第20話 土の匂いと希望の芽吹き

ギデオンさんから古い畑と家屋を譲り受けるという、夢のような提案を受けた日から、私の心は新たな目標に向かって燃えていた。「薬草菓子工房リリアーナ」の日常業務をこなしながらも、エルマさんと私は、空いた時間を見つけては、新しい薬草畑の計画を練るのに夢中になった。


「この日当たりの良い南向きの斜面には、太陽の光を好むローズマリーやタイムを植えましょう。あちらの少し湿り気のある木陰には、ミントやメリッサがよく育つはずですわ」


「ええ、エルマさん、素晴らしいわ!そして、この一番広い区画には、お菓子作りに欠かせないカモミールやラベンダーをたくさん育てたいですね。不足しがちな『山の活力根』も、ここでなら安定して栽培できるかもしれません」


私たちは、工房の片隅に広げた古い羊皮紙に、畑の見取り図を描き込み、それぞれの区画に植える薬草の名前を書き込んでいく。それは、まるで宝の地図を作っているかのような、心躍る作業だった。


ギデオンさんは、そんな私たちの様子を微笑ましげに眺めながらも、実質的なサポートを惜しまなかった。どこからか年代物の鍬や鋤、それに水遣りのための桶や柄杓まで調達してきてくれ、「畑仕事ってのは、見た目よりずっときついからな。無理しなさんなよ」と、ぶっきらぼうな優しさで私たちを気遣ってくれた。


この計画は、すぐに町長や商人ギルドの耳にも入った。彼らは、私がハルモニアの地に根を下ろし、本格的に特産品開発に取り組もうとしていることを喜び、畑の開墾に必要な古い農具を融通してくれたり、水路の利用について便宜を図ってくれたりするなど、温かい支援を約束してくれた。


そして、いよいよ畑の開墾作業に着手する日がやってきた。初夏の眩しい日差しの中、私とエルマさんは、動きやすい作業着に着替え、頭に手拭いを巻き、ギデオンさんから借りた鍬を手に、雑草が生い茂る畑に立った。


「さあ、エルマさん、始めましょうか!」


「はい、リリアーナさん!」


意気揚々と鍬を振り下ろしたものの、長年放置されていた土地は思った以上に固く、雑草の根も深く張っていて、作業は困難を極めた。すぐに汗が噴き出し、腕はパンパンに張り、慣れない土いじりに腰も痛む。王宮の薬草園での手入れとは、まるで違う重労働だった。


「ふう……これは、思ったよりも大変ですわね……」


額の汗を拭いながら、私が弱音を吐くと、エルマさんも泥だらけの顔で苦笑いした。


「本当に。でも、この土を耕せば、たくさんの薬草が育つのですものね。頑張りましょう!」


二人で励まし合いながら作業を続けていると、どこからかその話を聞きつけたのか、市場で顔なじみの農夫のオヤジさんが、「おう、リリアーナの嬢ちゃんたち!そんな細腕で畑仕事なんざ、無理があるってもんだ!」と、数人の仲間を連れて手伝いに駆けつけてくれた。さらに、ギデオンさんの古い友人だという、屈強な体つきの元兵士の男たちまで加わり、あっという間に畑は見違えるように綺麗になっていく。大工の棟梁も、どこからか古材を持参して、畑の周りに簡単な柵を作ってくれたり、壊れかけていた小さな道具小屋を修理してくれたりした。


「皆さん……本当に、ありがとうございます……!」


土と汗にまみれながらも、次々と助けに現れてくれる町の人々の温かさに、私の胸は熱くなった。ハルモニアに来てまだ日は浅いけれど、私はもう一人ではない。この町の人々の一員として、確かに受け入れられているのだと実感できた。


数日後、見事に開墾された畑に、私たちは最初の種を蒔き、苗を植え付けた。懇意にしている薬草売りの老人からは、彼が長年かけて集めたという珍しい薬草の種をいくつか譲り受け、それぞれの特性に合わせた土壌の作り方や、水遣りのコツなどを丁寧に教えてもらった。収穫祭で知り合った遠方の商人には、ハルモニアでは手に入りにくいハーブの苗を取り寄せてもらう手配もした。


それぞれの薬草が最も好む場所を選び、一つ一つ丁寧に植え付けていく作業は、私にとって至福の時間だった。王宮の薬草園で学んだ知識と経験が、今、このハルモニアの地で、新しい形で花開こうとしている。


畑仕事と並行して、古い家屋の改装計画も具体的に進め始めた。大工の棟梁に家屋の状態を隅々まで見てもらい、改装に必要な作業内容と、おおよその見積もりを出してもらった。柱や梁はしっかりしているものの、屋根の葺き替えや床の張り替え、窓枠の交換など、やはり大掛かりな工事が必要になることが分かった。


「リリアーナさん、こんなに素敵なお店と工房ができたら……考えるだけで夢が広がりますね!」


エルマさんは、棟梁が描いてくれた改装後の家屋の見取り図を眺めながら、目を輝かせている。私も同じ気持ちだったが、同時に、その莫大な費用をどうやって工面するかという現実的な問題にも直面していた。


「ギデオンさん、やはり、これだけの改装費用となると……今の工房の収益だけでは、なかなか……」


相談すると、ギデオンさんは「まあ、焦るな。町長やギルドも、お前さんの特産品開発には期待してる。何かうまい資金調達の方法を一緒に考えてやろう。例えば、特産品開発のための助成金制度を町に作ってもらうとか、ギルドから低利で融資を受けられるように交渉してみるとか、手は色々あるはずだ」と、力強い言葉で私を励ましてくれた。


課題は山積みだ。けれど、私の心は不思議と晴れやかだった。自分の手で未来を切り開いていくという確かな実感と、それを支えてくれる温かい仲間たちの存在が、私に無限の勇気を与えてくれる。


ある日の夕暮れ時、エルマさんと二人で、種を蒔いたばかりの畑を見に行った。まだ何の変化もないように見えた土の表面を、じっと見つめていると、エルマさんが小さな声を上げた。


「リリアーナさん!見てください!あそこに……!」


彼女が指さす先をよく見ると、黒い土の中から、本当に小さな、可愛らしい双葉が顔を出しているのが見えた。それは、私たちが最初に蒔いたカモミールの種から芽生えた、最初の命だった。


「まあ……!本当に、芽が出ているわ……!」


私たちは顔を見合わせ、思わず手を取り合って喜びの声を上げた。その小さな緑の芽は、まるで私たちの夢そのものが、このハルモニアの地で確かな形となって芽吹いた証のように思えた。


この小さな芽が、やがて豊かな薬草畑となり、そして古びた家屋が、たくさんの笑顔で溢れるお店になる日を夢見て。私のハルモニアでの新しい挑戦は、今、確かな希望の光と共に、その第一歩を踏み出したのだ。

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