第33話 動き出す運命、守るべき灯火
あの告白の夜が明けたハルモニアの空は、どこまでも澄み渡っていた。私の心もまた、仲間たちの揺るがぬ信頼と温かい言葉に洗われ、恐怖に曇っていた視界が晴れたような清々しさを感じていた。もう一人ではない。この大切な場所と、愛すべき人々を守るために、私は立ち向かわなければならない。
ギデオンさんを中心に、私たちの小さな「リリアーナ防衛隊」は早速動き出した。彼の指示は的確で、長年の経験と町の顔役としての人脈が遺憾無く発揮されていた。
「エルマとリナは、いつも通り店を開けてくれ。ただし、何か変わったことがあったら、すぐに俺かトマに知らせるんだ。客の会話にも、それとなく耳を澄ませておいてくれ」
「トマは、薬草畑の見回りを強化しつつ、町の中でのあの連中の動きをそれとなく探ってくれ。お前さんの気配の薄さは、こういう時には役に立つかもしれん」
そして、ギデオンさん自身は、商人ギルドの代表や、町の自警団のまとめ役と密に連絡を取り合い、町全体での警戒態勢を整え始めた。
「リリアズ・ハーブ」は、表向きはいつもと変わらぬ穏やかな時間が流れていた。けれど、カウンターの奥では、エルマさんとリナちゃんが、時折心配そうに私の顔色を窺い、工房ではトマさんが、いつも以上に真剣な表情でハーブの選別作業をしながらも、神経を研ぎ澄ませているのが伝わってきた。
数日後、トマさんが最初の重要な情報をもたらした。
「……あの男たち、三人組のようです。一人はリーダー格で、他の二人よりも身なりが良い。そして、腰の剣の柄に、アルメリア王国の騎士団のものとよく似た紋章が刻まれていました」
やはり、王国の追っ手なのか。その事実に、私の胸は再び冷たい不安に包まれたが、トマさんの報告はそれだけではなかった。
「彼らは、ハルモニアに来る前に、いくつかの宿場町で『背が高く、亜麻色の髪を持ち、薬草に詳しい若い女性』の行方を尋ねていたようです。そして……その女性が、何か高貴な身分であることを示唆するような言葉も漏らしていた、と」
追っ手たちは、確実に私の輪郭を捉え始めている。彼らの目的は、私を王国へ連れ戻すことなのだろうか。それとも……。考えるだけで、背筋が寒くなった。
そんな中、私はただ守られているだけではいけない、と強く思うようになっていた。この騒動の原因は私自身なのだから。何か、私にできることはないだろうか。そう考えていた矢先、市場で買い出しをしていると、偶然にもあのリーダー格の男と鉢合わせしてしまった。男は私を見ると、意味ありげな笑みを浮かべ、わざとらしく大きな声で供の者と話し始めた。
「いやはや、この辺境の町にも、なかなかの薬草があるものだな。特に、『月光花』のような珍品があれば、我が主君もお喜びになるのだが……。まあ、そのようなものは、王家の血を引くような特別な方でなければ、扱いも難しいだろうがな」
それは、明らかに私に向けた挑発だった。私は怒りと恐怖で体が震えそうになるのを必死で堪え、何も聞こえないふりをしてその場を立ち去った。けれど、彼の言葉は、私の心に新たな疑問を投げかけた。なぜ、彼はわざわざ「月光花」の名を?そして、「王家の血を引く者」と?もしかしたら、彼らは私を連れ戻すだけでなく、何か別の目的があるのかもしれない。
その夜、工房でギデオンさんたちとその話をすると、ギデオンさんは難しい顔で腕を組んだ。
「月光花……そいつは確か、アルメリア王国の秘薬の原料になるとかいう、いわくつきの薬草だったな。王家の血を引く者でなければ扱えねえってのは、何か特別な力が必要なのか、それともただの言い伝えか……」
「いずれにせよ、彼らはリリアーナさんが王女であることを確信していて、そして何かを探っているのは間違いなさそうですわね」
エルマさんの言葉に、皆が頷いた。
追っ手たちの存在は、もはやハルモニアの町の人々の間でも公然の秘密となりつつあった。最初は不安げな噂を交わしていた人々も、ギデオンさんや町長が「リリアーナさんは、我々ハルモニアの大切な仲間だ。町全体で彼女を守る」という毅然とした態度を示すと、次第にその雰囲気が変わってきた。
「リリアーナさんの薬草菓子のおかげで、うちの婆さんの膝の痛みが和らいだんだ。あんな良い子を、わけのわからん連中に好きにさせてたまるか!」
「うちの子も、リリアーナさんのハーブシロップで風邪をひかなくなった。今度は私たちが、リリアーナさんを守る番だよ!」
市場の商人たちは、追っ手らしき男たちにわざと遠回りの道を教えたり、宿屋の主人は「あいにく満室でして」と宿泊を断ったり。大工の棟梁や鍛冶屋の親方は、いざという時には武器にもなる(?)仕事道具を工房の隅にこっそり置いていってくれたりもした。ハルモニアの町全体が、まるで一つの大きな家族のように、私を守ろうとしてくれている。その温かい絆に、私は何度も涙が込み上げてくるのを抑えきれなかった。私が守りたかったこの場所と人々が、今、私を守ろうとしてくれているのだ。
情報収集が進むにつれ、追っ手たちは三人組で、リーダー格の男はバルドスと名乗る騎士であること、そして彼らがアルメリア王国の現国王――つまり私の父――の直接の命ではなく、王国内の別の勢力、おそらくは私との政略結婚を推し進めていた強硬派の貴族の差し金である可能性が高いことが分かってきた。彼らの目的は、やはり私を強制的に連れ戻し、グランスター帝国との政略結婚を成就させることなのだろう。
「リリアーナ、どうする?このまま奴らの好きにさせるわけにはいかねえ。いっそ、お前さんをどこか別の安全な場所に……」
ギデオンさんの言葉に、私は静かに首を横に振った。
「いいえ、ギデオンさん。私はもう、逃げません」
私の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「私は、このハルモニアの町と、『リリアズ・ハーブ』、そして皆さんとの生活を、自分の手で守りたいのです。私の運命から逃げるのではなく、ここで、皆さんと一緒に立ち向かいたい」
その言葉は、私の偽らざる本心だった。もう、過去の影に怯えて生きるのは終わりだ。私は、リリアーナ・フォン・アルメリアとしてではなく、ハルモニアの薬草師リリアーナとして、自分の未来を切り開くのだ。
私の決意に、ギデオンさん、エルマさん、トマさん、そしてリナちゃんは、力強く頷いてくれた。
その時、店の外が俄かに騒がしくなった。窓からそっと覗くと、バルドス騎士と彼の部下たちが、「リリアズ・ハーブ」の店の前に立ちはだかり、何事か大声で叫んでいるのが見えた。
ついに、彼らが直接行動を起こしてきたのだ。
私は深呼吸を一つし、仲間たちの顔を見回した。そして、静かに、しかし確かな意志を込めて言った。
「行きましょう。私たちの『リリアズ・ハーブ』を、そして私たちのハルモニアを、守るために」
春の力強い日差しが、私たちの背中を後押ししているかのように、工房の中に差し込んでいた。
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