第40話 薬草師の誓い、ハルモニアを救う灯火

ハルモニアの町を襲った原因不明の疫病は、日増しにその勢いを増し、人々の顔から笑顔を奪っていった。ドクター・エルリックの診療所は患者で溢れ、私たちの「リリアズ・ハーブ」にも、不安と助けを求める声が絶え間なく寄せられていた。しかし、私たちは決して諦めなかった。この町を、愛する人々を、必ずこの手で守り抜く。その一心で、疫病との戦いが始まった。


町長の呼びかけで、「樫の木亭」の広い談話室が、急遽「疫病対策本部」として使われることになった。ドクター・エルリックと私を中心に、ギデオンさん、エルマさん、トマさん、そしてリナちゃんも加わり、不眠不休の対策会議が連日続けられた。


「まず最優先すべきは、汚染が疑われる東の共同井戸の使用を即刻禁止し、町民への安全な水の供給を確保することですわ!」


私は、王宮で学んだ公衆衛生の知識や、薬草学の観点から、具体的な対策案を次々と提示していった。私の言葉に、皆真剣な表情で耳を傾け、それぞれの役割を確かめ合う。


ギデオンさんの指示のもと、町の自警団や若い男たちが、安全な水源から水を運び、町の人々へ配給する体制が瞬く間に整えられた。また、私の提案で、抗菌作用のあるユーカリやタイムの葉を煮出した蒸気を井戸の周辺で焚き、簡易的ながらも周辺の消毒を試みた。汚染が疑われる輸入小麦については、商人ギルドが迅速に動き、該当する商品の流通を一時的に差し止め、在庫の確認と安全な代替品の確保に奔走してくれた。


そして、私たちの「リリアズ・ハーブ」の工房は、まるで野戦病院の薬局のような様相を呈していた。ドクター・エルリックが診断した患者さん一人ひとりの症状に合わせ、私が薬草の調合を行い、エルマさん、トマさん、リナちゃんがそれを不眠不休で製造していく。


高熱を和らげるためのヤナギの樹皮とエルダーフラワーの煎じ薬。激しい咳を鎮めるためのマレインとリコリスのハーブティー。皮膚の発疹を抑えるためのカレンデュラとカモミールの軟膏。そして、弱った体力を回復させるための、滋養強壮効果のある薬草を煮詰めた濃縮シロップ。


「リリアーナさん、こちらの解熱用のハーブ、在庫がもうこれだけに……!」


「分かったわ、エルマさん。トマさん、申し訳ないけれど、また森へヤナギの樹皮を採りに行ってくださる?リナちゃんは、カレンデュラの軟膏の容器が足りなくなりそうだから、ギデオンさんに頼んで至急手配してもらってちょうだい!」


私たちは、互いに声を掛け合い、息の合った連携で次々と薬を作り上げていく。トマさんは、その驚異的な体力と薬草の知識で、近隣の山野を駆け回り、不足しがちな薬草を次々と採集してきた。彼が黙って差し出す新鮮な薬草の束は、私たちにとって何よりの希望だった。リナちゃんも、持ち前の明るさで工房の雰囲気を和ませつつ、子供の患者さんたちのために、苦い薬草を少しでも飲みやすくするためのハチミツ入りのハーブキャンディを考案するなど、素晴らしい働きを見せてくれた。


町の人々も、最初こそ疫病の恐怖に怯えていたが、私たちの献身的な姿と、ギデオンさんや町長の力強いリーダーシップに励まされ、次第に落ち着きを取り戻し、自分たちにできることで協力し始めた。若い女性たちは、エルマさんの指導のもと、薬草の仕分けや乾燥作業を手伝い、体力のある男たちは、水の運搬や町の清掃、そして夜警などを買って出てくれた。市場の商人たちは、採算を度外視して食料や生活物資を供給し、鍛冶屋の親方は、薬草を煎じるための大きな鍋をいくつも作ってくれた。


ハルモニアの町全体が、まるで一つの大きな家族のように、この見えざる敵に立ち向かっていた。その中心には、いつも私の姿があった。薬草を調合し、患者の元へ駆けつけ、時には徹夜でドクター・エルリックと共に新しい治療法を模索する。王宮にいた頃の、優雅だがどこか虚しかった日々とは対照的に、今の私は泥と汗にまみれ、疲労困憊だったけれど、その瞳は確かな使命感と、人々を救いたいという強い意志で輝いていた。


もちろん、困難は絶えなかった。薬草の効果がなかなか現れない患者さんや、体力が持たずに衰弱していくお年寄りもいた。そのたびに、私の胸は張り裂けそうになり、自分の無力さを痛感した。けれど、そんな時、いつも私を支えてくれたのは、仲間たちの存在だった。


「リリアーナさん、あなたは一人じゃありませんわ。私たちみんながついています」とエルマさん。


「……僕たちが、あなたを支えます」とトマさん。


「リリアーナさんの笑顔が、みんなの元気の源なんですから!」とリナちゃん。


そして、「お前さんの薬草は、必ずこの町を救う。俺はそう信じてるぜ」というギデオンさんの力強い言葉。


彼らの信頼と温かさが、私の心を何度も奮い立たせてくれた。


そんなある日、町の外れにある「アルカヌム薬草店」から、使いの者がギデオンさんの元へ届け物をしてきたという。それは、上質な紙に包まれた、見たこともないような乾燥ハーブの束だった。添えられた手紙には、ただ「貴店の活動に敬意を表し、これが必要な方々の助けになることを願う。アレクシス」とだけ書かれていた。そのハーブは、解毒作用と免疫力を高める効果を持つ、非常に希少で高価なものだった。アレクシスさんなりの、ハルモニアへの、そして私たちへのエールなのかもしれない。その思いがけない支援に、私は静かに頭を下げた。


リリアーナたちの懸命な努力と、町の人々の団結、そして思いがけない協力。それらが少しずつ実を結び始め、疫病の猛威は、ようやく峠を越えようとしていた。高熱にうなされていた子供たちが笑顔を取り戻し、咳に苦しんでいた老人が穏やかな呼吸を取り戻す。その一つ一つの回復の知らせが、私たちにとって何よりの喜びであり、次への活力となった。


まだ油断はできない。けれど、ハルモニアの町には、確かに希望の光が差し込み始めていた。私は、工房の窓から見える、少しずつ活気を取り戻しつつある町の風景を眺めながら、薬草の持つ力の偉大さと、人々の絆の強さを改めて感じていた。この試練を乗り越えた時、ハルモニアの町は、そして私も、きっとさらに強く、優しくなれるはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る