第18話 工房日和と芽吹く薬草の夢

「薬草菓子工房リリアーナ」の朝は、いつもハーブの清々しい香りと、焼き菓子の甘い匂いから始まる。私とエルマさんは、工房の小さな窓から差し込む朝日を浴びながら、その日の製造計画を確認し、手際よく作業に取り掛かる。彼女は今や、私の指示がなくとも、材料の計量から生地の仕込み、焼き窯の火加減調整まで、安心して任せられる頼もしい右腕となっていた。


「リリアーナさん、今日の『森の雫ジャムのクッキー』、焼き色も完璧ですわ!それに、この間試作した『月見草(つきみそう)と白胡麻(しろごま)の薄焼き煎餅』も、お客様に好評だと雑貨屋の店主さんが仰ってましたよ」


エルマさんは、焼きあがったばかりの菓子を丁寧に冷却棚に並べながら、嬉しそうに報告してくれた。彼女の笑顔は、工房の温かい雰囲気をさらに明るくしてくれる。


町の商店への定期的な納品も軌道に乗り、工房の運営には心地よいリズムが生まれていた。けれど、私は現状に満足することなく、常に新しい薬草菓子の開発に心を燃やしていた。ハルモニアの特産品として、もっと多くの人に喜んでもらえるような、そしてこの町ならではの魅力を伝えられるようなお菓子を作りたい。その思いは日に日に強くなっていた。

最近特に力を入れているのは、季節感を大切にしたお菓子と、より健康効果を意識した薬膳菓子だ。例えば、初夏には爽やかなミントやレモンバーベナを使ったゼリー寄せや、エルダーフラワーの香りを移した冷たい飲み物。秋には、収穫祭で好評だったカボチャや栗を使ったお菓子をさらに洗練させ、冬には体を温めるジンジャーやシナモンをたっぷり使った焼き菓子など。


ある時、王宮の書庫で読んだ古い医学書の一節を思い出した。そこには、貴族たちが滋養強壮のために食していたという、数種類の薬草と木の実を蜂蜜で練り固めた丸薬のような菓子の記述があった。その記憶を頼りに、私はハルモニアで手に入る材料で再現できないか試行錯誤を始めた。クルミや松の実、クコの実などに、高麗人参に似た効能を持つという地元産の「山の活力根(やまのちかつこん)」の粉末や、免疫力を高めるとされるエキナセアの花びらを細かく刻んで加え、上質な蜂蜜で練り上げる。見た目は地味だけれど、口に含むと滋味深い甘さと共に、体が内側から温まるような感覚が広がる。


「ギデオンさん、これ、試食していただけますか?少し薬草の香りが強いかもしれませんが……」


恐る恐る差し出すと、ギデオンさんは大きな手でその丸薬を一つまみ、じっくりと味わった。


「……ふむ。確かに、いつもの甘い菓子とはちと違うな。だが、これは……なんだか力が湧いてくるような気がするぜ。風邪を引きやすい俺には、もってこいかもしれん」


ぶっきらぼうな言葉の中にも、確かな手応えを感じ取ることができた。


工房には、少しずつだが直接お菓子を買い求めに来てくれる町の人々も現れ始めた。


「リリアーナさんのクッキー、孫が大好きでねえ。今日も頼まれちまったよ」


「最近、どうも疲れやすくてね。何か体に良いハーブティーはないかい?」


そんな声に、私は心を込めて応える。お菓子を包む間、薬草の効能について説明したり、簡単な健康相談に乗ったりすることもあった。それは、私が王宮では決して得られなかった、人々との温かく直接的な繋がりだった。ある日、以前市場で助けた子供の母親が、「リリアーナさんのおかげで、うちの子は本当に元気になったのよ。これはほんの気持ちだけど」と、自家製の野菜をたくさん持ってきてくれた時は、胸がいっぱいになった。


しかし、工房の運営が順調になるにつれ、新たな課題も生まれてくる。特にお菓子の種類を増やし、生産量を上げようとすると、特定の材料の安定供給が難しくなってきたのだ。特に、私が好んで使う珍しい薬草や、少量しか採れない野生のベリーなどは、天候に左右されやすく、いつも手に入るとは限らない。


「『山の活力根』を分けてもらっている薬草採りの爺さんが、もう年だから、そろそろ山に入るのをやめようかと思ってるらしいんだ」


ギデオンさんからそんな話を聞いた時、私は大きな衝撃を受けた。「山の活力根」は、私の作る薬膳菓子の重要な材料の一つだったからだ。代わりの供給先を探すのは容易ではない。


「やはり……自分たちで、薬草を育てることはできないものでしょうか」


以前からぼんやりと考えていた薬草の自家栽培への思いが、この一件でより切実なものとなった。ギデオンさんも、「そうだな。この工房の裏手には、まだ少し空き地がある。日当たりも悪くねえし、お前さんが本気でやるなら、畑を作ってみるのもいいかもしれん」と、前向きな言葉をかけてくれた。


その言葉に、私の心は新たな夢で膨らんだ。自分の手で薬草を育て、収穫し、そしてそれを使ってお菓子を作る。それは、なんと素晴らしいサイクルだろうか。王宮の薬草園とは違う、このハルモニアの土壌で、どんな薬草が育つのか。想像するだけでワクワクした。


そんなある日、工房の仕事が一段落した夕暮れ時、ギデオンさんが一枚の古い羊皮紙を持ってきた。


「リリアーナ、こいつを見てみろ。俺の爺さんの代から伝わってる、この辺りの古い土地の権利書なんだがな。実は、この『樫の木亭』の少し奥まったところに、うちが昔使ってた小さな畑と、それに隣接する古い家屋があるんだ。もう何年も放置されてるが、もしお前さんが本格的に工房を拡張して、自分の店を持つってんなら……そこを使ってみるのも一つの手かもしれんぞ」


ギデオンさんの言葉は、まるで私の心の奥底を見透かしているかのようだった。自分の店を持つ。それは、まだ漠然とした夢だったけれど、その言葉を聞いた瞬間、私の胸の中で、その夢がはっきりとした輪郭を持ち始めたのを感じた。


「私の……お店……」


工房の窓から見えるハルモニアの夕焼け空は、いつもよりずっと美しく、そして希望に満ちて輝いているように思えた。

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