第19話 古びた家屋と未来の設計図
ギデオンさんの口から飛び出した、「自分の店」という言葉。それは、私の心の奥底で静かに温められていた夢の卵に、確かな温もりを与える陽射しのように感じられた。工房の片隅で、ハーブティーを飲みながらその話を聞いていたエルマさんも、目を丸くした後、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「まあ、リリアーナさん!ご自分のお店と畑ですって?なんて素敵なんでしょう!」
彼女の声は興奮で弾んでおり、まるで自分のことのように喜んでくれているのが伝わってくる。
翌朝、私はギデオンさんに案内され、エルマさんと共にその「古い畑と家屋」を見に行くことになった。「樫の木亭」の裏手を抜け、少し木々が深くなった小道を数分ほど歩くと、不意に視界が開けた。そこには、想像していたよりもずっと広々とした、しかし今は背の高い雑草に覆われた土地が広がっていた。そして、その奥に、蔦の絡まる古びた木造の家屋が一軒、静かに佇んでいた。
家屋は二階建てで、屋根瓦は所々欠け、窓ガラスもいくつか割れてはいたが、太い柱や梁はしっかりとしており、どことなく懐かしいような、温かみのある雰囲気を漂わせている。畑だったであろう土地は、長年人の手が入っていないため荒れ放題だったけれど、周囲を木々に囲まれていて日当たりは申し分なく、土も触ってみるとしっとりと柔らかく、薬草を育てるには悪くなさそうだった。
「どうだ、リリアーナ。見た目はちと古いが、手さえ入れりゃあ、まだまだ使えるはずだ。昔は、うちの爺さんがここで野菜なんぞを作っててな。この家も、その頃に建てたもんだ」
ギデオンさんは、少し照れくさそうに、それでいてどこか誇らしげに言った。
私は、その場所に立った瞬間、強い直感に打たれた。「ここだ」と。王宮の美しく整えられた薬草園とは全く違う、野性的で、生命力に満ち溢れたこの場所に、なぜか心が強く惹かれるのを感じた。ここでなら、私の夢を、もっと自由に、もっと大きく育てていけるかもしれない。
「素晴らしいですわ、ギデオンさん……!こんな素敵な場所が、まだハルモニアにあったなんて!」
私の声は、抑えきれない興奮で震えていた。エルマさんも、私の隣で目を輝かせている。
「見てください、リリアーナさん!あちらの陽だまりになっている場所なら、きっと香りの良いハーブがたくさん育ちますわ!こちらの少し湿った土壌には、しっとりとした葉を持つ薬草が合いそうですし……」
エルマさんは、まるで自分の庭を見つけたかのように、楽しそうに構想を語り始めた。
私も、頭の中に次々と未来の設計図が広がっていくのを感じた。
「そうね、エルマさん!この広い畑なら、これまで手に入りにくかった珍しい薬草も、自分で育てられるかもしれないわ。例えば、あの『山の活力根』や、収穫祭で使った『月桂樹の祝福』も、ここでなら……。そして、あの家屋は……」
私は、古びた家屋を見つめながら、夢中で語り始めた。
「一階は、お客様をお迎えするお店にしたいですわ。大きな窓から陽の光がたくさん入るようにして、木の温もりを感じられるような内装に。焼き立てのお菓子やハーブティーをその場で楽しめる、小さなカフェスペースも作れたら素敵……。そして、二階は、私の住まいと、新しいお菓子や薬草の研究をするための、静かで落ち着いた空間に……」
王宮にいた頃、様々な国の建築様式や庭園について書かれた書物を読んだり、美しい調度品に囲まれて生活したりした経験が、無意識のうちに私のイメージを豊かにしているのかもしれない。効率的な作業動線や、お客様が心地よく過ごせる空間デザイン、そして何よりも、そこに集う人々が笑顔になれるような温かい雰囲気。そんな理想の空間が、目の前の古びた家屋と荒れた土地の上に、鮮やかに立ち上がってくるようだった。
「まあ、リリアーナさんの夢、聞いているだけでワクワクしますわ!」
エルマさんは、私の言葉に目を輝かせ、自分のことのように喜んでくれた。
しかし、夢を語るのは簡単でも、それを実現するのは容易ではない。畑の開墾、家屋の大規模な改装。それには、莫大な費用と、そして何よりも多くの人手と時間が必要になるだろう。その現実に、少しだけ私の胸は重くなった。
「ギデオンさん……この場所をお借りできるのは、本当に夢のようです。ですが、私一人の力で、この畑を開墾し、家屋を改装するのは……」
私の不安を察したのか、ギデオンさんは豪快に笑い飛ばした。
「馬鹿野郎、お前さん一人でやらせるわけねえだろうが。俺っちだって手伝うし、それに、お前さんにはもう、この町にたくさんの仲間がいるじゃねえか。収穫祭の時だってそうだったろう?お前さんが本気でやるってんなら、きっとみんな喜んで力を貸してくれるさ」
その言葉に、ハッとした。そうだ、私にはギデオンさんやエルマさんがいる。そして、大工の棟梁や鍛冶屋の親方、市場の商人たち、薬草採りの人々……これまで出会ってきた、たくさんの温かい顔が思い浮かんだ。
「まずは、畑の一部から始めてみたらどうだ?焦るこたぁねえ。少しずつ、お前さんのペースで、お前さんの城を築き上げていけばいい」
ギデオンさんの現実的で、それでいて力強い言葉に、私は再び勇気づけられた。
「はい!まずは、この春のうちに、小さな薬草畑を作ることから始めます!そして、少しずつお金を貯めて、家屋の改装も……!」
町長や商人ギルドにも、この計画を話してみよう。ハルモニアの特産品開発の一環として、何か支援してもらえるかもしれない。そう考えると、目の前の課題も、乗り越えられない壁ではなく、わくわくする冒険の始まりのように思えてきた。
自分の手で一から場所を作り上げていく。それは、王宮では決して経験できなかった、かけがえのない喜びと達成感を与えてくれるだろう。このハルモニアの地に、私は確かに根を下ろし始めている。そして、その根は、たくさんの人々の温かい心に支えられて、これからもっと深く、もっと強く伸びていくのだ。
古びた家屋の前に立ち、私はエルマさんと顔を見合わせてにっこりと笑った。
「エルマさん、これから忙しくなりますわね!」
「はい、リリアーナさん!でも、とっても楽しみです!」
私たちの胸には、初夏の爽やかな風のように、希望に満ちた未来への期待が吹き抜けていた。
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