第21話 夢のかたち、リリアズ・ハーブ誕生

私たちの小さな薬草畑にカモミールの最初の芽が出たあの日から、季節はゆっくりと巡り、ハルモニアの町は緑葉が目に眩しい初夏の装いに変わっていた。「薬草菓子工房リリアーナ」は町の商店への納品もすっかり定着し、エルマさんと二人で工房を切り盛りする日々は、忙しくも充実感に満ちていた。そして、私たちの胸には、あの古い家屋と畑を「自分たちの場所」にするという、大きな夢が育ち続けていた。


ギデオンさんの尽力と、町長や商人ギルドからの温かい支援のおかげで、家屋改装のための資金調達の目処も少しずつ立ち始めていた。町からの特産品開発助成金と、ギルドからの低利の融資。それは、決して十分な額ではなかったけれど、私たちの夢を現実にするための、大きな第一歩となった。


そしてついに、あの古びた家屋の改装工事が始まったのだ。大工の棟梁を中心に、町の腕利きの職人さんたちが集まってくれ、埃っぽかった家は日に日にその姿を変えていった。屋根瓦は葺き替えられ、割れていた窓ガラスは新しいものにはめ替えられ、きしんでいた床板も丁寧に張り直された。私とエルマさんも、工房の仕事の合間を縫って、できる限りの手伝いをした。古い壁紙を剥がしたり、新しい壁にペンキを塗ったり、庭の雑草を抜いて小さな花壇を作ったり。泥とペンキにまみれながらも、自分たちの手で夢の城を築き上げているような、そんな喜びに満ちた日々だった。


内装のデザインには、自然と私の意見が多く取り入れられた。壁の色は、薬草の緑が映えるような温かみのある白を基調とし、棚やテーブルは使い込まれたような風合いの木材で統一する。お客様がくつろげるように、窓際には陽光がたっぷり入るカウンター席を設け、庭には様々なハーブを植えて、窓からその緑が見えるように……。王宮で見てきた様々な美しい部屋や庭園の記憶が、私の頭の中でハルモニアの素朴な温かさと融合し、新しいアイデアとなって溢れ出てくる。棟梁や職人さんたちも、「お嬢ちゃんのセンスは、なんだか垢抜けてるなあ。俺たちじゃ思いつかねえよ」と感心しながら、私の細かな要望にも応えてくれた。


新しいお店の名前は、エルマさんと二人でたくさん悩んだ末に、「リリアズ・ハーブ」と決めた。私の名前と、私の愛するハーブ。シンプルだけれど、私たちの想いが詰まった名前だ。


開店に向けて、商品開発にも一層力が入った。これまでの焼き菓子やハーブティーに加え、畑で採れたばかりの新鮮なハーブを使った季節限定のタルトや、数種類のハーブをブレンドした特製シロップで作るハーブソーダ。そして、エルマさんのアイデアで、ハーブを使った簡単な軽食メニューとして、自家製ハーブパンのサンドイッチや、野菜たっぷりの薬膳スープもメニューに加えることにした。お店で使う食器は、ギデオンさんの知り合いの古道具屋で見つけた、素朴で味わいのある陶器を少しずつ集めた。



開店日が近づくにつれ、期待と共に、本当に自分のお店を成功させられるのだろうかという不安も、夜になると私の心をよぎった。そんな時、私を支えてくれたのは、やはりエルマさんとギデオンさんの存在だった。


「大丈夫ですよ、リリアーナさん。あなたの作るお菓子とハーブティーは、たくさんの人を笑顔にしてきましたもの。きっと、この新しいお店も、たくさんの人に愛される場所になりますわ」


エルマさんは、いつも変わらぬ優しい笑顔で私を励ましてくれた。


「何を弱気になってやがる。お前さんのその腕と、人を思う心があれば、何も心配いらねえ。どっしり構えてろ」


ギデオンさんは、ぶっきらぼうながらも、その言葉の端々に私への深い信頼を滲ませてくれた。



そして、開店を数日後に控えたある日のこと。ハルモニアを訪れた一人の旅の商人が、「樫の木亭」に一通の手紙を届けてくれた。差出人の名前はない。けれど、その筆跡には見覚えがあった。震える手で封を切ると、そこには短いけれど、温かい言葉が綴られていた。


『リリアーナへ。君が新しい土地で、自分の力で道を切り開いていると風の噂で聞いた。君の作る薬草が、多くの人を助け、笑顔にしていることも。その勇気と優しさを、私は遠くから誇りに思っている。いつか、君の淹れた最高のハーブティーを飲みに行ける日を楽しみにしている。くれぐれも体に気をつけて。 君の友人、Aより』

「アラン……!」


思わず声が漏れ、目頭が熱くなった。彼はずっと、私のことを見守ってくれていたのだ。この手紙は、どんな高価な開店祝いよりも、私の心を強く、温かく満たしてくれた。


そして、ついにその日がやってきた。初夏の爽やかな風が吹き抜ける、晴れやかな朝。古びた家屋は、美しい「リリアズ・ハーブ」として生まれ変わり、その入り口には、私がデザインし、町の鍛冶屋に作ってもらった、薬草の葉をモチーフにした可愛らしい鉄製の看板が掲げられた。


店内に足を踏み入れると、木の温もりと、焼き立ての菓子の甘い香り、そして様々なハーブの清々しい香りがふわりと鼻をくすぐる。磨き上げられたカウンター、手作りのテーブルクロスがかけられたテーブル、そして窓辺には、エルマさんが活けてくれた野の花が優しく揺れている。壁の棚には、色とりどりの薬草菓子やハーブティーが、まるで宝石のように並んでいた。


私とエルマさんは、お揃いの真新しいエプロンを身に着け、鏡の前で互いの身なりを整え合った。少し緊張しているけれど、それ以上に、これから始まる新しい物語への期待で、私たちの瞳は輝いていた。


「エルマさん、準備はいいかしら?」


「はい、リリアーナさん!いつでもどうぞ!」


深呼吸を一つ。私は、店の扉にそっと手をかけ、そして、ハルモニアの優しい光が満ちる外へと、ゆっくりと扉を開いた。


「リリアズ・ハーブ、本日、開店いたします!」


私の声は、少しだけ震えていたけれど、確かな喜びに満ちていた。ハルモニアの町に、私の夢と、たくさんの人々の温かい想いが詰まった小さなお店が、今まさに、その歴史の第一歩を踏み出したのだ。

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