第46話 秋深き旅路、秘密の市に灯る希望

次の新月の夜、アルメリア王国との国境近くの町で開かれるという秘密の薬草市へ――その情報を得てから、私とギデオンさんの旅支度は迅速に進められた。エルマさん、トマさん、リナちゃんは、心配そうな表情を隠しきれないでいたけれど、私の決意を理解し、力強く送り出してくれることになった。


「リリアーナさん、ギデオンさん、どうかご無事で。お店のことは、私たち三人にしっかりお任せください!」


エルマさんは、私の手を固く握り、その瞳には揺るぎない信頼が宿っていた。


トマさんは、黙って小さな革袋を私に差し出した。中には、彼が特別に調合したという、道中の気付け薬と、どんな傷にも効くという万能軟膏が入っていた。「……お守り代わりに。必ず、お戻りください」その言葉はぶっきらぼうだったけれど、彼の心からの気遣いが伝わってきた。


リナちゃんは、目に涙をいっぱい溜めながらも、精一杯の笑顔で、「リリアーナさん、絶対、絶対に戻ってきてくださいね!私たち、ハルモニアで一番美味しいお菓子とハーブティーを用意して待ってますから!」と、私の首にぎゅっと抱きついてきた。


「ありがとう、みんな。必ず戻ってきます。この『リリアズ・ハーブ』は、私たちの家だもの」


私は、愛おしい仲間たちとのしばしの別れを惜しみながらも、ハルモニアの町を後にした。背中には、薬草のサンプルや保存食、そして万が一のための薬を詰めた革袋。そして胸には、仲間たちの温かい想いと、故郷への揺るがぬ決意を抱いて。


ギデオンさんと二人、馬に揺られて進む道中は、秋が日に日に深まっていくのを感じさせた。街道沿いの木々は赤や黄色に色づき、空気はひんやりと澄み渡っている。時折、ギデオンさんは若い頃の冒険譚や、商人として諸国を渡り歩いた時の失敗談などを面白おかしく語ってくれ、私の緊張を和らげてくれた。けれど、その道中は決して楽なものではなく、特に国境に近づくにつれ、道は険しくなり、行き交う人々の顔にもどこか影が差しているように見えた。アルメリア王国の不穏な空気が、ここまで漂ってきているのかもしれない。


数日後、私たちは目的の国境近くの町、ザルツブルグに到着した。石畳の道と古い木造家屋が立ち並ぶ、寂れた雰囲気の小さな町だ。新月の夜、ギデオンさんの情報通り、町のはずれにある古い倉庫街の一角で、その「秘密の薬草市」は開かれていた。薄暗い松明の灯りだけが頼りのその場所には、様々な地方から集まったと思われる、怪しげな風体の薬草売りや情報屋たちが、声を潜めて取引を行っている。見たこともないような珍しい薬草や、動物の骨、鉱石などが並べられ、独特の匂いと、どこか危険な空気が漂っていた。


私たちは、薬草を買い付けに来た旅の薬師とその用心棒を装い、慎重に情報を集め始めた。「王都の西、古い修道院の薬草園」と繋がりのある人物――その手がかりは、あまりにも漠然としていた。


「おい、リリアーナ。あまりキョロキョロするな。こういう場所じゃあ、目立つのは禁物だぜ」


ギデオンさんにそっと注意され、私は気を引き締める。珍しい薬草を見つけると、つい夢中になってしまうのは、私の悪い癖だ。


いくつかの露店を巡り、それとなく探りを入れてみるが、なかなか有力な情報は得られない。焦りが募り始めたその時、ある薄汚れた店の隅で、ひっそりと薬草を広げている老婆に目が留まった。彼女の扱う薬草の中には、アルメリア王国の特定の地域でしか採れないはずの、しかし品質のあまり良くないハーブが混じっていたのだ。


「ご婦人、このハーブは……もしや、アルメリアの西方、セレスティア山脈の麓で採れたものではありませんか?」


私の問いかけに、老婆は訝しげな顔で私を一瞥した。


「……それが何か?」


「いえ、少し懐かしい香りがしたものですから。私も以前、その辺りの薬草を扱っておりましたの。特に、あの古い修道院の薬草園では、素晴らしい品質のものが育てられていると聞いておりますが……」

私が探るように言うと、老婆の目がわずかに光った。


「……修道院の薬草園、だと?あんた、一体何者だい?」


その時、老婆の背後から、厳しい顔つきの、しかしどこか実直そうな中年の男が現れた。


「母さん、この方たちは?」


「ああ、なんだか修道院の薬草園のことなんぞを知ってるみたいでね……」


私は、この男こそが「繋ぎの人物」かもしれないと直感した。私は懐から、トマさんが特別に調合してくれた、滋養強壮効果の高い丸薬を数粒取り出し、男に差し出した。


「これは、ハルモニアという町で作ったものです。長旅の疲れを癒やすのに、少しはお役に立てるかと」


男は、最初は警戒していたが、その丸薬から漂う芳醇な薬草の香りと、私の真剣な眼差しに、何かを感じ取ったようだった。彼は黙って丸薬を受け取り、一粒口に含むと、その表情が驚きに変わった。


「……これは、素晴らしいな。使われている薬草の種類も配合も、ただものではない。あんた、一体……」


「私は、リリアーナと申します。アルメリアの民の苦しみを、薬草の力で少しでも和らげたいと願っている者です。もし、あなたが修道院の薬草園と繋がりがおありなら、どうかお力をお貸しいただけないでしょうか」


私の言葉と、その丸薬が確かな証となったのだろう。男――ヨハンと名乗った――は、私たちを近くの薄暗い酒場の個室へと案内し、そこで重い口を開いた。


「……修道院の薬草園は、今、非常に厳しい状況にある。貴族たちの弾圧は日に日に強まり、薬草を育てるための土地も奪われ、民衆のための薬も満足に作れない有り様だ。アラン殿という騎士の方が、時折密かに支援物資を届けてくださってはいるが、それも焼け石に水……」


アランの名前が出たことに、私の胸は高鳴った。


「アラン殿は、ご無事なのですか!?」


「ああ、今はな。だが、彼も常に危険と隣り合わせだ。……リリアーナ殿、あなた様が本当に我々の助けになりたいと仰るのであれば、まずは、修道院へ安全に連絡を取る手段を確保し、そして彼らが今最も必要としている薬草や医薬品を届けることから始めていただきたい。それが、アルメリアの民を救うための、ささやかだが確実な一歩となるはずだ」


ヨハンは、修道院との秘密の連絡方法と、彼らが現在最も必要としている薬草のリストを、私に託してくれた。それは、あまりにも大きな、そして危険な任務の始まりだった。


秘密の薬草市を後にした私とギデオンさんの足取りは、来た時よりもずっと重かった。しかし、その重さは絶望ではなく、確かな使命感から来るものだった。


「ギデオンさん、私たちは、やらなければなりませんね」


「ああ、もちろんだ。ハルモニアで待ってるエルマたちのためにも、そして、お前さんの故郷のためにもな」


ハルモニアへの帰路、私の胸には、ヨハンから託された情報と、アランの無事を願う祈り、そして故郷を救うための具体的な行動計画が、熱い炎のように燃え上がっていた。この旅で得たものは、あまりにも大きく、そして重い。けれど、私はもう、決して一人ではないのだから。

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