第15話 工房の夢とハルモニアの宝探し

町長からの大きな提案を受けた日から、私の日常は新たな目標に向けて大きく舵を切った。「ハルモニアの町の特産品となる薬草菓子を開発する」。その言葉の重みと責任を感じつつも、私の胸は未知への挑戦に対する期待で高鳴っていた。


まずは情報収集から、と私は考えた。ギデオンさんに仲介してもらい、町の商人ギルドの代表者の方と面会する機会を得た。ギルドの事務所は、市場の一角にある古いが頑丈な石造りの建物で、中には帳簿や羊皮紙の巻物が山と積まれ、算盤を弾く音や商人たちの活気ある声が響いていた。


「リリアーナ殿ですな。町長からお話は伺っております。あなたの薬草菓子、収穫祭では大変な評判だったとか」


ギルド長は、鋭い目つきながらもどこか人の良さそうな初老の男性だった。私は、ハルモニアの特産品としてどのようなものが求められているのか、どのような層をターゲットにすべきか、そして流通や価格設定についてなど、思いつく限りの質問をぶつけてみた。王宮で家庭教師から他国の特産品や交易ルートについて学んだ知識が、無意識のうちに質問の的を絞るのに役立っているのを感じた。


ギルド長は私の熱心な質問に丁寧に答えてくれ、「日持ちがして、持ち運びしやすく、そして何よりも『ハルモニアらしさ』を感じさせるものが良いでしょうな。旅人が故郷へ持ち帰る土産物として、あるいは遠方の都市へ送る贈答品として、価値のあるものが求められます」と貴重なアドバイスをくれた。


「ハルモニアらしさ……」その言葉が、私の心に深く刻まれた。私は改めて、この町の周辺で採れる特別な薬草や果物、木の実などを徹底的に調査し直すことにした。市場を巡るだけでなく、ギデオンさんの知り合いの猟師や、エルマさんの親戚だという小さな農園を営む農夫を訪ね、地元の人々しか知らないような隠れた食材や、昔ながらの保存方法などを教えてもらう。



ある日、猟師の案内で町の外れの森深くまで分け入った時、崖の途中に自生している、見たこともないような美しい瑠璃(るり)色の小さなベリーを見つけた。


「嬢ちゃん、こいつは『森の雫(しずく)』って呼ばれてるもんだ。甘酸っぱくて、滋養もあるんだが、採るのがちと厄介でな。市場にはめったに出回らねえ」


その「森の雫」を口に含むと、濃厚な甘みと爽やかな酸味が口いっぱいに広がり、後からほんのりと花のようないい香りが鼻に抜けた。これは素晴らしい素材になるかもしれない!


そんな「宝探し」のような日々を経て、私は特産品候補となるお菓子の試作に本格的に取り組んだ。日持ちを考えて、焼き菓子や砂糖漬け、そしてコーディアルが中心だ。「森の雫」を使ったジャムや、地元産のクルミと数種類のハーブを練り込んだ香ばしいビスコッティ、体を温める効果のある薬草とスパイスをブレンドしたハーブティーバッグなど、アイデアは次々と形になっていく。


試作の過程では、王宮で培われた美的感覚や品質へのこだわりが、自然と顔を出した。例えば、ビスコッティの形一つとっても、ただ棒状にするだけでなく、少しだけねじりを加えて葉のような形にしたり、焼き色にムラが出ないよう細心の注意を払ったりした。商品の包装についても、派手ではないけれど、ハルモニアの自然をモチーフにした素朴で温かみのあるデザインを考え、手作りの小さなタグには、使っている薬草の簡単な説明と、その薬草にまつわるハルモニアの古い言い伝えなどを添えてみようか、などと夢想した。


エルマさんは、私の右腕として、本格的にお菓子作りを手伝ってくれるようになった。彼女は手先が器用で、私が大まかな指示を出すと、それを的確に形にしてくれる。二人で厨房に立ち、時には鼻歌を歌いながら、まるで姉妹のように楽しく作業を進める時間は、私にとってかけがえのないものとなっていた。



そんなある日、いつものように厨房で試作品の山と格闘していると、ギデオンさんが腕組みをしながらやってきた。


「リリアーナ、お前さんの菓子は種類も増えてきたし、そろそろこの厨房も手狭になってきたんじゃねえか?」


「えっ……そう、でしょうか?」


「宿屋の裏手に、昔使ってた古い物置小屋があるんだがな。少し手を入れりゃあ、お前さん専用の『工房』くらいにはなるかもしれん。どうだ、使ってみるか?」


ギデオンさんの思いがけない提案に、私は目を丸くした。自分だけの、工房――。それは、まだ漠然とした夢でしかなかったはずなのに。


「本当ですか、ギデオンさん!そんな……!ぜひ、使わせていただきたいです!」


私の声は喜びで震えていた。早速ギデオンさんに案内されて見た物置小屋は、確かに古く、埃っぽかったけれど、日当たりも良く、広さも十分だった。ここに作業台を置いて、あちらには薬草を乾燥させる棚を作って、焼き窯は……想像するだけで、胸が躍った。


その週末から、ギデオンさんと、彼の古くからの友人だという大工の棟梁、そして私も加わって、物置小屋の改装作業が始まった。埃を払い、壁を塗り直し、丈夫な作業台や棚が取り付けられていく。まるで新しい巣を作る小鳥のように、私は目を輝かせながらその様子を見守り、自分にできることを手伝った。



数日後、ついに私の小さな「薬草菓子工房リリアーナ」が完成した。まだガランとしているけれど、木の温もりと、新しい始まりの匂いに満ちたその空間は、私にとって王宮のどんな豪華な部屋よりも価値のある場所に思えた。


「さて、工房もできたことだし、そろそろ町長やギルドの連中に、お前さんの新しい特産品候補を見てもらうとしようじゃねえか」


工房の入り口で満足そうに頷くギデオンさんの言葉に、私は「はい!」と力強く返事をした。


いくつかの自信作を携え、町長と商人ギルドの代表者たちの前で試食会が開かれることになった。彼らの評価は概ね良好で、特に「森の雫」のジャムや、ハーブビスコッティはその珍しさと風味の良さで高い評価を得た。しかし、同時に「これを安定的に量産するにはどうするのか」「もう少しコストを抑えられないか」といった、現実的な課題も指摘された。


それでも、私は少しも落胆しなかった。課題があるということは、それを乗り越えることで、さらに良いものが生まれるということだ。私の隣には、頼りになるギデオンさんとエルマさんがいる。そして、このハルモニアの町には、私の力を必要としてくれる人たちがいる。


小さな工房から、大きな夢が羽ばたこうとしていた。

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