棚には、仲間たちと共に作り上げた薬草菓子やハーブティーが整然と並び、薪ストーブの残り火が、ほのかに温かい空気を漂わせている。この場所で過ごした、かけがえのない日々が、走馬灯のように脳裏を駆け巡った。


「リリアーナさん……本当に、行ってしまうのですね」


工房の入り口には、エルマさん、トマさん、リナちゃん、そしてギデオンさんが、言葉少なに見送りに来てくれていた。エルマさんの目には涙が光り、リナちゃんは唇をきゅっと噛み締め、俯いている。トマさんは、黙って私の顔をじっと見つめていた。

「はい」私は、皆の顔を一人ひとり見つめ、そして、精一杯の笑顔を作った。「でも、必ず戻ってきます。ここは、私の大切な家であり、皆さんは、私の愛する家族ですから」


エルマさんは、そっと私の手を握りしめてくれた。「リリアーナさんのいない『リリアズ・ハーブ』は、少し寂しくなりますけれど……でも、大丈夫ですわ。私たち三人で、あなたの帰る場所を、しっかりと守り抜きますから」


トマさんも、静かに頷いた。「……薬草畑のことも、工房のことも、心配いりません。あなたが教えてくれた全てを、僕たちが引き継ぎます。そして、いつかあなたが戻られた時、さらに素晴らしい薬草園をお見せできるよう、努力を続けます」


「リリアーナ様!」リナちゃんが、ついに堪えきれずに私の胸に飛び込んできた。「寂しいですけれど……でも、応援しています!どうか、どうかご無事で……!そして、このお守りを!」彼女が差し出したのは、不格好だけれど、温かい想いの込められた、ラベンダーの香りのする小さな布袋だった。

「ありがとう、リナちゃん。大切にするわ」私は涙ぐみながらも、そのお守りをしっかりと握りしめた。


最後に、ギデオンさんが、私の肩を力強く叩いた。


「リリアーナ、お前さんの決めた道だ。誰にも文句は言わせねえ。だがな、これだけは忘れんな。お前さんは、決して一人じゃねえ。このハルモニアには、お前さんの帰りを待ってる人間が、こーんなにたくさんいるってことをな!」


そのぶっきらぼうな言葉の奥にある、父親のような深い愛情に、私の胸は熱くなった。


私は、仲間たちに深々と頭を下げ、そして、愛おしい「リリアズ・ハーブ」の看板と、窓から漏れる温かい灯りを目に焼き付けた。そして、振り返ることなく、ハルモニアの町を後にした。


アルメリアへの道は、険しく、そして孤独だった。厳しい冬の吹雪に凍え、時には追っ手の影に怯え、身分を隠して宿場町を転々とする日々。けれど、私の心は決して折れなかった。ハルモニアで培った薬草の知識は、道中の病や怪我から私の身を守り、偶然出会った貧しい村の人々を助ける力となった。そして何よりも、遠いハルモニアで私の帰りを待っていてくれる仲間たちの顔が、私の最大の支えだった。


長い旅の果てに、私はついにアランと、そしてヨハンが守る修道院の薬草園の人々と合流することができた。故郷アルメリアを覆う「大きな闇」は、私の想像以上に深く、そして根強いものだった。けれど、私にはもう、かつてのような無力感はなかった。ハルモニアで得た知識、経験、そして揺るがぬ信念。それらが、私を突き動かした。薬草の力で民衆を癒やし、アランたちと共に闇の勢力と対峙し、そしていつか必ず、故郷に真の平和を取り戻すのだと。その戦いは、きっと長く、そして困難なものになるだろう。




――そして、時は流れた。


ハルモニアの町では、エルマさんが中心となり、トマさんとリナちゃんが力を合わせ、「リリアズ・ハーブ」は以前にも増して町の人々に愛される場所となっていた。トマさんは、薬草畑で新しい品種の栽培に成功し、その研究成果は、ハルモニアだけでなく、近隣の村々の農業にも大きな貢献をしていた。リナちゃんは、薬草教室をさらに発展させ、子供たちだけでなく、多くの町の人々に薬草の知識と、健康な生活の知恵を広める活動に情熱を燃やしていた。ギデオンさんは、そんな彼らの成長を、目を細めて見守り続けていた。そして、「アルカヌム薬草店」のアレクシスさんも、時折「リリアズ・ハーブ」を訪れ、トマさんと専門的な薬草談義を交わしたり、エルマさんの作る新しい薬膳菓子を渋い顔で試食したりするのが、町の日常風景の一つとなっていた。


リリアーナが、ハルモニアへ戻ってきたのか、あるいは遠いアルメリアで新たな道を切り開いているのか。それは、まだ誰も知らない物語。


けれど、確かなことは一つだけある。


彼女がハルモニアの地に蒔いた薬草の種は、今も豊かに育ち、その優しい香りと確かな力で、多くの人々を癒やし、笑顔にしている。そして、彼女の「薬草の力で、全ての人を幸せにしたい」という想いは、エルマさん、トマさん、リナちゃん、そしてハルモニアの町の人々へと確かに受け継がれ、未来へと繋がっていくのだ。


リリアーナの物語は、まだ終わらない。


それは、薬草ハーブが奏でる優しいうたのように、あなたの心の中で、そして世界のどこかで、きっとこれからも続いていく――。

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薬草令嬢の看板娘奮闘記! ~宮殿を飛び出し、ハーブと笑顔でおもてなし~ 風葉 @flyaway00

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