第23話 薬膳の知恵と花開く菓子の魔法

「リリアズ・ハーブ」が開店してから、早くも一月(ひとつき)が過ぎようとしていた。初日の賑わいは落ち着いたものの、私たちの小さなお店は、ハルモニアの町の人々の日常に少しずつ、しかし確実に溶け込み始めていた。朝一番に焼きたてのハーブクッキーを買いに来るパン屋の奥さん、昼下がりにお気に入りのハーブティーを飲みに来る読書好きの老人、仕事帰りに一日の疲れを癒やすためのお菓子を求める若い職人。そんな常連さんたちの顔ぶれも増え、店内に笑顔と温かい会話が溢れる時間は、私とエルマさんにとって何よりの喜びだった。


「リリアーナさん、最近なんだか肩が凝ってしまって。何か良いハーブティーはないかしら?」


「あら、それでしたら、血行を良くするローズマリーと、筋肉の緊張を和らげるカモミールをブレンドしたものがおすすめですわ。少しジンジャーを加えると、体も温まりますよ」


お客様とのそんなやり取りの中で、私は新たなニーズがあることに気づき始めていた。それは、単に「美味しいお菓子」や「香りの良いハーブティー」を求めるだけでなく、より具体的な健康効果や、体調の悩みに寄り添った「薬膳」としての役割を期待する声だった。


「よし、エルマさん。もっとお客様一人ひとりの悩みに応えられるような、新しい薬膳菓子を開発しましょう!」


私の提案に、エルマさんは「素敵ですわ、リリアーナさん!私もぜひお手伝いさせてください!」と目を輝かせた。私たちの工房での新たな挑戦が始まったのだ。


まずは、滋養強壮を求める声に応えるため、以前試作した「山の活力根」を使った丸薬を、もっと食べやすく、そして日常的に楽しめるような焼き菓子に改良することにした。オートミールや数種類のナッツ、ドライフルーツをベースに、「山の活力根」の粉末と、体を温めるシナモン、そしてエネルギー転換を助けると言われる「蜂王漿(ローヤルゼリー)」に似た成分を持つ、珍しい花の蜜を加えて焼き上げる。王宮の書物で読んだ、遠い東の国で食べられているという「気力を補う菓子」の記述がヒントになった。試作品は、ほんのり薬草の香りがするものの、ナッツの香ばしさとドライフルーツの自然な甘みが調和し、食べ応えのあるエナジーバーのような仕上がりになった。


次に、小さなお子さんを持つお母さんたちからの「子供でも安心して食べられて、できれば好き嫌いを克服できるようなお菓子が欲しい」という声に応えるため、野菜や果物を使った薬膳ゼリーやグミの開発にも取り組んだ。例えば、鉄分補給に良いとされるほうれん草は、その独特の青臭さをリンゴやベリーの果汁でうまく包み込み、レモングラスの爽やかな香りを加えることで、子供でも喜んで食べられる鮮やかな緑色のゼリーに。また、免疫力を高めるエキナセアやエルダーフラワーのハーブ液を、蜂蜜と寒天で固めた手作りグミは、見た目も可愛らしく、自然な甘さで、試食してくれた子供たちにも大人気だった。


エルマさんも、この新しい薬膳菓子の開発には、素晴らしいアイデアをたくさん出してくれた。


「リリアーナさん、この間お客様から聞いたのですが、最近、なかなか寝付けない方が多いようなのです。安眠効果のあるハーブを使った、夜に食べる優しいお菓子なんてどうでしょうか?」


彼女の提案を受け、私たちはカモミールやリンデンフラワー、そして「星詠みの花」の粉末を練り込んだ、口溶けの良いショートブレッドを試作した。バターの代わりに、消化の良いココナッツオイルを使い、甘みも控えめにする。その優しい味わいは、確かに眠りへと誘うような心地よさがあった。


また、エルマさんは得意な家庭料理の知識を活かして、「食べる薬膳スープ」の素となる乾燥ハーブミックスも考案してくれた。体を温める数種類の根菜と、消化を助けるハーブ、そして滋養のある豆類を乾燥させ、お湯で戻すだけで簡単に栄養満点のスープができるというものだ。これは、忙しい主婦や、一人暮らしの老人などに大変喜ばれた。


私たちの工房は、まさに薬草と食材の魔法の実験室と化していた。失敗も数えきれないほどあった。薬草の分量を間違えて苦くて食べられないものができたり、逆に薬効がほとんど感じられないものになったり。けれど、二人で知恵を出し合い、試行錯誤を重ねるうちに、少しずつ理想の味と効能に近づいていく。その過程は、困難ではあったけれど、それ以上に創造的な喜びに満ちていた。


完成した新しい薬膳菓子は、まず「リリアズ・ハーブ」の常連客の方々に試食してもらった。


「リリアーナさん、このエナジーバー、本当に力が湧いてくるみたいだ!朝一番に食べると、一日元気に働ける気がするよ!」と、力仕事の職人さん。


「うちの子、野菜が苦手だったのに、この緑のゼリーは『美味しい!』って喜んで食べるのよ。ありがとう、リリアーナさん!」と、若いお母さん。


「最近、夜中に何度も目が覚めてしまっていたのが、あのショートブレッドを寝る前に少しいただくようになってから、ぐっすり眠れるようになった気がします」と、年配のご婦人。


お客様からのそんな具体的な喜びの声は、私にとって何よりの報酬であり、大きなやりがいとなった。私の薬草の知識と、お菓子作りの技術が、こうして誰かの日常を少しでも豊かにし、健やかにすることに繋がっている。その実感が、私をさらに突き動かした。


新しい薬膳菓子の成功は、「リリアズ・ハーブ」の評判をさらに高めた。「あそこへ行けば、ただ美味しいだけでなく、自分の体調に合った特別なものが見つかる」。そんな口コミが広がり、遠方からわざわざ私たちの小さなお店を訪ねてくれるお客様も現れ始めた。


ギデオンさんは、そんな店の成長ぶりを目を細めて見守りながら、「リリアーナ、お前さんの店は、もうただの菓子屋じゃねえな。ハルモニアの町の小さな診療所みてえなもんだ」と、冗談めかして言った。町長からも、「リリアーナ殿の薬膳菓子は、町の健康増進にも貢献している。いずれ、町の診療所と連携して、何か新しい取り組みができないか検討してみよう」という、思いがけない言葉をいただくほどだった。


私の薬草の知識と、エルマさんの生活の知恵。二つの力が合わさった時、「リリアズ・ハーブ」は、ハルモニアの町になくてはならない、温かく、そして頼れる場所として、その個性を確かなものにしつつあった。そして私の胸には、この店と薬草の可能性を、もっともっと広げていきたいという、新たな情熱の炎が力強く燃え上がっていた。

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