第17話 小さな工房からの船出と商いの海
「薬草菓子工房リリアーナ」の新しい焼き窯に火が入り、香ばしい匂いが工房を満たす朝。今日は、私たちの作ったお菓子が、初めてハルモニアの町の商店の棚に並ぶ、記念すべき日だ。エルマさんと二人、心を込めて焼き上げた「森の雫ジャムのクッキー」や「クルミとハーブのビスコッティ」、そして数種類のハーブティーバッグを、一つ一つ丁寧に包装していく。手作りの小さなラベルには、「薬草菓子工房リリアーナ」の文字と、ハルモニアの野花をあしらった素朴な絵柄を添えた。
「エルマさん、準備はいいかしら?」
「はい、リリアーナさん!どのお菓子も、とっても美味しそうに焼き上がりましたね!」
二人で顔を見合わせ、期待と少しの緊張が入り混じった笑顔を交わす。ギデオンさんが手配してくれた小さな荷車に、お菓子を詰めた木箱を慎重に積み込む。まるで自分の子供を初めて世に送り出すような、そんな感慨深い気持ちだった。
納品先は、商人ギルドと相談して決めた町内の三軒の店。一番大きな食料品店、街道沿いの旅人向けの土産物屋、そして町の女性たちに人気の小さな雑貨兼茶葉店だ。それぞれの店主は、収穫祭での私の菓子の評判を聞いており、「リリアーナさんの新しいお菓子、楽しみにしていたよ!」と温かく迎えてくれた。
「こちらが新作の『森の雫ジャムのクッキー』でございます。ハルモニアの森で採れた貴重なベリーを使っておりまして、甘酸っぱさが特徴でございます」
店主に商品の説明をしながら、私は自分の工房で作ったものが、こうして「商品」として扱われることの重みを改めて感じていた。
納品を終えた後も、私は気になって仕方がなく、お昼過ぎにこっそりとお店の様子を見に行ってしまった。食料品店の棚の一角に、私の作ったお菓子がちょこんと並んでいる。まだ誰も手に取ってはいないようだ。ドキドキしながら見守っていると、買い物に来た主婦らしき女性が、ふと私のクッキーに目を留めた。
「あら、新しいお菓子かしら?『薬草菓子工房リリアーナ』……収穫祭で美味しいって評判だったところね」
女性はクッキーを一つ手に取り、にっこりと微笑んで買って行ってくれた。その瞬間、私は思わず心の中で小さなガッツポーズをした。
土産物屋では、旅の途中の若い夫婦が、ハーブティーバッグのセットに興味を示していた。「ハルモニアの思い出に、体に良いお土産もいいわね」と話しているのが聞こえてきて、胸が温かくなった。
しかし、試験販売は順風満帆というわけにはいかなかった。数日経つと、いくつかの問題点が浮かび上がってきたのだ。
「リリアーナさん、このクッキーの包装なんだがね、少し地味で棚で目立たないみたいなんだ。隣に並んでる派手な色の砂糖菓子に、どうしてもお客さんの目が行っちまうようでね」
食料品店の主人が、申し訳なさそうにそう教えてくれた。確かに、私の包装は素朴で温かみがあるけれど、他の商品と並ぶと少し埋もれてしまうのかもしれない。
また、雑貨兼茶葉店のマダムからは、「あなたのビスコッティ、とても美味しいのだけれど、少し湿気やすいみたい。特に雨の日は、すぐに風味が落ちてしまうのが残念だわ」という指摘を受けた。工房では気付かなかったが、店頭での陳列となると、保存性も重要な課題だ。
さらに、土産物屋の主人からは、「ハーブティーは人気なんだが、お菓子の方は、日持ちがもう少しすると助かるんだがなあ。旅人はすぐに食べるわけじゃないからね」という意見も寄せられた。
これらの問題点に、私は少し落ち込みそうになった。けれど、すぐに気を取り直す。これは失敗ではなく、改善のための貴重なヒントなのだ。私はエルマさんやギデオンさんに相談し、そして何よりも、意見をくれた店主さんたちと真摯に向き合った。
「パッケージが目立たないのなら、もう少しハルモニアの美しい自然を前面に出した、明るい色のデザインにしてみましょうか。例えば、この『森の雫』の瑠璃色をアクセントに使うとか……」
王宮で学んだ色彩の知識や、母から教わった模様のデザインなどが、こんなところで役立つとは思ってもみなかった。エルマさんと二人で、新しいパッケージのアイデアをスケッチブックに何枚も描いた。
湿気対策については、乾燥剤として使えるハーブ(例えば、炭にした特定の木片や、乾燥させた柑橘類の皮など)を袋に同封することを思いついた。また、ビスコッティのレシピも見直し、水分量を調整したり、焼き時間を工夫したりすることで、より日持ちし、湿気にくいように改良を重ねた。
それぞれの店の客層に合わせて、商品のラインナップを少しずつ変えてみるという試みも始めた。例えば、土産物屋には日持ちのする焼き菓子やハーブティーバッグを中心に、雑貨兼茶葉店には見た目も可愛らしく、少量で楽しめるような小袋入りのクッキーを多く納品するようにした。それは、私にとって初めての「マーケティング」という考え方だったのかもしれない。
こうした改善努力を続けるうちに、少しずつではあるが、リリアーナの薬草菓子はハルモニアの町の人々の日常に溶け込み始めた。「樫の木亭」だけでなく、町の商店でも私の菓子が安定して売れるようになり、工房には少しずつだが定期的な収入が入るようになった。それは、自分の力で工房を運営していく上での、大きな自信となっていった。
ある日、ギデオンさんが工房に顔を出し、棚に並んだ改良版のパッケージや、新しいレシピの試作品を眺めながら、満足そうに言う。
「リリアーナ、お前さん、ただ菓子を作るだけじゃなく、ちゃんと『商い』をしようとしてるんだな。その心意気、たいしたもんだぜ」
その言葉は、私のこれまでの努力を認めてもらえたようで、とても嬉しかった。
町長や商人ギルドからも、「リリアーナ殿の菓子は、着実に町の新しい顔になりつつある。この調子でいけば、本格的な特産品としての展開も夢ではないぞ」と、期待のこもった連絡が入るようになった。
私の小さな工房「薬草菓子工房リリアーナ」は、ハルモニアという温かい海に漕ぎ出したばかりの小舟だ。時には予期せぬ嵐に見舞われ、進むべき道に迷うこともあるかもしれない。けれど、エルマさんという頼れる航海士と、ギデオンさんという力強い灯台守、そして何よりも、私の作るお菓子を待っていてくれる人々の声援がある。
(もっと美味しくて、もっとたくさんの人を笑顔にできるお菓子を……そしていつか、この工房を、たくさんの人で賑わう、温かい場所にしたい)
私の胸には、新たな、そしてより具体的な夢が、力強く芽吹き始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます