第47話 希望の薬、ハルモニアより愛を込めて
秘密の薬草市からハルモニアへ戻った私とギデオンさんが持ち帰った情報は、決して楽観できるものではなかったけれど、それは同時に、私たちが進むべき道を照らし出す確かな灯火でもあった。アルメリア王国の修道院の薬草園は、弾圧の中で細々と活動を続け、民衆のための薬草を切実に必要としている。そして、アランは危険な状況にありながらも、王国の未来を諦めてはいない。
「皆さん、聞いてください。これが、私たちが今、ハルモニアでできること、そして、やらなければならないことです」
工房にエルマさん、トマさん、リナちゃんを集め、私はヨハンから託された情報と、アルメリアの修道院へ薬草や医薬品を送るための具体的な計画――私が心の中で「希望の薬(ハーバル・ホープ)作戦」と名付けた計画――について、熱を込めて語った。
私の言葉を、三人は固唾を飲んで聞いていた。アルメリアの厳しい状況に胸を痛め、そして私たちがこれから挑もうとしていることの困難さと危険性を、誰もが理解していた。けれど、その瞳には、恐怖よりもむしろ、リリアーナと共に立ち向かおうという強い意志が宿っていた。
「リリアーナさん……なんてことでしょう。でも、私たちにできることがあるのなら、どんなことでも協力させてください!」エルマさんは、目に涙を浮かべながらも、力強くそう言ってくれた。
トマさんは、ヨハンから預かった「必要とされる薬草リスト」に静かに目を通すと、「ここに書かれている薬草のいくつかは、僕たちの畑でも栽培可能です。特に、抗炎症作用のあるこのハーブと、滋養強壮効果の高いこの根は、集中的に増産体制を整えましょう。代替可能な近縁種の選定も急ぎます」と、早くも専門家としての的確な分析を始めていた。
リナちゃんも、「私、運び出すお薬や保存食の荷造り、得意ですわ!それに、輸送のためのお金も、少しでも多く貯められるように、お店の売り上げアップのために頑張ります!」と、元気いっぱいに拳を握りしめた。
その日から、「リリアズ・ハーブ」は、表向きはいつもと変わらぬ穏やかな空気を保ちつつも、水面下では「希望の薬」作戦の実行に向けて、工房全体が一丸となって動き出した。
トマさんは、文字通り寝る間も惜しんで薬草畑での作業に没頭した。リストにある薬草の種を蒔き、苗を植え、土壌改良や有機肥料の配合にも工夫を凝らす。彼の手にかかると、まるで魔法のように、ハーブたちは力強く芽吹き、ぐんぐんと成長していくのだった。
私とエルマさんは、工房で、特に必要とされている抗生物質や栄養剤の代わりとなるような、効果の高い薬膳レシピや濃縮ハーブ液の開発と製造に追われた。保存性を高めるために蜂蜜や良質な油を使い、輸送中に品質が劣化しないよう、瓶の煮沸消毒や密封方法にも細心の注意を払う。リナちゃんは、私たちの作ったそれらの製品を、一つ一つ丁寧に和紙や乾燥させたハーブの葉で包み、輸送中に割れたりしないよう、緩衝材と共に丈夫な木箱に詰めていった。彼女は、その包みの一つ一つに、小さな字で「元気になあれ」と、可愛らしい花の絵を添えるのを忘れなかった。
ギデオンさんは、ヨハンから得た情報と、長年培ってきた商人としてのネットワークを駆使し、アルメリアの修道院へ物資を届けるための、最も安全で確実な輸送ルートの選定と、信頼できる運び手の手配に奔走してくれた。それは困難を極める作業だった。アルメリア王国の政情不安は深刻で、国境は厳しく監視され、通常の交易ルートさえも危険に晒されている。高額な報酬を積んでも、なかなか首を縦に振る運び手は見つからなかった。
それでも、ギデオンさんは諦めなかった。彼の粘り強い交渉と、そして何よりも、私たちの「遠くで困っている人々を助けたい」という純粋な想いが、少しずつ人々の心を動かし始めたのかもしれない。商人ギルドは、私たちの活動に共感し、輸送に必要な丈夫な木箱や保存用の布などを、原価に近い価格で提供してくれることになった。薬草畑の拡張や収穫作業には、町の若い衆が「リリアーナさんの頼みなら!」と、ボランティアで大勢手伝いに来てくれた。そして、「リリアズ・ハーブ」の常連客の中には、事情を薄々察してか、いつもより多めに商品を購入してくれたり、「何かの足しにしてくれ」と、そっと寄付金を置いていってくれたりする人も現れ始めた。
ハルモニアの町全体が、私たちの「希望の薬」作戦を、それぞれの立場で、静かに、しかし力強く支えてくれているのを感じた。
アルメリアへの支援準備を進める中で、「リリアズ・ハーブ」の薬草の品質や調合技術は、図らずもさらに向上していった。常に最高のものを、そして最も効果のあるものを、という想いが、私たちの技術を磨き、工房の生産能力も高めていったのだ。私は、この経験を通じて、薬草の持つ無限の可能性と、それを多くの人々に届けることの意義を、改めて深く感じていた。それは、ハルモニアの町だけでなく、いつか他の困っている地域への支援や、薬草の知識を正しく広めるための学校のようなものを作りたい、という新たな夢へと、私の心を押し広げていくようだった。王宮にいた頃、民を豊かにしたいと漠然と願っていた想いが、薬草師としての具体的な目標へと、確かに昇華していくのを感じた。
そして、夏の終わりが近づき、最初の秋風がハルモニアの丘を吹き抜ける頃。ついに、アルメリアの修道院へ送る、私たちの最初の支援物資――厳選された乾燥ハーブ、濃縮された薬膳シロップ、そして栄養価の高い保存食――が、数十個の木箱に詰められ、準備が整った。
ギデオンさんが見つけてきてくれたのは、口は悪いが腕は確かだという、百戦錬磨の老いた運び屋だった。彼は、私たちの荷物の中身を詮索することなく、ただ「お嬢さんたちのその心意気、気に入ったぜ。必ず届けてやる」と、力強く請け負ってくれた。
月明かりだけが頼りの深夜、工房の裏手で、私たちは静かにその出発を見送った。荷馬車に積まれた木箱の一つ一つに、私たちの祈りと、ハルモニアの人々の温かい想いが込められている。
「どうか……無事に届きますように。そして、故郷の人々の、ほんの少しでも助けになりますように」
私は、夜空の星にそう祈らずにはいられなかった。
これは、まだ本当に小さな一歩に過ぎない。けれど、大きな希望を乗せた「希望の薬」作戦は、確かに今、始まったのだ。私の戦いは、新たな局面を迎え、そして私の夢もまた、このハルモニアの地から、遠い故郷、そしていつかはもっと広い世界へと、力強く羽ばたいていく予感がしていた。
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