第39話 忍び寄る病魔、ハルモニアの試練
初夏の眩しい日差しがハルモニアの町を照らし、私たちの薬草畑では、ミントやカモミール、ラベンダーといったハーブたちが、その香りを一層強く放っていた。「リリアズ・ハーブ」は連日多くのお客様で賑わい、エルマさん、トマさん、リナちゃん、そして私の四人で切り盛りする日常は、忙しくも確かな充実感に満ちていた。アランへの手紙を託した老商人が旅立ってから一月以上が過ぎ、まだ返信はないものの、私は故郷アルメリア王国への憂いを胸に秘めつつも、目の前の大切な日々を精一杯生きていた。
しかし、そんな穏やかなハルモニアの日常に、不気味な影が忍び寄り始めていた。ギデオンさんの情報網からもたらされるアルメリア王国の情勢は、依然として混乱を極めているらしく、その影響なのか、ハルモニアの町でも、これまで見慣れなかった変化が少しずつ現れ始めていたのだ。
「リリアーナ、最近、市場に出回る小麦の質が落ちてきてるみてえだ。それに、隣町じゃあ、原因不明の熱病が流行り始めてるって噂も聞いたぜ」
ギデオンさんは、いつになく厳しい表情で私にそう告げた。また、町の入り口では、どことなく疲弊し、何かを恐れるような素振りを見せる見慣れない旅人の姿が、ちらほらと見受けられるようになった。彼らは多くを語らず、ただ静かに食料や水を求め、すぐにまたどこかへ去っていく。
そして、その異変は、ついにハルモニアの町の中にも現れ始めた。最初は、子供たちの間で流行るただの夏風邪だと思われていた。しかし、その症状は長引き、高熱と共に赤い発疹が現れたり、激しい咳が止まらなくなったりと、これまでにない奇妙な様相を呈し始めたのだ。ドクター・エルリックの診療所には、日に日に多くの患者が詰めかけるようになり、彼もまた、その原因不明の病に首を傾げていた。
「リリアーナ殿、この症状……何か心当たりはありますかな?私の知る限り、ハルモニアでは過去にこのような病が流行ったという記録はないのですが……」
ドクター・エルリックは、疲れを滲ませた顔で私に相談を持ちかけてきた。私も、患者の様子や症状を詳しく聞くうちに、ある疑念を抱き始めていた。その特徴的な発疹と、呼吸器系の症状……それは、王宮の古い医学書で読んだことのある、特定の種類のカビや汚染された水が原因で発生する、稀な熱病の記述に酷似していたのだ。
「ドクター・エルリック、もしかしたら……これは、単なる風邪ではないのかもしれません。原因は、私たちが普段口にしている水や、あるいは最近町に入ってきた何らかの物資にある可能性も……」
私の言葉に、ドクター・エルリックはハッとしたように目を見開いた。
私たちは早速、協力して原因究明に乗り出すことにした。まずは、体調を崩した人々に共通点がないかを探る。彼らが飲んでいる井戸の水、最近食べたもの、訪れた場所……。エルマさんとリナちゃんも、お店を訪れるお客様との会話の中から、それとなく情報を集めてくれた。トマさんは、その鋭い観察眼と薬草や鉱物に関する深い知識を活かし、町で使用されているいくつかの井戸水の水質を調べたり、最近市場に出回り始めた質の悪い小麦のサンプルを分析したりしてくれた。
調査を進めるうちに、いくつかの気になる点が浮かび上がってきた。体調を崩した人々の多くが、町の東側にある古い共同井戸の水を利用していること。そして、最近、その井戸の周辺で、見慣れないキノコや苔が異常に繁殖しているという目撃情報があったこと。さらに、トマさんの分析によると、市場に出回っている一部の輸入小麦の袋から、微量ながらも有害なカビの胞子が見つかったというのだ。
「ドクター、この症状と状況から考えて、おそらく原因は一つではないでしょう。井戸水が何らかの形で汚染されている可能性と、質の悪い穀物から発生したカビによる中毒、その両方が複合的に作用しているのかもしれません」
私の推測に、ドクター・エルリックは難しい顔で頷いた。もしこれが事実なら、ハルモニアの町は、静かに、しかし確実に、疫病の危機に晒されていることになる。
その不安は、数日のうちに現実のものとなった。体調不良を訴える人々は急速に増え、診療所はたちまち患者で溢れかえった。高熱にうなされる子供、激しい咳に苦しむ老人、そして原因不明の発疹に怯える大人たち……。町の人々の間には、目に見えない病魔への恐怖と、それに伴うパニックが広がり始めていた。
「どうしよう、リリアーナさん……このままでは、ハルモニアの町が……」
エルマさんは、青ざめた顔で私の手を握りしめた。彼女の目には、涙が滲んでいる。リナちゃんも、いつもの明るさを失い、不安げに私たちを見つめている。トマさんは、黙って拳を握りしめ、何かを決意したような厳しい表情をしていた。
町長やギデオンさんも、この緊急事態に迅速に対応を始めた。パニックを抑えるために町の人々に冷静を呼びかけ、ドクター・エルリックと私を中心に、対策本部のようなものを立ち上げることを決定した。
私は、目の前に広がる困難な状況に、一瞬、眩暈にも似た無力感を覚えた。けれど、すぐに首を振る。私には、薬草の知識がある。そして、信頼できる仲間たちがいる。故郷アルメリア王国の危機を知り、何もできない自分にもどかしさを感じていたけれど、今、このハルモニアで、私にしかできないことがあるはずだ。
「エルマさん、トマさん、リナちゃん、そしてギデオンさん、ドクター・エルリック。私たちは、この危機を必ず乗り越えられます。私の持てる全ての知識と、皆さんの力を合わせれば、きっと……!」
私は、仲間たちの顔を一人一人見つめ、力強く宣言した。その声は、もう震えてはいなかった。
薬草師として、そしてハルモニアの一員として、私はこの町を、愛する人々を、必ず守り抜いてみせる。私の胸には、かつて王宮を飛び出した時と同じ、いや、それ以上の強い決意の炎が燃え上がっていた。ハルモニアの試練は、まだ始まったばかりだ。
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