第35話 萌黄の決意、町と紡ぐ守りの詩

バルドス騎士たちがハルモニアの町を去った後も、私たちの心に平穏が訪れることはなかった。彼らの残した「必ず連れ戻す」という言葉は、重く暗い雲のように、町の空に垂れ込めている。しかし、あの日の出来事は、私と、そしてハルモニアの町の人々の間に、かつてないほど強い団結力を生み出していた。


「リリアズ・ハーブ」は、表向きはいつもと変わらず営業を続けた。薬草の香りと焼き菓子の甘い匂い、そしてお客様の笑顔。その日常を守り抜きたいという想いが、私の新たな力の源泉となっていた。エルマさん、トマさん、リナちゃんも、それぞれの胸に決意を秘め、私を支えてくれているのがひしひしと伝わってくる。


ギデオンさんは、町の自警団との連携を密にし、町の入り口や主要な通りに見張りを立てるなど、具体的な防衛体制の構築に奔走していた。町長も、ハルモニアの自治を守るという断固たる姿勢を示し、ギデオンさんの活動を全面的に支持してくれていた。


そんな中、私はただ守られているだけではいけない、と強く思うようになっていた。私の薬草の知識は、人を癒やすためだけにあるのではない。この大切な町と、愛する人々を守るためにも使えるはずだ。


「エルマさん、トマさん、リナちゃん、少し相談があるの」


ある日の閉店後、私は三人を工房に集め、私の考えを打ち明けた。


「追っ手の方々が再び現れた時、私たちがただ無抵抗でいるわけにはいきません。私の知る薬草の中には、直接的な武器にはならなくても、彼らの動きを封じたり、私たちに有利な状況を作り出したりできるものがあるはずですわ」


私の提案に、三人は真剣な眼差しで頷いた。


トマさんは、その豊富な薬草知識を活かし、催涙効果や強烈な悪臭を放つハーブの組み合わせをいくつも考案してくれた。彼が黙々と調合する粉末は、少量でも凄まじい刺激があり、これなら屈強な騎士たちも足止めできるかもしれないと思えた。


リナちゃんは、持ち前の手先の器用さで、それらの粉末を小さな布袋に詰め、いざという時に投げつけられるように準備してくれた。彼女は「リリアーナさんと、この町は、私が守ります!」と、いつになく真剣な表情で作業に取り組んでいた。


エルマさんは、私たちの活動を支えつつ、自警団の人々や、戦うことになるかもしれない町の人々のために、気付け薬となるようなハーブティーや、止血効果の高い薬草を練り込んだ軟膏を大量に準備してくれた。


私たちの工房は、いつしか小さな「防衛拠点」のような様相を呈し始めていた。薬草の香りに混じって、ピリッとした刺激臭や、薬草を煎じる湯気が立ち込める。その光景は、決して穏やかなものではなかったけれど、そこには確かな希望と、仲間たちの熱い想いが満ち溢れていた。


町の人々もまた、それぞれの立場で私たちに協力してくれた。市場の商人たちは、食料や物資の備蓄を始め、鍛冶屋の親方は、古くなった農具を修理し、「いざという時には、こいつらも役に立つかもしれんぞ」と、自警団に提供してくれた。若い男たちは、ギデオンさんのもとで簡単な武術の訓練を受け、女性たちは、炊き出しの準備や、負傷者が出た場合の手当ての心得などをエルマさんから学んでいた。


「アルカヌム薬草店」の店主、アレクシスさんの動向も気になっていた。彼は、町全体の不穏な空気を察しているはずだが、表立って何か行動を起こす様子はなかった。しかしある日、ギデオンさんが「おい、リリアーナ。さっき、アルカヌムの若造が、こんなものをこっそり置いていったぞ」と、一枚の羊皮紙を私に見せた。そこには、バルドス騎士たちがハルモニアに来る前に立ち寄ったとされる町の名前と、彼らが特に興味を示していたという街道筋の情報が、簡潔に記されていた。アレクシスさんなりの、ハルモニアへの、そしてもしかしたら私への、ささやかな協力の形なのかもしれない。その不器用な心遣いに、私は少しだけ胸が温かくなるのを感じた。


春から初夏へと季節が移り変わり、薬草畑の緑が一層その勢いを増す頃。私たちの準備も、ほぼ整いつつあった。工房には、様々な種類の「防衛用薬草」が並び、エルマさんの作った応急手当用の薬草キットも、自警団の詰め所や、町の各所に配備された。

そんなある晩、見張りに立っていた自警団の若者が、血相を変えてギデオンさんの元へ駆け込んできた。


「ギデオンさん、大変です!町の東の街道に、数騎の馬影が……!おそらく、あの騎士たちです!」


ついに、その時が来たのだ。工房で最後の準備をしていた私の元にも、その知らせはすぐに届いた。工房にいたエルマさん、トマさん、リナちゃんも、一瞬息を呑んだが、次の瞬間には、皆の瞳に固い決意の光が宿っていた。


「リリアーナさん、準備はできています」トマさんが、静かに、しかし力強く言った。 


「はい!いつでも!」リナちゃんも、小さな拳を握りしめている。


エルマさんは、黙って私の手を握り、その温もりで私を励ましてくれた。


私は、窓の外に広がる、月明かりに照らされたハルモニアの町並みを見つめた。そして、胸の奥で、かつての王女ではない、一人の薬草師としての誓いを立てる。


(私は、この町を、この大切な人々を、必ず守り抜いてみせる)


工房の扉を開け、ギデオンさんや町長が待つ町の広場へと向かう。私たちの足音は、初夏の夜の静寂の中に、力強く響き渡っていた。嵐の前の静けさ。しかし、私たちの心には、もう恐怖はなかった。あるのは、愛するものを守るための、燃えるような決意だけだった。

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