第44話 夏の終わりに届く便り、運命の岐路

ハルモニアの町を照りつける太陽が、日増しにその勢いを強める盛夏。私たちの薬草畑では、トマさんの丹精込めた手入れのおかげで、試験的に栽培していたアルメリア王国由来の薬草のいくつかが、力強く青々とした葉を広げ始めていた。それは、遠い故郷への小さな希望の光のように、私の目には映った。

「リリアズ・ハーブ」の工房では、エルマさんと私を中心に、保存性の高い薬膳菓子や、濃縮タイプのハーブシロップなど、いつか故郷へ届ける日を夢見て、輸送に適した商品の開発も少しずつ進めていた。リナちゃんは、薬草教室のアシスタントとしてすっかり板につき、子供たちに薬草の楽しさを伝えるだけでなく、町を訪れる旅人たちとの会話の中から、それとなくアルメリア王国に関する情報を集めては、私に報告してくれるようになっていた。その内容は、依然として断片的で、不穏なものが多かったけれど。

ギデオンさんは、彼の持つ幅広い商人ネットワークを駆使し、アルメリア王国へ、あるいはその近隣の安全な中継地点へ、私たちの作った薬草や保存食を届けられる可能性のあるルートを探し続けてくれていた。しかし、アルメリア王国の政情不安は深刻さを増しているらしく、国境付近の警備は厳しくなり、通常の交易ルートさえも滞りがちになっているという。危険を冒してまで、名も知れぬ薬草師の荷を運んでくれるような奇特な運び手は、そう簡単には見つからなかった。

「リリアーナ、焦るな。道は必ずあるはずだ。諦めずに探し続けるさ」

私の落胆を察してか、ギデオンさんはいつものように力強い言葉で励ましてくれたが、その表情には隠しきれない苦労の色が滲んでいた。

そんなある日、ハルモニアの町に、一人の風変わりな老学者がふらりと立ち寄った。彼は、薬草や民間療法に深い関心を持っているらしく、私たちの「リリアズ・ハーブ」の噂を聞きつけてやってきたのだという。老学者は、私が栽培している珍しい薬草や、薬膳菓子の独創的なレシピに目を見張り、熱心に質問を繰り返した。そして、数日間の滞在中、私と薬草談義に花を咲かせた後、別れ際にこんな言葉を残していった。

「リリアーナ殿、あなたの薬草の知識と、それを人々のために役立てようというその心は、実に素晴らしい。もし、あなたがアルメリアの民の苦しみを少しでも和らげたいと願うのなら……王都の西、古い修道院の跡地に、細々とではあるが、民のための薬草園を守り続けている者たちがいると聞く。彼らならば、あなたの助けを必要としているかもしれぬな」

その言葉は、私にとって大きな衝撃だった。アルメリアにも、私と同じように、薬草の力で人々を救おうとしている人たちがいる……。老学者は、それ以上の詳しいことは語らず、風のようにまた次の町へと旅立っていったが、彼の残した言葉は、私の心に新たな道筋を示してくれたような気がした。

そして、夏の終わりが近づき、ハルモニアの空に少しずつ秋の気配が漂い始めた頃。ついに、あの日老商人に託したアランからの返信が、困難を乗り越えて私の元へと届けられたのだ。それは、何重にも油紙で包まれ、旅の汚れでくすんでいたけれど、紛れもなくアランの筆跡だった。

震える手で封を開き、中の羊皮紙を広げる。そこには、彼の安否を気遣う私の言葉への感謝と、そして、私の想像をはるかに超える、アルメリア王国の緊迫した状況が綴られていた。

『リリアーナ様、お手紙、確かに拝受いたしました。ご無事のお姿を思い浮かべ、胸を撫で下ろしております。ハルモニアでのご活躍、そして多くの方々に慕われているご様子、遠くからではありますが、我がことのように嬉しく思います。

さて、王国の現状についてですが……バルドス騎士の言葉は、残念ながら真実です。国王陛下の御容体は依然として思わしくなく、その権威は失墜しつつあります。宰相亡き後、実権を握ったのは、かつてリリアーナ様との政略結婚を強引に進めようとしていた、あの強硬派の貴族たちです。彼らはグランスター帝国とのさらなる結びつきを強化し、その見返りとして、民に重税を課し、反対する者を容赦なく弾圧しています。王都は、まるで大きな牢獄のようです。

私は今、王宮騎士団の中で、志を同じくする少数の者たちと共に、この状況を何とか打開しようと動いていますが、彼らの力はあまりにも強大で……。

リリアーナ様、どうかご無理だけはなさらないでください。しかし、もし……もし、リリアーナ様が、この国の真の未来を憂い、民を救うための何らかの「力」をお持ちなのであれば……その力が、いつかこの国を照らす希望となる日が来るかもしれません。今はただ、ご自身の安全を第一に、そして、その力を蓄えていてください。いつか必ず、私たちが再びまみえる日が来ることを、心から信じております。 アラン』

手紙を読み終えた私の頬を、熱いものが伝っていた。アランは無事だった。けれど、故郷は、私の愛したアルメリアは、今まさに存亡の危機に瀕している。そして、アランは、私に「力を蓄えていてほしい」と願っている。それは、ただハルモニアで安全に暮らしていてほしいという意味だけではないはずだ。薬草の知識、人々を癒やす力、そして、もしかしたら……王女として私が持つべきだった、何か別の力。

「リリアーナさん……」

いつの間にか、エルマさん、トマさん、リナちゃんが、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。私は、涙を拭い、そして、アランの手紙を皆に読み聞かせた。

静まり返った工房の中、私の声だけが響く。手紙を読み終えた時、皆の表情は硬く、そしてその瞳には、私と同じように、故郷を憂う悲しみと、そして何とかしなければならないという強い決意が宿っていた。

「リリアーナ……どうするつもりだ?」

ギデオンさんが、静かに、しかし重々しく問いかけた。

私は、窓の外に広がる、夕焼けに染まるハルモニアの空を見つめた。この美しい町と、大切な仲間たち。そして、遠い故郷で苦しむ人々。私が進むべき道は、一つしかない。

「私は……ハルモニアの薬草師リリアーナとして、そしてアルメリアの血を引く者として、私ができる全てのことをします。このハルモニアを守りながら、いつか必ず、故郷の闇と対峙するために」

その言葉は、もはや葛藤ではなく、揺るぎない覚悟となっていた。運命の歯車が、再び大きく動き出そうとしているのを、私は肌で感じていた。

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