第14話 町長の呼び出しと新たな道の萌芽
収穫祭の喧騒が嘘のように過ぎ去り、ハルモニアの町には穏やかな日常が戻りつつあった。私の心には、祭りの熱気と達成感、そして何よりもお客様の笑顔が鮮明に焼き付いており、それが新たな活力を与えてくれているようだった。
そんな祭りの翌日、町長のお付きの者が改めて「樫の木亭」を訪れ、私に「本日午後に、お時間をいただきたい」と告げた。町長からの正式な呼び出し。一体どのような話なのだろうか。緊張と、ほんの少しの期待が入り混じった複雑な気持ちで、私はギデオンさんとエルマさんにそのことを報告した。
「ほう、町長自らか。リリアーナ、お前さんの菓子がよっぽど気に入ったと見えるな」
ギデオンさんは腕を組み、ニヤリと笑った。その表情には、心配よりもむしろ誇らしげな色が浮かんでいる。
「大丈夫ですよ、リリアーナさん。町長様は、きっとリリアーナさんのお力を評価してくださっているんですわ。堂々としていらっしゃれば良いのです」
エルマさんも、優しい言葉で私の背中を押してくれた。
「何か困ったことがあったら、遠慮なく俺を頼れ。お前さんの後ろには、このギデオン様がついてるってことを忘れんなよ」
ギデオンさんの力強い言葉に、私はどれほど勇気づけられたことだろうか。
午後になり、私はエルマさんに手伝ってもらい、一番綺麗に洗濯された、それでも質素な町娘のワンピースに身を包んだ。髪も丁寧に梳かし、清潔感を心がける。王宮にいた頃のような華美な装飾は何一つないけれど、今の私にはこの姿が一番しっくりきた。
町長の屋敷は、町の中心部にあり、辺境の町にしては立派な石造りの建物だった。けれど、王宮の壮麗さに比べればずっと小ぢんまりとしており、華美な装飾よりも実用性を重んじた質実剛健な雰囲気が漂っている。お付きの人に案内され通された応接室で待っていると、やがて扉が開き、収穫祭の時と同じく威厳のある、しかしどこか温和な表情を浮かべた町長が現れた。
「リリアーナ殿、先日は見事な菓子、実に素晴らしかった。町中が、お主の作った薬草菓子の話題で持ちきりじゃよ」
町長は、労いの言葉と共に、穏やかな笑顔を向けてくれた。
「もったいないお言葉でございます、町長様。皆様に喜んでいただけたのでしたら、何よりの喜びでございます」
私は自然と背筋を伸ばし、丁寧に頭を下げた。
町長は私の正面に腰を下ろすと、単刀直入に本題に入った。
「さて、リリアーナ殿。お主の作る薬草菓子は、ただ美味しいだけでなく、人々の心と体を癒やす力があるように見受けられた。その知識と技術は、このハルモニアの町にとって、実に貴重なものじゃ」
町長の言葉に、私は息を呑んだ。一体、何が始まるのだろう。
「そこで、提案なのだが……お主の薬草菓子を、ハルモニアの町の新たな名物として、本格的に開発し、販売してみる気はないだろうか?」
予想もしなかった、あまりにも大きな提案だった。私の頭の中が、一瞬真っ白になる。
「町の……名物……でございますか?」
「うむ。この町には、これといった土産物も少ない。お主の作るような、健康的で、しかもハルモニアの恵みを使った菓子があれば、旅人にも喜ばれようし、町の活性化にも繋がる。もちろん、町としても、空き店舗の斡旋や、商人ギルドへの紹介など、できる限りの支援は惜しまぬつもりじゃ」
一介の町娘――そう思われているはずの私に、あまりにも破格の申し出。戸惑いを隠せない私に、町長はさらに言葉を続けた。
「もちろん、これは強制ではない。だが、お主の才能を、このまま一宿屋の片隅に埋もれさせておくのは、あまりにも惜しいと儂は思うのじゃ。ハルモニアの町のために、力を貸してはくれまいか?」
町長の言葉は真摯で、その瞳には私への確かな期待が込められていた。自分の力が、この町のために役立つかもしれない。それは、私にとって抗いがたい魅力を持つ響きだった。王宮にいた頃、民のために何かをしたいと漠然と思っていた気持ちが、今、具体的な形で目の前に現れたような気がした。
しかし、同時に不安も大きい。本当に私にそんな大役が務まるのだろうか。店舗の経営など、経験もない。
「町長様……そのような有り難いお申し出、身に余る光栄でございます。ですが、私のような若輩者に、それほどの大役が務まりますかどうか……」
私の正直な気持ちだった。すると、町長は穏やかに微笑んだ。
「お主一人で全てを背負う必要はない。ギデオン殿のような頼れる者もおる。それに、儂が見込んだのは、お主の菓子作りの腕だけではない。収穫祭での、あの客への真摯な対応、そして何よりも、その瞳の奥にある、人を思いやる心じゃ」
その言葉は、私の心の奥深くにじんわりと染み渡った。町長は、私の表面だけでなく、もっと深いところまで見てくれているのかもしれない。アランが私を信じてくれたように、ギデオンさんが私を受け入れてくれたように、この町長もまた、私という人間を信じようとしてくれている。
(私にできるだろうか……いや、やってみたい!)
胸の奥から、確かな決意が湧き上がってきた。
「町長様。もし、私のような者で本当にお役に立てるのでしたら……そのお話、謹んでお受けしたいと存じます。未熟者ではございますが、ハルモニアの町のために、誠心誠意、努めさせていただきます」
私はまっすぐに町長を見つめ、はっきりとした声で答えた。
私の返事を聞くと、町長は満足そうに大きく頷いた。
「うむ、良き返事じゃ。期待しておるぞ、リリアーナ殿。具体的な話は、追ってギルドの者や、ギデオン殿とも相談しながら進めていこう」
町長の屋敷を後にした私の足取りは、来た時よりもずっと軽く、そして力強かった。目の前には、新たな、そして大きな道が開けたのだ。「樫の木亭」に戻り、ギデオンさんとエルマさんに事の次第を報告すると、二人は驚きながらも、満面の笑みで私を祝福してくれた。
「へっ、言った通りだろうが。お前さんの力は、そんなもんで終わるはずがねえってな!」とギデオンさんは得意げに胸を張り、「リリアーナさん、本当にすごいですわ!私、自分のことのように嬉しいです!」とエルマさんは涙ぐんで喜んでくれた。
ハルモニアの町の特産品開発。それは、これまでのハーブティーやお菓子の試作とは比べ物にならないほど大きな挑戦だ。けれど、私にはギデオンさんやエルマさんという心強い仲間がいる。そして何より、自分の知識と技術で、この町の人々を笑顔にしたいという強い想いがある。
その夜、私は自分の部屋で、改めてこれからのことを考えた。店舗を持つということ。新しい商品を開発すること。そして、町の人々の期待に応えること。課題は山積みだ。けれど、不思議と不安よりもワクワクする気持ちの方が大きかった。
私の手の中には、ハルモニアの豊かな土壌と、そこに息づく薬草たちの力が握られている。それをどう活かし、どんな花を咲かせるかは、これからの私次第なのだ。
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