第43話 遠い故郷(くに)への祈り、ハルモニアに蒔く種
アランからの手紙は、私の心に深く重い錨を降ろした。ハルモニアでの穏やかで満ち足りた日々。それは、私が自分の手で掴み取った、かけがえのない宝物だ。けれど、その光が強ければ強いほど、遠い故郷アルメリア王国を覆うという「大きな闇」の存在が、より濃く、より不吉な影となって私の胸に迫ってくる。
眠れない夜が続いた。目を閉じれば、父王の苦悩に満ちた表情や、民衆の不安げな囁きが聞こえてくるような気がした。私が王女としての責任を放棄し、一人安寧を貪っている間に、故郷は取り返しのつかない状況に陥っているのではないだろうか。そんな罪悪感にも似た想いが、私を苛んだ。
「リリアーナさん、また眠れなかったのですか?顔色が優れませんわ」
朝の工房で、エルマさんが心配そうに私の顔を覗き込んだ。トマさんもリナちゃんも、黙ってはいるけれど、その視線には私を案じる気持ちが溢れている。
「ごめんなさい、エルマさん。少し……考え事をしていて」
私は力なく微笑んだが、彼らに心配をかけていることは明らかだった。
このままではいけない。私が思い悩んでいても、故郷の状況が好転するわけではない。かといって、今すぐアルメリア王国へ戻り、王女として何かを成せるかと言えば、それも現実的ではないだろう。バルドス騎士のような追っ手がいる以上、それはあまりにも無謀な行為だ。
数日後、私は意を決し、ギデオンさん、エルマさん、トマさん、そしてリナちゃんを工房に集めた。そして、アランからの手紙の内容と、私の胸の内にある苦悩を、ありのままに打ち明けた。
「私は……ハルモニアでのこの生活を、皆さんとの絆を、何よりも大切に思っています。けれど、遠い故郷で苦しんでいるかもしれない人々を思うと、何もしないでいることができないのです」
私の言葉を、皆は静かに、しかし真剣な眼差しで聞いてくれた。
最初に口を開いたのは、ギデオンさんだった。
「リリアーナ、お前さんの気持ちは痛いほどわかる。だがな、今の状況で、お前さんが一人で王国に戻ったところで、何ができる?下手をすりゃあ、犬死にするだけだぜ」
その言葉は厳しかったが、紛れもない事実だった。
「だからといって、何もしないわけにはいかないでしょう。リリアーナさんのお気持ち、私たちにもよく分かりますわ」
エルマさんが、優しく私の言葉を引き取ってくれた。
「まずは、アルメリア王国の正確な情報を、もっと集めることが必要です」トマさんが、静かに、しかしはっきりとした口調で言った。「敵の正体や、国内の力関係、そして民衆が本当に何を求めているのか。それが分からなければ、有効な手も打てません」
「そうですわね!私、旅の人たちから、もっとお話を聞いてみます!もしかしたら、何か分かるかもしれません!」リナちゃんも、いつもの明るさでそう言ってくれた。
仲間たちの言葉に、私の心は少しずつ軽くなっていくのを感じた。そうだ、私は一人ではないのだ。
「ありがとう、皆さん。私も、まずはもっと情報を集めたいと思っています。そして……今の私に、このハルモニアでできることがあるのではないかと、考えているのです」
私は、自分の考えていた計画を皆に話した。それは、ハルモニアの地で、アルメリア王国で不足しているかもしれない薬草を栽培・増産し、いつか安全なルートで故郷へ送ること。そして、「リリアズ・ハーブ」の収益の一部を、故郷の民衆を支援するための資金として、密かに蓄えていくこと。さらに、薬草教室などの活動を通じて、ハルモニアの人々の健康を守る知識と技術を広めることが、巡り巡って、いつかどこかで誰かの役に立つかもしれないということ。
「それは、途方もなく時間のかかる、そして確実性のない計画かもしれません。でも……今の私にできる、精一杯のことだと思うのです」
私の言葉に、ギデオンさんは大きく頷いた。
「リリアーナ、それがお前さんの決めた道なら、俺たちは全力でそれを支える。薬草の輸送ルートの確保や、資金の管理なら、俺の人脈が役に立つかもしれん」
「まあ、リリアーナさんらしい、温かくて力強い計画ですわね。工房の運営や畑仕事は、私たちに任せて、あなたは安心してその準備を進めてください」とエルマさん。
トマさんは、「アルメリア王国で必要とされている薬草……その特定と、ハルモニアでの栽培方法の研究は、僕が担当します」と、静かな瞳の奥に確かな意欲を燃やしていた。
リナちゃんも、「私、もっともっと薬草のことを勉強して、リリアーナさんのお役に立てるようになります!そして、ハルモニアを、世界で一番元気な町にしますの!」と、元気いっぱいに宣言してくれた。
仲間たちの心強い言葉と、揺るがぬ信頼。それが、私の迷いを吹き飛ばし、新たな行動への勇気を与えてくれた。
その日から、私たちの「リリアズ・ハーブ」は、表向きはこれまでと変わらぬ日常を送りながらも、水面下では新たな目標に向かって静かに動き出した。トマさんは、ギデオンさんが集めてくるアルメリア王国の情報や、私が王宮で得た知識を元に、故郷で不足している可能性のある薬草のリストアップと、それらのハルモニアでの栽培適性の研究を始めた。薬草畑の一角には、試験的な栽培区画が設けられ、そこには見たこともないような珍しいハーブの種が蒔かれた。
私も、薬草教室の内容をさらに充実させ、より多くの町の人々が、自分たちの手で健康を守れるようになるための知識と技術の普及に努めた。そして、夜ごと工房の片隅で、アランへの返信と、そしていつか故郷の信頼できる誰かに届けるための、王国の現状を憂い、民を思う心を綴った手紙を、少しずつ書き溜めていった。
季節は、初夏から盛夏へと移り変わり、薬草畑のハーブたちは太陽の光をいっぱいに浴びて、力強くその香りを放っていた。それはまるで、遠い故郷へ届けとばかりに、私と仲間たちの祈りを乗せて、ハルモニアの空へと立ち昇っていくかのようだった。
アランからの次の便りは、まだない。けれど、私の心には、もう絶望も焦りもなかった。このハルモニアの地で、大切な仲間たちと共に、自分にできることを一つ一つ積み重ねていく。その確かな歩みこそが、いつか必ず、遠い故郷の闇を照らす一筋の光になると信じて。
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