第24話 薬草の知恵、町を癒やす風となれ
「リリアズ・ハーブ」の評判は、ハルモニアの町に心地よいそよ風のように広まっていた。私の作る薬膳菓子やハーブティーが、人々の心と体を優しく癒やし、笑顔を増やしている。その実感は、私にとって何よりの喜びであり、日々の活力となっていた。お店には、単にお菓子を買い求めるだけでなく、健康に関する悩みを抱えた人々が、私の薬草の知識を頼って訪れることも珍しくなくなっていた。
「リリアーナさん、最近どうも寝つきが悪くてね。何か良いハーブはないかしら?」
「それでしたら、カモミールとリンデンフラワーに、少しだけ鎮静効果のあるパッションフラワーをブレンドしたハーブティーがおすすめですわ。お休み前に温かくして召し上がってみてください」
エルマさんも、私のそばで熱心に話を聞き、簡単なハーブの知識ならお客様に説明できるようになっていた。私たちの小さなお店は、ハルモニアの町にとって、なくてはならない憩いの場、そして相談の場となりつつあった。
そんなある日の午後、店の扉を押し開けて入ってきたのは、少し猫背気味の、しかしその瞳には確かな知性と長年の経験を湛えた初老の男性だった。白衣を身に着けていることから、すぐに医者だと分かった。ハルモニアの町の小さな診療所を、たった一人で切り盛りしているドクター・エルリックだ。彼の噂は、ギデオンさんや町の人々からかねがね耳にしていた。
「ここが、噂の『リリアズ・ハーブ』ですかな。……ふむ、実に良い香りがする」
ドクター・エルリックは、店内をゆっくりと見渡し、棚に並べられた薬草菓子やハーブの瓶を興味深そうに眺めた。そして、私の顔を見ると、穏やかな、しかしどこか探るような視線を向けた。
「あなたが、リリアーナ殿ですな。町長からも、そして私の患者たちからも、あなたの作る薬草の菓子のことはよく聞いておりますよ」
私は少し緊張しながらも、丁寧にお辞儀をした。
「ようこそお越しくださいました、ドクター・エルリック。リリアーナと申します。何かお気に召すものがございましたら、お気軽にお申し付けくださいませ」
彼は小さく頷くと、カフェスペースの隅の席に腰を下ろし、私に「少し、お話しさせていただきたいことがあるのですが」と切り出した。
ドクター・エルリックの話は、ハルモニアの町が抱える健康問題についてだった。
「この町は、豊かな自然に恵まれてはいるが、厳しい冬の寒さや、季節の変わり目の急な気温変化で体調を崩す者が少なくない。特に、子供たちや高齢者はな。私の処方する薬も万能ではない。もっと日常的に、体の抵抗力を高めたり、軽い不調を和らげたりする方法があればと、常々考えていたのです」
彼の言葉は切実で、長年この町の医療を一人で支えてきた医師としての苦労が滲み出ていた。
「リリアーナ殿、あなたの薬草の知識と、それを美味しく食べやすい形にする技術は、この町の大きな助けになるのではないかと、私は期待しているのです。例えば、子供たちの風邪予防や、お年寄りの慢性的な痛みや不眠を和らげるために、何か知恵を貸していただけないだろうか」
医師からの、あまりにも真摯で、そして重い相談だった。私の胸は、大きな責任感と、それ以上に「自分の力が、もっと多くの人を助けられるかもしれない」という強い使命感で震えた。王宮にいた頃、遠い民の病苦を伝え聞き、何もできない自分にもどかしさを感じていた日々が蘇る。今なら、私にもできることがあるかもしれない。
「ドクター・エルリック……私のような未熟者に、そのようなお役目が務まりますかどうか……。ですが、もし私の知識が少しでもお役に立てるのでしたら、喜んで協力させていただきたいと存じます」
私の言葉に、ドクター・エルリックの険しかった表情が、わずかに和らいだ。
「そう言っていただけると心強い。もちろん、医療行為そのものをあなたにお願いするわけではありません。あくまで、日々の健康維持や、病気の予防、そして回復の手助けとなるような、食事療法の観点からの協力です。薬草の扱いは、効果もあれば副作用もある。その点は、私が医学的な立場から助言しましょう」
私たちは、具体的な協力体制について話し合い始めた。診療所を訪れる患者さんへの食事指導の補助として、症状に合わせた薬膳菓子やハーブティーを紹介すること。診療所の待合室で、リリアーナ特製のハーブティーを提供すること。そして、最初の共同プロジェクトとして、町の子供たちの風邪予防を目的とした、飲みやすいハーブシロップを開発し、診療所を通じて希望者に配布(あるいはごく安価で提供)することを決めた。
早速、私は工房に戻り、エルマさんと共にハーブシロップの開発に取り掛かった。エキナセアやエルダーフラワーといった免疫力を高めるハーブをベースに、ビタミンCが豊富なローズヒップ、そして喉に優しいリンデンフラワーを加える。子供たちが飲みやすいように、ハルモニア産の蜂蜜で自然な甘みをつけ、レモンの爽やかな香りを添えた。ドクター・エルリックにも試飲してもらい、ハーブの配合量や濃度について、医学的な見地からのアドバイスを受けながら、何度も改良を重ねた。
「リリアーナさん、このシロップ、本当に美味しくて、なんだか元気が出てくるみたいですわ!」
エルマさんは、目を輝かせながら試作品の味見を手伝ってくれた。彼女も、この新しい試みに大きなやりがいを感じているようだった。
数週間後、ついに「リリアズ・ハーブ特製 風邪予防ハーブシロップ」が完成した。可愛らしい小瓶に詰められ、手作りのラベルには「ハルモニアの子供たちが、健やかに冬を越せますように」という願いを込めたメッセージを添えた。
診療所を通じて配布が始まると、最初は「本当に効果があるのかしら?」と半信半疑だった母親たちも、子供たちが「美味しい!」と喜んで飲む姿や、シロップを飲み始めてから何となく元気になったという声を聞き、次第にその効果を実感し始めたようだった。
「先生、リリアーナさんのあのシロップのおかげか、うちの子、この冬はまだ一度も熱を出していないんですよ!」
「うちもです!いつもなら真っ先に風邪をひくのに、今年はなんだか調子がいいみたいで」
そんな嬉しい報告が、ドクター・エルリックの元へ次々と寄せられるようになった。もちろん、シロップだけの効果とは限らないだろう。けれど、子供たちの健康への意識が高まり、母親たちが安心できる材料になったことは間違いない。
この小さな成功は、私とドクター・エルリック、そして「リリアズ・ハーブ」と診療所の間に、確かな信頼の絆を築いた。そして私は、薬草の持つ力を、お菓子という形だけでなく、より直接的に人々の健康に役立てることの大きな意義と喜びを、改めて深く感じていた。
ハルモニアの町に、私の薬草の知恵が、温かく優しい風となって吹き渡り、人々の笑顔を増やしていく。その光景を思い描きながら、私は新たな決意を胸に刻むのだった。この町で、私はもっと多くの人を助けたい、と。
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